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僕の原点

「しゃあないやん」

NHKの朝ドラ「おちょやん」で、トータス松本が演じるダメ親父のセリフを聞いて、イラッとしたと同時に、自分の原点を思い出した。

「しゃあないやん」

人生を投げたわけじゃない。
諦めてしまってるわけじゃない。
酒とため息で冗談めかして、ふと漏れ出てくる言葉。

子供の頃から僕は、この言葉が大嫌いだった。
この言葉を聞くと、無性に腹が立った。
でも、自分自身に自信がなくなった時、失敗した時、落ち込んでいる時には
前向きな言葉よりも説教よりも、この言葉に触れるとすべてが水に流れるような、そんな気持ちになった。

でも実際は、その失敗や自信喪失が水に流れることなんて一度もなかった。
水に流そうとすればする程、身体の奥底に澱(おり)のようなものが溜まっていくだけだった。

「しゃあないやん」という言葉は、大阪を意味する。
だから大阪の街には、そんな澱(おり)がこびりついているように感じていた。
流れる川も、湿った空気も、すべてがモヤモヤした意識を含んでいるように感じた。
そしてこの街は、自分の奥底に眠っている「弱さ」を、薄い膜のようなもので覆い隠そうとしてくれているかのように感じた。

「ここにいちゃダメだ。」
「こんな場所にいたら、前に進もうとする気持ちを失くしてしまう。」

この街の持つ雰囲気、「しゃあないやん」で水に流そうとしているように見える、そんな波長に同調することで感じる心地よさを、そんな自分自身の甘さを嫌悪した。
だから僕は、この街を出た。戻りたくないと、強く感じた。
でも、気が付くと僕はどこへ行っても、街の何処かにその澱(おり)のようなものを探していた。遠く離れた街で見るそれは、他人事のようで、だからこそ何だか心地よく、懐かしささえ感じた。

生きるために働く。考えることを止めるために呑む。忘れるために笑いあう。どんな街にも、そんな人たちがいた。
弱いものを憎み、汚いものや見窄らしいものに無性に腹が立つこともあれば、そんな人たちに惹かれ、無性に恋しくなる時もあった。
ドヤ街や場末の居酒屋で酔いつぶれ、明日を考えることなく、日々汗を流す彼らの笑顔は、屈託がないように映った。

幸せって何だろう?いつも考えていた。でも、答えなんて出なかった。
街は整備され、汚いもの、不潔なものが消えていった。
経済は効率化され、ただ身体を動かし汗を流すだけの仕事もいずれは消えていくのかもしれないと感じた。

「ただ、生きる。」「特に理由もなく、生きる。」ことは、幸せとは無縁なのだろうか?
「幸せ」という意識を持つこと自体が、「ただ、生きる。」こととの決別を意味するのだろうか?

整備され清められ、無害化された「現実」が、目には映らない場所へと追いやられた汚れたもの、覆い隠された澱(おり)のようなものを生み出し続けているようにも見えた。
排除するのではなく、共に生きていく道を探さなければ、その「闇」の部分は、街にスラムを生み出し、人々の心の中にも「闇」を創り出すだろうと、そんな風に考えるようになった。

しかし、それは簡単なことじゃなかった。
自分の中にある弱さや闇を見つめ、共に生きることは難しい。
自己実現、成長、成功...モノが溢れ、情報量が大きな価値を持つこの時代を生き抜くために、人々は強迫観念のように様々な知識や考え方、より良く生きる方法論にすがろうとしていた。立ち止まること、後退すること、ましてや自分の心の闇に引きこもることを避けているようにも感じた。

「前向きで、プラス思考。」何処へ行っても、この思考からは逃れられないと感じた。マイナス要素、つまり闇は排除され、忘れ去られているように感じていた。
そんな状況に「しゃあないやん」と言う言葉は、存在しない。
でも今も、大阪という街は「しゃあないやん」で溢れている。

経済状況は厳しい。新型ウィルスだって蔓延して、大変な状況なのに、それでもおっちゃんやおばちゃんたちは、「しゃあないやん」と言って笑ってる。
だからと言って、すべてを諦めてしまっているわけではない。
投げ出してしまっているわけでもない。大阪という街は、その「しゃあないやん」を受け止め、川に流し、薄汚れた街角に解き放つ。

でも、それでも大阪のおばちゃんは元気でずうずうしいし、おっちゃんも我が物顔で歩きタバコしながら街を闊歩する。悲観的なことばかりなのに、何故か楽観的に見える。
だから、時々憎らしく見える。でも時々、無性に懐かしくなる。そんな街、大阪。

ある意味で、大阪という街は、光と闇の共生という、未来の街を創り出す可能性を秘めた街なのかもしれない。そしてその町で生まれ育ったことが、僕がドラマネに辿り着いた原点なのかもしれない。