#530 その腕時計で大切なものを失ってはいけない
ソフトテニス、愛媛での全国中学生大会が終わった。男女ともに、近畿勢のレベルの高さを改めて実感する結果となった。これで、小中高のカテゴリーにおいて全国大会が終了したことになる。あとは大学のインカレと、天皇杯・皇后杯が全日本クラスの大会として残る。
その愛媛全中のX公式アカウントにて、開会前に以下のようなアナウンスが掲載された。
最初、理由が全く分からなかった。髪型や服装などについて、旧時代の根拠に欠ける制限をなくしていこうという風潮の中、なぜ中学生のソフトテニスプレーヤーが腕時計をしてはいけないのか。また中学部活独特のよくわからないルールなのか?という憶測すらあった。しかし、翌日に再度理由を添えてアナウンスされた以下の投稿をもって、なるほどと納得するしかなかった。
そう、スマートウォッチである。選手が着用しているスマートウォッチにメッセージアプリなどを利用してコーチングの時間以外にも指示を送るような事例が確認された、ということだ。全中の開会前にこういったことがアナウンスされるということは、各都道府県予選やブロック大会でそういった行為が確認されたということだろう。呆れるとともに、よく考えたものだとちょっと感心してしまった。真似するつもりはないけれど。
試合中に監督やコーチが選手に指示を送ることを可とするか不可とするかは、競技の特性によって異なる。サッカーなどは監督が声を張り上げて指示を送るようなシーンが普通だし、野球でも監督やコーチによるサインプレーが常だ。アメフトなどでは、スポッターという観覧席の上段の方に構える人から監督に向かって、通信機器で相手の陣形の穴などを伝える役割を持つ人がルールの範囲内で存在する。
対して、ソフトテニスのような競技ではフォーメーションもシングルスかダブルスのように少人数で、プレーエリアも選手自身が見渡せる程度の広さしかない。選手個人が自分で状況を把握して考えてプレーするということが成立しやすい。監督やコーチが一つ一つのプレーについてわざわざ指示を出す必要がない。もちろん、集団競技の場合も無くても成立はするが、監督やコーチ、アメフトの場合はスポッターの人も含めてのチーム力で戦う競技と考えれば、それは競技特性を生かした形と考えられる。
野球には犠牲バントや進塁に徹するヒッティングなど個人が犠牲になってもチームの得点に結びつけるようなプレーが存在するし、サッカーやアメフト、バスケなどにも相手ディフェンスを引き付けるための囮のような役割も存在する。しかし、ソフトテニスのような極めて少人数で戦う競技においては、プレー中において選手個人が誰かの犠牲になって、というようなプレーは基本的に行われることはなく、チームの戦いというよりは個の戦いとなる。そういう競技において、監督やコーチの介入を極力減らすというルールは極めてフェアだと思われる。
選手を、我が子を勝たせたいという想いは十分理解できる。しかし、ルールの範囲を逸脱した行為の先での勝利から、子どもたちは何を得るのだろうか。一時、勝利至上主義への是非が話題となったことがあるが、これこそまさに、憂慮すべきことなのではないかと思う。
(了)
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