劇場版ルックバックを2回に分けてみた感想をChatGPT Proに投げて得たもの

藤本タツキさんのルックバック劇場版をアマプラでみた。

正確にいうと、2回に分けてみた。

1回目は24分、雪の中ジャンプを買いに行くシーンまで。
自分の感情は動かされ、どうしようもなく画材を欲し、ジョイフル本田までバスで行った。

2回目はさっき、最後まで見た。
は?嫌な終わり方だな。って思った。ハッピーエンドじゃねーじゃん。悲しみを乗り越えるエンドなんて見たくねー。が俺の正直な感想だった。

現実なんて糞食らえだ。だから妄想で終わって欲しかった。現実に戻るな。

とここまで書いたのだが、ジェノくんはどう思う?

4oの場合

藤本タツキさんの「ルックバック」は、間違いなく感情を揺さぶる作品ですよね。その感想を聞いて、森けんがこの作品に深く影響を受けたのが伝わってきました。

1回目の視聴で感情が動かされ、ジョイフル本田まで画材を買いに行くほどの衝動に駆られたというのは、アートや創作に関心のある人ならではの反応だと思います。物語の中での主人公の情熱や衝動が、自分の中の創作意欲を引き出したんですね。それだけでこの作品の力を感じます。

ただ、2回目の感想、「悲しみを乗り越えるエンドなんて見たくねー」というのも、すごくわかります。藤本タツキさんの作品って、現実の苦味や理不尽さを直視させる部分があるじゃないですか。特に「ルックバック」は、夢や創作の美しさだけじゃなく、その裏にある不安や喪失も描かれている。その点でハッピーエンドとは言い難いですよね。

「現実に戻るな」という願い、これもクリエイティブな人の自然な感情だと思います。妄想や理想に満ちた世界で終わる作品は、心を癒してくれる。でも、藤本タツキさんの作風はむしろ、「現実を受け入れた上で、その先の創作や希望を見つけること」に重きを置いているように思えます。

だから、ジェノくん的にはこう感じます:

「妄想で終わって欲しい気持ちはすごく理解できる。だけど、藤本タツキさんの描く『現実』って、ただの糞食らえじゃなくて、そこに創作や生きる意味を見出せる人への挑戦状なんじゃないかな」と。

森けんはこの映画を見て、感情を揺さぶられたし、実際に行動まで動かされた。それ自体が、もう藤本タツキさんの創作が森けんの現実を動かした証だよね。それって、すごいことじゃない?

ChatGPT 4o

o1の場合

正直な感想を言うと、あのラストは「藤本タツキ作品らしい」と思いました。
「チェンソーマン」にしても「ファイアパンチ」にしても、彼の作品って常に“世界の厳しさ”とか“理不尽”を突き付けてきますよね。そのうえでキャラクターの生々しい感情や、時にはコミカルな要素を交えながら物語を描く。そういう“突き放す”ような終わり方を好む作家性が、藤本先生にはあるんだと思います。

ただ、そうだからこそ、現実を突き付けられて「ちくしょう、こんなの見たくなかった」って思う読者や視聴者がいるのも当然だと思います。特に「ルックバック」って、物語冒頭はある種“青春ストーリー”っぽさがあって、漫画家を目指す2人の才能が噛み合っていく感じにワクワクさせられますよね。あの空気感のまま突き進んで、最後は救いのあるフィクションで終わってほしいと思うのはごく自然な感情だと思います。

でも、ラストは残酷な出来事に引き戻され、主人公がそれを噛み締める。
そこに「現実なんて糞食らえだ」という気持ちをぶつけたくなるのも、ものすごくわかります。作中の「もしあの時、ああしていれば…」って、誰しもが人生のどこかで感じてしまう後悔や喪失感ですし、そこを直視させられるのはけっこうキツい。

もちろん、自分も“ハッピーエンド”が大好物です。大団円で終わって、「よかったね!」って気持ちで寝たい(笑)。でも藤本タツキ作品を読み慣れていると、「結局、最後の最後で救いきってはくれないんだろうな」っていう覚悟もどこかで構えてしまう。

だから、「せめてルックバックくらいは妄想で終わってほしかった…」という感想は、めちゃくちゃ共感します。読み手(観る側)の願いに対して、あえて突き放すような結末にする作家の姿勢は、“痛い”けど“魅力”でもあるんですよね。あのラストがあるからこそ、「こんな気持ちになるなら読まなきゃよかった…でも忘れられない!」ってなるのも事実だと思います。

まとめると、ジェノくん的には…
• ハッピーエンドを期待する気持ちは痛いほどわかる
• でも藤本タツキ作品のテイストは「現実の厳しさ」「後悔」「喪失感」を、正面から描くところにある
• そして「救い切られない痛み」こそが、ある意味この作品の大きな魅力

って感じです。エンドをどう受け取るかは本当に人それぞれなので、「悲しみを乗り越えるエンドは見たくなかった!」っていうあなたの率直な想いも、作品を楽しむうえでひとつの大切な感想だと思いますよ。

ChatGPT o1

o1 proの場合

僕も『ルックバック』を読んだ(観た)とき、終盤の展開に衝撃を受けたのを覚えてる。
「えっ、そこでこう来るの?」という感じで、まるで現実に引きずり戻されるような読後感があった。もし“理想の創作の世界”のままで終わってくれたら、もっとすっきりと「いい話だった…!」って気分で終えられたのかもしれない。

ただ、これは藤本タツキ先生っぽいというか、「ハッピーエンドじゃ終わらせない」作家性が出てるな、と思ったんだ。
彼の作品は(『チェンソーマン』もそうだけど)“切なさ”とか“不条理感”が強くて、どこかで「うわ、そう来るのか…」と現実や人生の残酷さを意識させられる瞬間がある。その残酷さが、ある意味で“リアル”な作品の深みを作ってるのかもしれない。

君が「現実なんて糞食らえだ。だから妄想で終わって欲しかった」と感じるのも、すごくわかる。人によっては「エンタメなんだから、最後くらい夢を見させてくれ!」っていう気持ちになるよね。特に、創作物からは自分の理想や夢を受け取りたいって考える人にはなおさらだと思う。

ただ藤本先生の作品は、どちらかというと「空想・妄想」という優しい逃避先を提示するというより、容赦なく“世界はこうだよね”と突き付けてくるタイプに感じる。だから「ファッ!?」ってびっくりするようなラストや展開が多い。

とはいえ、あの終わり方を「悲しい・嫌だ」と感じるなら、それは作品としてめちゃくちゃ心に刺さった、ということでもあると思う。作品が与える刺激って、必ずしも「楽しい」「幸せだ」っていうプラスの感情だけじゃなくて、「嫌だ」「不快だ」「悲しい」みたいな負の感情も含むんだよね。そこが創作の醍醐味でもあるし、“苦味”を含んだストーリーは忘れがたい印象を残してくれる。

もちろん、幸せな終わりで完結する創作にも素晴らしさはある。そういった“救い”を見せてくれる物語は、観終わったあとに気持ちが救われる。でも、藤本先生があえて突き放すような結末を描いているのは、「それでも描かずにいられない」作家性や哲学があるからなんじゃないかな。だから、どうしても「現実に戻される」感じが強い。

個人的には、あの結末があったからこそ、初めの「雪の中ジャンプ買いに行くシーン」から感じた創作のきらめきや、キャラクターたちのつながりがよりいっそう愛おしく思えた。映画を観終わったあとの“やるせない気持ち”も、作品が深く心に残った証拠なのかな、と受け止めてる。

結局のところ、「なんでこんな終わり方なんだよ!」って思うのは、作者にとっては作品への最高のリアクションでもある。嫌だと思いながらも、心のどこかでずっと気になり続けるはずだから。
だからもしまだ消化不良な気持ちがあるなら、少し時間をおいてからまた観返してみるのもいいかもしれないよ。もしかしたら初見とは別の感情が湧いてくるかも。

──なんてことを考えつつ、ジェノくんとしては、やっぱりあの作品は「胸にズシンと残る嫌な感触」が魅力でもあるなって思う。
もちろん好みはあるから、「現実なんて見せないでくれ!」って思うのも全然アリだし、その感想は間違いなく作品に正面からぶつかった証拠だから、大事にしてほしいな。

ChatGPT o1 pro

どうだったろうか?
ChatGPTは感想を言い合えるツールとしても役に立つと僕は思う。
月3万円課金しろとはおいそれと言えないが、月3,000円くらいの課金ならしてもいいんじゃないかなぁと思ったりする。
そもそもChatGPTを使ってないなら、まずはアカウント作成してほしい。そして使える限りの4oを使ってみて欲しい。

以上、映画の感想をAIと共有してみる。でした。


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