まえがき
私にとって人生とは、私と環境との相互作用によってもたらされる日々であります。私は、家族、友人、そして環境と調和するために生きています。また、私は成長するため、人生の質を向上させるため、知的好奇心を満たすため、そして自分の能力を日々試すために生きています。あえて人生の意味を求めるとすれば、それは、自分の哲学を世界に伝えることで、より良い世界を作ることに貢献することです。
私の哲学的な問いの出発点は、「“私”がどのように“生きる”か」でした。それは自身の苦悩、不安や恐れと対峙することによって生まれた必然的な問いだったのです。
これまでの私の人生において、最大の苦悩であったのは「私が私であること」に対する否定でした。何の悪気もなく、「ただ自然でいること」に対する否定です。私は思春期頃から心の中に理不尽を抱え始め、それはのちに無力感、虚無感へと変わっていきました。無意識下での抑圧、不信感、対人恐怖、不安、鬱。私が描く理想を追いかけながら、表面的には“心が健康な”人並みに振る舞い、当時は自身の心の闇に対処するのが精一杯でした。
しかし、私が哲学してきたことは、私が生きていくための自発的な脳の活動であったといえます。
なぜ世界は理不尽なのか。なぜ私の人生は思うようにいかないのか、私とは何者なのか、なぜ私は私なのか、なぜ私はこの体の中に入っていて、あなたの体の中ではないのか。私の脳はどのように世界を認知しているのか。幸せなはずなのに、次から次へと沸き起こる不安と焦燥。これらの問いかけは、私を含め、それぞれの人が抱えている問題として、みなに共通するものであると思います。人それぞれが各々の「“生きる”ための問題」を抱えているのです。私、そして私たちの問題の根源は何なのか。社会の問題はどこから来るのか。
私はその答えを宗教でもなく、スピリチュアルでもなく、自然科学の中に探りました。経済学、心理学、生物学、脳科学、哲学、まだまだ勉強したりませんが、今私の考える世界観・人間観が大きな枠組みの中にざっくりと捉えられています。生物としての人間、物質とエネルギーの流れとしての人間。そして自由な心を持つ人間。今全体像が漠然と私の中にあるのです。それは最先端の科学者の専門的な知識にはとうに及びませんが、私なりの自然科学の知識に基づいた、事実と仮説から現在の結論に至っています。私のメタ認知的な視点をもって、この世界や人間を客観的に捉え、より良い自分、より良い世界、より良い未来を目指すための、1つの「世界の捉え方」。
この文章では、「生きること」に向き合う人のために、より良い世界を作るための実践者の1人として、私自身がたどり着いた「世界の捉え方」を紹介したいと思います。
morikawatanbo
文章指導:金田一 志帆
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?