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【連載2】狩猟採集民の定義と未開国家までの通説、そして今

──狩猟採集民の本ばかり読んだおじさんに芽生えた思想 #2


◎狩猟採集民の定義

狩猟採集民とはどんな人たちなのか。

当ブログは軽い読み物にするつもりで、お勉強っぽいことは書きたくないんですが、大事なことなので今回はおつきあいください。人類学者・尾本惠一の『ヒトと文明』(ちくま新書、2016)を参考に書きます。

狩猟採集民(ハンター・ギャザラー)は、一般に農耕民(ファーマー)と対置される人びとで、狩猟と採集で自給自足をしています。以下は、尾本氏による解説です。

 狩猟採集民(ハンター・ギャザラー)は、食料獲得者(フォーレジャー)とも呼ばれ、周囲の自然から食料を獲得して生活する。普通、イヌ以外の家畜を持たない。
 狩猟採集民はすべて遊動生活者(ノマド)との固定観念があるが、それは誤りである。①非定住で遊動生活を行う古典的狩猟採集民のほか、②定住し特定の植物の栽培(園芸・園耕)を行う者。さらに③大集落や大型建造物を造り、他地域の集団と物資の交易を行う「複雑な狩猟採集民」(コンプレックス・ハンター・ギャザラー)または「豊かな食料獲得者」(アフルエント・フォーレジャー)と呼ばれる集団がある。

『ヒトと文明』(ちくま新書)134ページ。太字は引用者

日本の研究者がフィールドワークしているのは、南アフリカのサン・ブッシュマン、中央アフリカのムブティ・ピグミー、西アフリカのバカ・ピグミー、東アフリカのハッザ、マレー半島のスマク・ブリ・ネグリト、フィリッピンノアエタ、同アグタおよびママヌワ、極北アメリカのイヌイット、日本のアイヌなどだそうです。当ブログでは、翻訳書による人びとも扱うので、もう少し登場します。

狩猟採集民の特徴として、尾本氏は10項目挙げています。(*マークのある項目は、豊かな食料獲得者のなかに例外があることを示す)

① 少数者の集団(子どもの出生間隔が比較的長い)。
② 広い地域に展開して定住する(低い人口密度)。
③ 土地所有の観念がない(共同利用)。縄張り意識はある。
④ 主食がない(多様な食物)。
⑤ 食料の保存は一般的ではない。*
⑥ 食物の公平な分配と「共食」。平等主義。*
⑦ 男女の役割分担(原則として男は狩猟、女は育児や採集)。*
⑧ リーダーはいるが、原則として身分・階級制、貧富の差はない。*
⑨ 正確な自然の知識と畏敬の念にもとづく「アニミズム」(自然信仰)*
⑩ 散発的暴力行為・殺人(とくに男)はあるが、「戦争」はない。*

それぞれの詳しい説明は避けますが、⑩の戦争にだけは軽く触れます。

「狩猟採集民に戦争はない」と書くと、「パプア・ニューギニアのダニ族は戦争をした」と反論されます。ジャレド・ダイアモンド『昨日までの世界』(日経ビジネス人文庫)やユヴァル・ノア・ハラリなど(河出文庫)に登場するからかもしれません。ローレンス・キーリーという人はダニ族のほかにも「北米の平原インディアンにおける大量殺人の考古学的証拠」をもって部族間の戦争があったと主張しているらしい。尾本氏はこう反論します。「しかし私が知る範囲では、これらの集団はすべて農耕民か、あるいは豊かな食料獲得民であり、古典的(遊動的)な狩猟採集民ではない」。ダニ族に関しては、ハラリの本に「農耕コミュニティの間の部族戦争」ときちんと明記されています。ダイアモンド『昨日までの世界』はいろいろと勉強になるものの、狩猟採集民・豊かな狩猟採集民・農耕民・遊牧民の違いを説明していないので誤解を生みます。ちなみに、ハラリを私は評価していません。

◎未開社会の種類

未開社会は、「バンド」「部族」「首長制社会」「未開国家」の順に変化したという社会進化説があります。アメリカの文化人類学者エルマン・R・サーヴィス(1915-1996)『民族の世界──未開社会の多様な生活様式の探究』(講談社学術文庫)は、サーヴィスが著した『民俗学の輪郭』Profiles in Ethnology (1958年に発表され、1971年と1978年に改訂版が出ている)に収録された23の民族のうち、10の民族を抄録しています。

まず、「バンド」とは何か、定義を見ましょう。

「バンドは、人間社会のうちでもっとも単純な種類の社会統合の形式であり、いくつかの家族が集まってできた、小さな自立した地域集団である。その成員数はせいぜい五〇─七〇人ていどであり、バンド内は分業もなく経済的に平等で、また主張のような固定した地位をもつ指導者もいない。バンドは、旧石器時代の人類社会に最も普遍的な社会形式であった。(略)

『民族の世界』(講談社学術文庫)28ページ

──だそうです。おそらく狩猟採集民は「バンド」もしくは「部族」への移行期間を指すのでしょう。『民族の世界』には「バンド」として、「アンダマン諸島人」と「カラハリ砂漠の!クン・サン」の暮らしが紹介されています。後者はいわゆる、クンとサンはいわゆるブッシュマンです。

つづいて「部族」(トライブ)の説明です。

 部族とは、それぞれが複数の家族から成る親族集団が分節となってできあがった社会集団であり、成員数においても複合土においても、またその規模においてもバンド社会をうわまわる。しかし、部族社会には、政治、宗教を専門に処理する首長、神官のような社会的地位、役職は確立しておらず、また性と年齢にもとづくもののほか経済的な分化もみられず、平等主義的な傾向がつよい。部族は地域共同体として明確な自己認識をもち、通常外部との戦いに対して結束し、その成員の損害に賠償請求の権利を認めている最大の集団である。
 旧石器時代においても、例外的に豊かな自然環境においては、部族社会の形成は可能であったろうが、なんといっても、部族社会が多くなるのは、人類史に新石器文化があらわれて以後である。

『民族の世界』92ページ

「上部ナイル河のヌアー族」と「アメリカ南西部のナバホ族」が部族として紹介されます。いずれも生業は牧畜や農耕です。

その後、社会の規模が大きくなるにしたがって、首長制社会や未開国家が生まれていきます。首長制社会は「メラネシアのトローブリアンド諸島民」(クラという贈与が有名です)、「ポリネシアのタヒチ島人」、未開国家は「ペルーのインカ帝国」「南アフリカのズールー族」が紹介されます。読み進めるとわかりますが、だんだん驚きのない、つまらない社会になっていきます。バンドがいちばん面白いのです。私たちと違いすぎて。

◎逃げた人びとと、国家に縛られている私たち

とはいえ、人間社会は、バンドから部族、部族から首長制、そして未開国家へと単純に移行したわけでもないようです。近年、農耕以前に単発的に階級社会があったと思われる遺構があったこともわかっています。理想の狩猟採集民にあてはまらない人々を「複雑な」狩猟採集民や「豊かな」狩猟採集民として無限に細分化して除外するなと、デヴィッド・グレーバー、デヴィッド・ウェングロウは『万物の黎明』で批判していました。いちおう念頭に置いておきましょう。

アメリカの政治学者・人類学者のジェームズ・C・スコットが書いた『反穀物の国家』(みすず書房、原著2017)には、人びとや奴隷を支配する未開国家=初期国家は、わりと簡単に崩壊したと書いています。

初期国家の臣民が、税や徴兵や伝染病や抑圧から逃れるために農業からも都市の中心地からも離れていくことは、決して珍しいことではない。ひとつの視点から見れば、これは狩猟採集や遊牧と言った原始的な生業形態への退行かもしれない。しかし別の視点からは──わたしはこの方が幅広い見方だと考えているが──これは労働と穀物という税を回避し、伝染病から逃れ、抑圧的な農奴隷を、大きな自由と物理的な可動性、そしておそらくは戦闘での死亡と交換したのではないだろうか。そうしたケースでは、国家の放棄は解放として経験されただろう。

『反穀物の人類史』(みすず書房)192ページ

初期国家は、燃料(薪)の調達が難しくなったり疫病が流行するなど、弱点が多かったらしい。支配され税金を取られ、戦争に駆り出され……なんて地獄ですよ。

スコットの「税や徴兵や伝染病や抑圧から逃れ」たいなんて共感しちゃいます。中世日本の農民も逃げました。「逃散」といいます。

明治以降の日本にも政府に補足されてない自由な人たちがいたにちがいありません。それなのに、私たちはすっかり近代国家に支配されました。戸籍に登録されマイナンバーを付与され、なになに税を払えと請求書が届きます。暮らしているだけなのにカネをとられるんです。もちろん相応の公共サービスを受けるならかまいません。でもね、法人税が減らされて逆進性の高い消費税が上がり、今や税負担はほぼ五公五民。与党政治家は裏金をつくって税逃れをしている一方で、岸田政権は防衛増税をすると宣言したのです。「台湾有事は日本の存立危機事態だ」なんて与党議員が口走ります。「戦争やるぞ」と息巻けば、自衛隊を志望する人は少なくなるでしょう。次は徴兵ですね。

「国民とは税金を払い、戦争が起きたら国民は命を賭けて戦うものだ」

そうイキる人もいるかもしれません。皮肉で書けば、教育の勝利でしょう。人間はみんなどこかの国に属し、その国に報じなければいけないなんておかしなことです。

私が考える政治家の仕事は「再配分」と「戦争しないための外交」以外にありません。日本が台湾有事とやらで中国とドンパチやると、輸入が止まり、日本に暮らす大半の人は餓死すると指摘されています。生き残るのは、ぽつんと一軒家で自給自足している人でしょう。

──おっと、話が先走りました。いずれまた詳しく。

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★参考文献

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