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投票率が低いのは学校教育のせいだ

今回も番外編です。衆院選について書くのはこれで最後にします。


★ 「選挙にいっても何も変わらない」のか? ★

衆議院選挙が終わりました。情報収集したり、演説を聞きにいったり、忙しかった。自公が過半数割れしていたので、ひとまずほっとしています。

投票率は 53.85%。衆院選では、2014年、2017年に次ぐ、3番目の低さだそうです。戦後、衆院選の投票率は60%台後半から70%で推移していましたが、1996年に初めて60%を割り、2012年から5回連続で50%台になりました。参院選は1992年から11回連続で60%以下で、50%を切ったことも2度あります。

「投票率が低いと、組織票をかためている自民党が有利になる」と言われます。しかし、不思議なことに、今回はその逆の印象が起きました。自民支持者だけど裏金問題などで今回は他党に投票したか、棄権したか……。詳しい分析を待ちましょう。

ところで。街頭インタビューなどで、「選挙に行ったってなんにも変わらない」「自分の1票で世の中は変わらない」というセリフをよく聞くのです。リンクの記事2つから、投票しなかった人のセリフを整理してみましょう。

  • 「裏金はよくないと思うけど、政治家はみんな悪いことをするものでは」女性(24)

  • 「政治の力で収入が増えたらうれしい。けど、休日に投票所に行って、投票した候補者が当選したとしても、どれだけ活躍するか分からない。自分で仕事を頑張ったほうが効率がよさそう」男性(43)

  • 自分のことと思ってなくて面倒くさい」男性(31)

  • 「大学が投票を呼びかけているけど、周りの友人も行かないので興味を持てない。裏金問題も自分に害はないと感じていて投票したいとは思えなかった」「消費税は下げてほしいけど、自分の一票で当落が決まることはないだろう」男性(22)

  • 「バイトがあったのと、政治のことをあまり知らない」19歳男性

  • 難しくてよく分からなくて、誰に入れようかな。そこからなんですけど」30代女性

  • 「行かない理由は、一票ではそんなに変わらなくない? 自分がどうこう言っても始まらない」40代男性

「政治家はみんな悪いことをする」「自分の1票で世の中は変わらない」という定型句、「政治は難しい」「忙しい」「面倒くさい」……。

政治って、自分の暮らしの話なのに、関心がない人が多すぎます。

一念発起してや投票する気になっても、ふだんから政治家の言動や国会中継をチェックしてなければ、どの政党がどんなことを考えているのかわかりづらいでしょう。普段からニュースに接している必要があります。

★ おまかせ民主主義が危険な理由 ★

外交や経済のことはよくわからないし、忙しくて調べていられないから、エキスパートである政治家に委任しておけばいいだろうというのを「おまかせ民主主義」と呼びます。政治を政治家に委ねてしまうとファシズムに陥る危険があると書いたのは丸山眞男でした。

(略)現代政治の技術的複雑化からして、政治のことは政治の専門家ではないと分からないから、そういう人に万事お任せするというパッシブな考え方が国民の間に発生し易い。エキスパートに対する度を超えての無批判的信頼が近代人の特色だとエーリヒ・フロムも指摘していますが、これが政治の分野にまで及んで、政治的無関心を増大させ、デモクラシーを内部から崩壊させていくのであります。

『超国家主義の論理と心理』1949

アリストレテスが『政治学』の中で、「家の住み心地がいいかどうかを最終的に決めるのは建築技師ではなくてその家に住む人だ」ということを言っていますが、まさにこれが民主主義の根本の建前です。(略)政策を立案したり実施したりするのは政治家や官僚でも、その当否を決めるのは、政策の影響を蒙る一般国民でなければならぬというのが健全なデモクラシーの精神です。政治のことは政治の専門家に任せておけという主張はこの精神と逆行するものですが、とかく近代社会の分業と専門化に伴ってこういう考え方が起り易く、これがファシズムの精神的培養源になるわけです。

『超国家主義の論理と心理』1949

料理の評価をするのはコックさんではなく客です。あたりまえですよね。同じように、暮らしやすさを評価するのは政治家ではなく市民であるはずなのに、いざ政治に文句を言うと、「じゃあ、お前が政治家になれ」と罵られます。「この店のラーメン、まずかったなあ」「カープの監督、采配おかしいぞ」と言う人に向かって「お前が中華料理店やれ」「お前が監督やれ」とは言わないのに。(カープの監督は1週間くらいやってみたいぞ)

「政治のことはよくわからないから……」と言い淀んでいるうちに民主主義は倒壊し、「ファシズムの精神的培養源」になっていく。ただでさえ、「日本は日本の歴史の全期間を通じて、いちじるしく階級的、カースト的な社会であった」(ルース・ベネディクト)のです。政治家を先生と仰ぎ見て、どうぞおまかせしますとお追従笑いを浮かべていると、いいように苦しめられます。字面どおり「民主」主義は、有権者が主であるのに。

★ 投票しない人間をつくる学校教育 ★

なぜ「投票に行ってもなにも変わらない」「専門家=政治家にまかせておけばいい」と考えてしまうのか。

「水戸黄門」「暴れん坊将軍」など、多くのテレビ時代劇では、事件にまきこまれて為政者に怒る子どもに、「お上に逆らうもんじゃねえ」と親父が戒めました。結果的に一家は救われるのは、黄門さまや将軍吉宗とたまたま知り合ったからです。つまり、お上よりもっと上の人物とコネができた場合のみ、たまたま救済されるのです。──こうしたマンネリの物語を再放送ふくめ毎日のように見せることで(制作サイドは意識してないかもしれませんが)民主主義にそぐわない権力構造を視聴者に啓蒙してきました。

いまどき時代ドラマは流行らないかもしれませんが、相変わらず、おまかせ民主主義を蔓延させる土壌となっているのは学校です。

私の場合、学級委員の選挙をしたのは小学3年生のときからだったと記憶します。学期ごとに毎年3回選挙をしたので、卒業するまで計12回。たしか4年生から生徒会の選挙に投票したので、それを加えて、15回も有権者になったのです。中学、高校の選挙も入れると、30回近く選挙をしました。

結果、なにが起きたでしょうか。

なにも起きなかったのです。誰に投票しても、学級運営、学校運営は1ミリも動かなかった。「投票に行ってもなにも変わらない」ことを繰り返し繰り返し頭に叩き込まれました。あんな選挙を続けていれば、自発的に政治参加しない有権者が再生産されるだけです。

★ どうすれば投票率が上がるのか ★

では、どうすれば、主権者意識をはぐくみ民主主義を高めていけるのか。投票率が上がるのか……。

投票率が80%を超えるスウェーデンの学校を参考にしましょう。『スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む』という衝撃的な一冊があります。

かの国の社会科の教科書には、次のような記述があるというのです──
*髪型や服装の校則に不満があるなら毎日破ってみましょう。何度も繰り返すうちにそれでいいのではないかと思われるかもしれません。
*社会がおかしいとおもったら、SNSや新聞の投書を活用するべきです。政治家ふくめ大人を味方につける文章を書くために国語を勉強しましょう。

私は腰を抜かしました。日本なら、「校則を守りましょう」「SNSに触れるときは騙されないように注意しましょう」と書かれるはず。スウェーデンの子どもは庇護すべき、教育すべき対象ではなく、ひとりの人間と見なされているのです。さすが、グレタ・トゥーンベリが育った国だわ。

よく「学校で主権者教育をしましょう」と言われます。それだって、大人が子どもに教えるという意味で、主従関係が生じています。「いちじるしく階級的、カースト的な社会」の日本では、年長者が年少者より偉いという意識があるのです。

まず、学校では生徒に自治権を与えることです。生徒会が教師と対等に話しあって不条理な校則を変えたり教師の体罰をなくしたりして、学校運営・教室運営に変化をもたられたら、おまかせ民主主義から脱却できます。選挙が自分の生活に直結しているという実感が生じ、「自分の1票で世の中は変わるかも」という期待が持てるはずです。日本中学生新聞の彼は、学校で政治の話をするなと先生に言われたそうです。なぜ自分たちの暮らしについて語ってはいけないのでしょう。おかしいぞ。

縷々書きましたが、自公政権が続くかぎり政治参加する有権者は育たないでしょう。国民はぼんやりしてくれていたほうが都合がいいからです。今回、裏金問題で一時的に議席を減らしましたが、どうせやつらはすぐに忘れるだろうとタカをくくっているんじゃないでしょうか。ここが正念場です。

社会人は、積極的に政治の情報を集めるほかないでしょう。自分が内面化している常識をアップデートする必要もあります。そのためには、テレビニュースでは圧倒的に情報が足りません。国会中継、新聞、ラジオ、ネット、書籍……とにかく関心を持つことです。クズみたいな情報もたくさん混じっているのでご注意ください。

話は換わりますが、ホヤは海中をフラフラして、安住の地を見つけると自分の脳みそを食べちゃうそうです。脳は莫大なエネルギーを必要とするから不要なんです。人間も定住してから脳が少し小さくなったとどこかで読みました。それでも、われわれは1500ccもある霊長類最大の脳を持っています。

政治のことを考えず、植えつけられた価値観を疑うこともなく、脊髄反射だけで生きる人のなんと多いことよ。テレビで誰かが言った「野党は批判ばかり」などのセリフをコピペしてイッパシのことを言った気になる人たちは、脳を使わないホヤ人間です。もっとも、じわじわ首を絞められていることを実感するより、目先の楽しさを消費するホヤ人間のほうが短期的にはしあわせなのかもしれません。

私はホヤになりたい。

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