ナザレの食卓に出るものは… ナザレ ポルトガル 〜旅人の悲哀編〜
復刻版「 路地裏ニャン方見聞録」(NEKO、元:ねこ ネコパブリッシング社) 連載。なんと、写真がありません。写真なしでフォトエッセイが成立するのか! 乞うご期待!
ナザレは荒らぶる大西洋に面している。町を歩くと黒い民俗衣装に身を包んだ女性たちが魚の干物を作っていたり、細い路地では七輪で魚を焼いていたりする。どことなく古き日々を彷佛とさせるノスタルジックな雰囲気が漂う漁業の町へやってきた。
バス停の表示がないバス停
コインブラという、リスボンより北に位置する学園都市から3両編成のディーゼル列車に乗って、オリーブ畑やワイン畑を向こうに眺めながら走ること2時間、列車は周囲を緑に囲まれた田舎駅に到着した。ナザレは大西洋に面した漁村と聞いていたのに、駅はなぜか草原にポツンとある。本当にこの駅で良いのだろうか。駅名を確かめてみるとやはり合っている。周囲の人にちょっと困っていることをアピールするために、神妙な面持ちで旅人の悲哀を全面に出しながら駅を出て、ナザレの村に行くためにバス停を探してみたのだが、どこにもない。しかも誰もいない。これじゃせっかくの旅人の悲哀が台無しである。日本から持ってきたあてにならないガイドブックにはバス停は駅前にあると書いてあるのにどこにもない。いったいどうすればいいのかと困っていると、歩道におばあちゃんが立っていたので、バス停はどこなのかを訪ねると、「アキー(ここよ)」とその場所を指差すではないか。しかしその場所を見ても標識もないし、何の目印もない。でも、おばあちゃんがここだというならそうに違いない、おばあちゃんの知恵袋に頼ってみよう。
おばあちゃんと並んでバスを待ちながら、目の前を歩く毛だるそうなネコを眺めていると、本当にバスが来た。ありがとうおばあちゃん。それにしても本当にあそこはバス停だったのだろうか。ちょっと疑わしい。やっとの思いで乗ったバスは木々の間をのんびりと進んでいる。車窓からの風景はとても美しく、降りて写真でも撮りたくなる。しかしバスなので、気に入った場所があったからって、止まってもらうこともできないので、その風景を心に刻むことにした。
バスが長い直線の坂道を上り切ると、眼下には白い壁にオレンジ色の屋根が映えるナザレの家並みと、眩しいばかりの太陽の光りを反射する大西洋が広がっていた。
生臭いのは苦手だったりする
村に降り立ってすぐに感じたのは、なんだかとっても魚の生臭さが漂っていたこと。僕はこの生臭さがとっても苦手なのだ。おぼろげな記憶ではあるが、こんなことがあった。僕がまだ物心もつかない2歳当時、今は亡きおばあちゃんが、お刺身大好き坊やだった僕が、余りにもうれしそうに刺身を食べるものだから、調子に乗ってたくさん食べさせてくれたのだ。そして当然のように食べ過ぎで吐いた。それ以来僕は刺身が食べられなくなってしまったのだ。余談だがその頃は僕の頭の毛が全て抜け落ちて、マルコメ君になってしまうという難病に冒されていたらしい。まだ歩くことすらできなかったのに、この幼児体験は今でも鮮明に覚えている。かわいい坊やにとって、大好きなものを食べて吐いてしまうということは衝撃的だったのだろう。そのせいか、魚の刺身は今もって食べられないでいる。だから生臭さが漂うたびに一人で、「オェーッ、オェーッ」と苦しんでいたりするのだ。決して、「オーイエーィ」と喜んでいるわけではないのである。
髪の毛はどうなったと心配してくれている方が多数いると思われるため、ここで発表します。「髪の毛は無事に生えて、今はボーボーです」。
路地裏にある平穏な風景
白壁の村並み、青い空、青い海そして町のそこかしこで見られる魚の干物がのどかな漁村の雰囲気を醸し出している。ナザレはヨーロッパでも有数のリゾートらしいのだが、この風景を見る限りそんなおしゃれな印象は全く受けない。
ネコはいないかなとカメラ片手にナザレの路地裏をブラブラ歩いていると、どこからともなく何かを焼くいい匂いがしてきた。匂いのする方へ鼻をクンクンしながら歩いていくと、おばちゃんが家の前で魚を焼いているではないか。それも、炭火を使った本格的なイワシの塩焼きだ。その横ではイワシが焼けるのを待ちながら、女の子がクロネコと遊んでいる。僕はこんな魅力的な風景がたくさんあるナザレが好きである。
猫写真家 森永健一 インスタグラム