「言葉」にできない「感覚」の世界で人生の循環を体現している東広島のコミュニティリーダー|三井祥子さん
人間の体の大半が水分だというのは多くの人が知っているでしょう。そのためなのか日本語には「水が合わない」「水と油」といった「水」が慣用句に用いられています。のどの渇きを潤し、植物を育てるという面がある一方で、大雨や台風で被害をもたらすこともあります。まさに人間関係も同じようなものなのかもしれません。
今回、三井さんを取材させていただいた際、浮かんだイメージが「水」だったのです。雨として降り注いだ「水」が、川となり海に流れ、蒸発して雲となり雨を降らす。三井さんの人生はまるでこの循環を体現しているようにも感じたのです。
仮に「水」に意思があったとして「なぜ、あなたはそこに降り注ぐのですか?」と尋ねたところで「わからない」と答えるに違いありません。「水」には言葉は無く、ただただ感じる世界があるだけです。
森川放牧畜産が牛を通じて実現していることのひとつが「水」の循環です。大村湾につながる山の自然を取り戻し、流れる水をきれいにします。その結果、湾の美しさがよみがえり、魚や海洋植物が豊かになるという循環が生まれていきます。
この「水」の循環に導かれるように森川放牧畜産に出会った三井さんにお話を伺いました。
農具や牛がいるのが当たり前の環境で育つ
秋田県に生まれ、高校を卒業するまで秋田で育った三井さん。彼女の実家は農機具屋を営んでいました。祖父が立ち上げた店は、その後、父親が後を継ぎ、今年に入って廃業します。
「生まれた時から農機具に囲まれていたので、おもちゃはトラクターやコンバインだったんですよ。実家の隣の家では牛を飼っていたこともあり、よく牛舎に入り込んでいました(三井さん)」
まるで生まれた時から森川放牧畜産との縁があるのではと思わせるようなエピソードですね。
「実際に、森川放牧畜産を訪れて牛舎に行った時は、すごく懐かしさをかんじました(三井さん)」
牛舎といっても、さまざまな種類があるのではないでしょうか。それを「懐かしい」と表現できるところに、三井さんのルーツと、森川放牧畜産との縁が感じられます。
それだけ地元に溶け込んでいるのだから、そのまま実家を継ぐと筆者は思い込んでいましたが、彼女が選んだ道は意外なものでした。
「高校を卒業して東京で働き始めました。そのころは夢も目標も持っていなくて、学校に届いていた就職案内で、一番給料がいい仕事を選んだんです(三井さん)」
実家が商売をやっていた影響もあったのか、三井さんは現実的な考えを持っていたんですね。最初は、運送業と観光バスを運営している会社で、バスガイドとして社会人生活をスタートさせます。
「バスガイドになりたくてなったわけではなかったのですが、給料がよかったんです(笑)ただ、2年が経ったころ、その会社が観光バス事業から撤退しました。バスガイドの仕事がなくなったので、ほかに給料の良い仕事を探したらパチンコ屋のバイトがありあました(三井さん)」
海を見て、源流のイメージができる人はいないと思います。同様に、取材をしている三井さんの姿に、「給料がいいから」という理由で仕事を探していた人のイメージはありません。水も人生も流れというものは面白いものです。
デパートでの仕事が次の転機を呼び込む
パチンコ屋で働こうとしていたところ、三井さんの兄から連絡が入り、派遣会社の社長を紹介してもらうことになりました。
「社長に会うと『今日、暇?』と言われて、早速、デパートの服屋で働くことになります。新宿伊勢丹の日本で一番売り上げが上がる店で、酸いも甘いも味わいました(三井さん)」
バスガイドに続いて、デパートの店員という接客業で成果を上げた三井さんは、この頃、今のご主人と出会います。給料がいいということで仕事を選んできた三井さんは、ご主人との出会いが影響したのかどうかは不明ですが、思い切った決断をするのでした。
「21歳の時に、彼と初めて沖縄に旅行へ行きました。そこで沖縄を気に入り、勢いで移住することにしたんです。とはいえ、縁があるわけではなく、誰も知らない、仕事もない、家もない沖縄に引っ越しちゃいました(三井さん)」
沖縄にやってきた当初は、仕事もなく、お金もない日々。インスタントラーメンを2人で分け合って空腹を凌ぐこともあったそうです。給料を求めて仕事を選んでいた人とは思えない選択ですね。
それでもこれまでの接客業の経験を生かして、三井さんは国際通りのデパートで働くようになります。
「デパートの化粧品屋で店長をしていました。沖縄にいた5年のうち、最初の3年はそこで働いており、過去最高の売上を達成したうえで、辞めることになります(三井さん)」
折角、過去最高の売上を達成したのに、店を辞めるなんて、みなさんはもったいないって思いませんか?
妊活を通じて、人生初の資格に挑戦
このころの三井さんは、仕事では成果を出す一方、沖縄の水に合わず、本土に帰りたいと考えるようになっていきます。
「そのころ主人の母親が病気になり、帰ってこないかと誘ってもらいました。沖縄の最後の思い出と思って婚姻届けを出し、彼の実家の広島へと引っ越します(三井さん)」
ただ、三井さんたちが住処に選んだのは、ご主人の地元とは異なる場所でした。
「水が良いところに住みたいって思っていたんです。最初に考えていた場所では良いところが見つからず、たまたま通りかかって気に入ったのが東広島でした。そこでアパートを借りて住み始めました(三井さん)」
人から見たら行き当たりばったりの人生に見えるかもしれませんが、水の流れとはそういうものなのでしょう。偶然のように見える自然の法則に逆らわずに生きるとは、こういうことなのかもしれません。
「実は、水の結晶について書かれた本を、沖縄で手に取って読んでいたのですが、一番気になった結晶の写真が、東広島で撮影されたものだったんです。これも縁だなと感じましたね(三井さん)」
ここまで話を聞いた筆者に、ひとつ疑問が浮かびます。もしかして、スピリチュアル的な能力があるのですか?と。
「生まれた場所の近くにストーンサークルがあったり、近くに恐山があったりと、スピリチュアル的なものは割と身近でした(三井さん)」
もしかしたら三井さんの豊かな感性は、秋田の天然ものなのかもしれませんね。
三井さんは結婚を機会に妊活をスタートさせます。少しでも妊活に役立つものを取り入れようと情報を探していたところ、アロマとマクロビオティックに出会います。
「人生で初めて資格の勉強をしました。それまでは運転免許しかもっていませんでしたから(三井さん)」
この資格の取得が、三井さんの人生を大きく変えていきます。
夫の収入減を機に、パソコン・SNSを使うように
子供ができるまでは、自宅の一室でサロンを運営していた三井さん。子供が生まれてからは講師業をスタートさせます。一定のお客様はいたものの、実際に手元に残る収入はお小遣い程度。このままでいいのかと思っていたところ、事件が起こります。
「夫の収入が激減したんです。彼はアフィリエイトで収入を得ていたのですが、検索システムの仕様変更に伴い、売上がなくなってしまいました(三井さん)」
このピンチに一念発起した三井さんは、それまでほとんど触っていなかったパソコンを使い、オンラインの世界へと飛び込んでいきます。海外で子育てをしながらオンライン活動をしている人のスクールに申し込み、そこで初めてFacebookやSNSを使うようになります。
「いざ使い始めてみると、周囲の多くの人が使っていると気が付きました。上手く活用できている人、そうでない人がいるなと思い、自分でコミュニティを作ったんです(三井さん)」
東広島のママのためのコミュニティを作った三井さんは、そこで発信方法のアドバイスもスタートさせます。周囲からも人を集められる人だと認識されるようにもなっていくのでした。
とある会に参加したら後ろで泣いていたのがなおみさんだった
ある日、三井さんが温浴会に参加します。その会で、後ろで泣いている人がいるなと振り返ると、そこになおみさんの姿があったそうです。
「その時は、特に話をしたわけではなかったんですが、なぜか縁がつながりました。ある日、なおみさんから電話があり『農家を発信力で助けてほしい』って言われたんです。『なぜ私が?』とは思ったんですが、自分のルーツも農業だったこともあって、長崎に行きました(三井さん)」
初めて行った森川放牧畜産は、あまりのエネルギーの高さに驚いたそうです。
「森川放牧畜産がやっていることを目の当たりにすると、感動の連続でした。なおみさんもすごいし、薫さんもすごかった。体を実際に動かして、背中で見せ続ける姿に言葉が出ませんでした(三井さん)」
それから長崎には行けてないそうですが、なおみさんや、以前にインタビューしたなっちゃんが泊りに来たりと、交流は続いています。
三井さんに「なぜ、なおみちゃんたちとの縁が続いてるんですか?」と聞いたところ、こんな答えが返ってきました。
「感覚でしかないですね(三井さん)」
これが冒頭で話をした、水の循環のイメージと重なった瞬間でした。
森川放牧畜産との縁が深まる一方で、三井さんは現実社会でさまざまな経験をしています。
「この一年は、バタバタ走ってきて迷走してきた印象です。言葉の怖さや無力さも感じ、SNSの更新ができなくなっていたんです。ただ、宮島の弥山に登りに行った時、文章を書きたくなって、半年ぶりにメルマガを更新しました。ここから、また新たな流れが生まれるような気がしています(三井さん)」
森川放牧畜産に出会った人は、三井さんのように人生の循環を感じるようになるのかもしれません。理論や理屈では理解できない、どこに行くのか、どんな流れになるのか、受け入れるしかない循環の一部に人間はいるのでしょう。
無理に言葉にする必要はなく、芽吹く季節が来れば自然と芽が出る植物のように、人間の本質に気づかされるのかもしれません。三井さんのお話を聞き、そんなことを考えさせられました。