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娘が母親になったときに安心して子育てができる「仕組み」作り|上鶴恵子さん
「オーガニック」と聞いて、読者の皆さんはどのようなイメージを抱くでしょうか?私が最初に思い浮かんだのは、有機農法で作られた野菜や果物でした。生成AIのひとつであるPerplexityに「オーガニックとは?」と聞いてみた所、以下の返答が返ってきました。
「オーガニックは、環境保護、生態系維持、そして人々の健康的な生活を目指す考え方です。これらを原則とした製品や実践を選択することで、持続可能な未来への貢献が期待されます」
この回答を読んで、筆者は「オーガニック」に対するイメージが変わりました。考え方や未来への貢献という言葉を目にして、世界観が大きく広がりました。
今回取材させて頂いた上鶴恵子さんは、「オーガニック」を伝えていこうとされています。恵子さんからは「オーガニックはすべての命を幸せにする仕組み」と教わりました。
そして、この話を聞いた時、手法は違っていても「すべての命を幸せにする仕組み」の実現に向けて動いているという点が共通していると感じたのです。
そんな恵子さんはどうやって今の活動に至ったのでしょうか。お話を伺いました。
自分の考えはほとんどない子供時代
行動力溢れる恵子さんのお話を伺い、てっきり子どものころから自分の考えを持って行動されていたと思っていたのですが、逆だったようです。
「茨城県で生まれ育ちました。長女だったので、親や先生などの周りに対して、いい子であろうとしていましたね。学級委員をしたり、親が喜ぶから勉強をしたりして、自分の意見はあまりもっていない子どもでした(恵子さん)」
筆者も長男なので、恵子さんの話に共感しました。合わせたくて合わせるのではなく、当たり前のように合わせているという状態。自分の考えを出すということがわからないという子どもだったんでしょうね。
「親からすれば『自由にしてたよね』と見えていたようですけど、決してそんなことはありませんでした(恵子さん)」
引き続き勉強を続けた恵子さんは、大学進学時に京都の大学に行きたいと希望を伝えます。
「京都は家から離れすぎていると言われて反対されました。なので、指定校推薦で東京の大学に進学することにしたんです(恵子さん)」
自分が臨んだ大学ではなかったからか、まじめに勉強する気にはならなかったようです。それでも単位は取れていたので、要領のいい学生だったのでしょうね。
大学在学中にファッションの仕事に興味を持った恵子さんは、専門学校に見学に行きます。
「専門学校に行った時に、なぜかそこの先生に『あなたには向いていない』って言われたんです。ちょっとイラっとしましたね(笑)(恵子さん)」
ただ、この時にもし専門学校に進んでいたら、今の人生はなかったわけで、何がきっかけになるかはわからないものですね。
「そのあと、本の編集の仕事がしたいと思ってバイトを探しているときに出会ったのがデザイン会社でした。そこでバイトをすることになり、大学卒業後はそのまま就職したんです(恵子さん)」
デザイン会社で働くなかで出会った人生の転機
就職したデザイン会社で、恵子さんは大きな転機を迎えます。
「デザイン会社で仕事をするなかで、ヨットの世界一周レース『アラウンドアローン』に出場する白石康次郎さんにかかわりました(恵子さん)」
デザインと世界一周レースとがどんな関係を生み出すのか、興味深い話です。
「この仕事では、学校の総合学習で使用される教材作成の担当をしていました。白石さんと衛星放送を使ってリアルに教室とつなぎ、子どもたちと一緒に学習を行います。たとえば、がんばってと言うとプレッシャーになるから、歌でエールを送ろうなどと子どもたちが考えるんです(恵子さん)」
アラウンドアローンは、単独でヨットを操って世界一周をする過酷なレースです。その道中で子どもたちとかかわるなんて、素晴らしいことですよね。
「夜の海が凪の状態だと、星が海面に映って宇宙にいるようだという白石さんの日記は、子どもたちの想像力を掻き立てたと思います。白石さんのおかげで、素晴らしい総合学習になり、さらに自然も教科書なんだなと実感した時でした(恵子さん)」
この総合学習をきっかけに、恵子さんは子どもと自然にかかわろうと考えるようになったそうです。
この仕事を終えた恵子さんは、デザイン会社を辞め拠点を札幌に移します。札幌ではデザインの仕事をしながら、自然と子どもにかかわる機会をもつようになりました。
「札幌の自然学校にボランティアで参加したんですよ。その時は、冬の大雪山で遊ぶという企画もあったんです。冬の大雪山って危険なイメージがありますけど、そこ遊び場にしてしまうってすごいですよね(恵子さん)」
自然から離れて生きていると、勝手なイメージで判断しがちです。でも、現場に行けば自然と共存する方法が見つかるでしょうね。
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茨城県に戻ってくるも東日本大震災で生活が一変
札幌で1年過ごしたあと、茨城県に戻られた恵子さんたち。お子さんも生まれ、これから新生活というタイミングで東日本大震災が発生します。
「テレビで原発が爆発するのを見て、すぐにここを離れないとと思いました。幸い夫の実家が九州にあったので、2週間ほど避難しました(恵子さん)」
茨城県に戻ってきた時は、お子さんはつくばの保育園に通っていて、4月からは自主保育に通う予定だったそうです。つくばには研究者も多く住んでおり、保育に通う保護者にも研究者が多くいました。その研究者たちが、住み続けているのであれば大丈夫だと思い、一時は、お子さんを自主保育に預け、恵子さんもかかわります。
「ただ、完全に安心はしていませんでした。実際に母乳からヨウ素が出たり、どんぐりからセシウムが検出されるのを見て、このままでいいのかと疑問に思っていました。ガイガーカウンターを持って測定すると、まだらにホットスポットがあったくらいでしたから(恵子さん)」
特に当時小さなお子さんのいた恵子さんですから、子どもを守るためには慎重にならざるをえなかったんでしょうね。
「ある日、子どもが帰ってきたときに、汚染物質を家の中に入れないよう、服を脱ぐように言っている自分に気が付きました。そんな自分ってなんて嫌なんだろうって思ったんですよね(恵子さん)」
このことがきっかけで、恵子さんたちは山梨県甲府市へ移住されます。
「ただ、山梨も安全だとは思っていませんでした。周囲の人は大丈夫と言っていたけど、気になったので自主的に放射能マップを作成しました。その結果、これくらいなら安心というマップができたので、それを見て移住してくる人もいたようです(恵子さん)」
いいものはいい、ダメなものはダメ。しっかりと自分で調べて判断したい恵子さんの性格が現れている印象です。
子どもが小学校に進むタイミングで不便な生活をチョイス
甲府市の幼稚園では、手厚く迎え入れてもらい、食事も弁当だったので、自分たちで選んだ食材を持たせることができる環境でした。ただ、進学予定の小学校がマンモス校だったので、小規模の学校を希望する恵子さんは、富士川町に引っ越しを決意します。
「子どもに生きる力を教えたくて、敢えて不便な環境に身を置くことを選びました。電気を使う便利な暮らしをすることで、原発事故のような危険と背中合わせなのだとしたら絶対にぼっとん便所の家に住むと決めて探しましたね(恵子さん)」
お子さんが進学した小学校は、新入生が0で閉校危機の状態だったそうです。そこに、恵子さんのお子さんが入学したので、1年生が誕生します。
「ただ生徒のいない学年があったので、閉校する方向の議論が進められていました。そこで、存続活動にかかわり、全学年に生徒がひとりはいる状態を達成したんです(恵子さん)」
ここまでの話を聞かせて頂き、筆者としても行動力に驚かされるばかりです。この点でも、森川放牧畜産のなおみちゃんと共通するところを感じた次第です。
「子どもが家庭科の授業でヨモギ摘みをしたり、鹿の角を拾って持って帰って来たり、自然を楽しんでいるようでよかったです。雨上がりの土の匂いが好きだと今も言ってくれており、感性が磨かれているなと感じています(恵子さん)」
そのころ恵子さんは、静岡県にあるNPO法人森の蘇りにかかわるようになります。森の蘇りは「きらめ樹」という子どもでも女性でもできる間伐方法を伝えています。
「きらめ樹にかかわっているときに、九州にパワフルな女性が現れたと聞いて、理事長と一緒に会いに行った先にいたのがなおみちゃんでした(恵子さん)」
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恵子さんは、長崎に行った際、海が目の前にあって、森と海がつながっていると実感されたそうです。また、なおみちゃんは当時の理事長の考えに共感しており、自身でも積極的にきらめ樹に取り組まれていました。
「Facebookでつながっているので、その後の牛舎の進化ぶりを見て、驚かされていますよ(恵子さん)」
その後、恵子さんは地元での環境活動にも力を注がれます。
オーガニックはすべての命を幸せにする仕組み
ある時、農協が給食の地産地消事業を辞めるらしいという話を耳にした恵子さんは、農家や議員、有志の人たちと活動を開始します。「農業消滅」の著者である東京大学の鈴木宣弘教授を招いて、講演会を行います。
「263人規模の講演会になりました。その内容を動画にして、行政の人たちに見てもらいました。このままでは食が危ないと知ってほしかったんです。その時『もっと市民の声を大きくしたほうがいいんじゃないですか?』と言われて火が付きました。もっと大きな声にすれば、町も動くんじゃないかって思ったんです(恵子さん)」
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このこともきっかけとなり、恵子さんは2024年9月2日に自然食品の店をオープンさせます。
「富士川の小学校を紹介してくれた甲府の自然食品の店長が『田舎には自然食品の店がなくて選択肢にも入ってこない』と言っていたんです。だったらその選択肢を作ろうと思って、この店をオープンしました。融資がおりるのか、家賃が払っていけるのかと思うこともありましたけど、なんとかこぎつけました(恵子さん)」
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自然食品の店を運営するにあたり、恵子さんはオーガニックを深めようと決意されます。
「オーガニックって明確に言える知識がないと思っていた時に、ドイツ在住のオーガニック専門家・レムケなつこさんの存在を知りました。ドイツでは、エビデンスにもとづいたオーガニックの情報が提供されています。そこで、オーガニックを学んで、伝えれるようになろうと思っています(恵子さん)」
「オーガニックはすべての命を幸せにする仕組み」という定義づけがされていて、動物、植物、微生物、人間などのあらゆる命をないがしろにしないという考え方だと恵子さんは言います。世界では、オーガニックはGDGsのすべての課題を解決できると注目されているそうです。
「この仕組みが日本でも広がれば、きっと平和になると確信しています(恵子さん)」
そんな恵子さんの活動の原点は、娘がお母さんになったときに、幸せに子育てできる社会を手渡すというものとのことです。そして、お店の目標は「オーガニック給食を実現」です。
「今、10の商品を買っているのであれば、まずそのうちの1つをオーガニックなものを選んでほしい。その一歩が、オーガニックを広めることに繋がります(恵子さん)」
さっそく、次の買い物からオーガニック製品を探してみようと思った筆者でした。