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牛と土に導かれ、古き良き循環を蘇らせる「令和の百姓」|森川薫さん

農業を営む人のことを「百姓」と表現します。なぜ百の姓と書くこの字が、農業を営む人をさすのでしょうか。日本では、もともとさまざまな生業に従事する特定の身分のことを「百姓」と呼んでいたようで、百の姓があるほど多くの人という意味があったようです。

おそらく地域社会を支える農業と、それとは別に各人が得意な仕事を持つ、今でいう「兼業農家」の集まりが「百姓」だったのではないかという人もいます。また、大和言葉で「百姓」は、「天皇が慈しむべき天下の大いなる宝である万民」を意味する「おおみたから」の和訓がふられているそうです。

遥か昔の日本で百姓は宝だと考えられ、それぞれの得意分野を生かして助け合い、食を共有する人たちだったのだろうと筆者は考えます。

今回、森川放牧畜産の薫さんから取材依頼を頂いた時、筆者はその理由が気になりました。

「どういう活動をしているんですか?と人に聞かれたときに、やっていることがたくさんありすぎて説明がむずかしい。自分が何をしている人か文章で伝わるようにしたい(薫さん)」

このリクエストをもとに話を聞かせて頂いた筆者の頭に浮かんだのが「令和の百姓」という言葉でした。森川放牧畜産の歩みを伺うと、まさに百姓として場を作り、人の集まりを生み出しています。そんな薫さんのこれまでとこれからについて、お話をうかがいました。

何も考えず欲だけで生きてきた半生

「もともとは何も考えておらず、欲だけで生きてきました。まさか牛飼いになるなんて思ってもいませんでした(薫さん)」

今やすっかり牛飼いの人のイメージの強い薫さんですが、もともとは全く牛とは縁のない生活をされていたそうです。雲仙市の国見町で大工の父親と、看護師の母親の間に生まれるも、特に将来なりたい職業もない子供時代を過ごします。

「職も転々としていて、建設業から居酒屋まで10以上の仕事をやってきました。今から思えば、これらの経験が今に生きているなと思いますけどね(薫さん)」

筆者が最近気になるキーワードに「マルチポテンシャライト」というものがあります。作家でありアーチストであるエミリー・ワプニックが、2018年のTEDトークで表現した言葉で、多くの潜在能力を持つ人という意味です。

ひとつのことを追求することが美徳とされる風潮では「どれも中途半端」「器用貧乏」とも言われかねない性質です。ただ、このTEDトークをきっかけに、マルチポテンシャライトの強みにもスポットライトが当たるようになります。

ただ、よく考えるとこの「マルチポテンシャライト」とは、日本古来の「百姓」と同じ意味をなすのではないかと筆者は考えるのです。古き良き「百姓」を体現している薫さんが、牛飼いに出会うまでの多くの仕事を転々としたのも、その性質を持っているが故なのでしょう。

個人的には、いつか薫さんがTEDトークで語る姿を見てみたいと思う次第です。

引っ越しの手伝いから牛飼いに出会い…

職を転々としてきた薫さんは、最終的に電力会社の下請けの会社で、山で木を切る仕事に就いていました。ここでも今に通じるものを感じますね。

ある時、会社の上司から「親戚の女性が離婚して嫁入り道具を引き払わないといけない」と言われた薫さんは、自身がトラックを運転できることから、手伝いに行くことになります。

「手伝いに行ったら、なおみがいて近所の人から「寂しくなる」と涙ながらに見送られていた。ただ、手伝いに行った自分には挨拶がなかったから「感じの悪い女性だ」と、第一印象はよくなかったです(笑)(薫さん)」

引っ越しが一段落し、労をねぎらう打ち上げの席で、お互いに国見出身だという事で意気投合し、2人は飲み友達になります。その後も何度か会ったり飲んだりしているうちに、なおみちゃんからお父さんがケガをしたと聞かされます。

「なおみからお父さんがケガをして、車を運転できなくなったと聞かされて、自分が運転手がわりになりました。お父さんは家畜商をやっていて、九州中にお客さんがいたんですよ(薫さん)」

それまで家畜に触ったこともなかった薫さんにとって、最初は近づくのも怖かったとのこと。それでもなおみちゃんのお父さんと一緒に九州を回って、家畜商の良さを体感したそうです。

「お父さんと一緒に移動して、家畜に関わる人たちとたくさん話をしました。この仕事は感謝もあり、循環を感じるいい仕事だと思いましたね(薫さん)」

一方で、利益を追求して家畜の声を聞かない業者も存在します。だからこそ、なおみちゃんのお父さんのように家畜の声を聞き、見極め、それぞれの農家に合った牛を紹介できる牛飼いになりたいと考えるようになったのでした。

牛の目利きをマスターするには一から育てないといけない

「なおみのお父さんのような目利きができるようになるには、牛を一から育てないといけないと考えました。それで10年ほど前に新規就農し、牛の繁殖を始めたんです(薫さん)」

家畜を触るのも怖かった薫さんが、新規就農で牛飼いを始めるとは、何かに導かれているとしか思えません。導かれていると感じる理由はほかにもありました。

「なおみの実家の上には、自分の親の実家があったり、それぞれの縁ある人の墓が隣同士だったり、不思議が偶然があったんです(薫さん)」

聞く人が聞けば、2人の縁をつないだのは、ご先祖様だろうと思うのではないでしょうか。

一方でなおみちゃんは、それまでビジネスの世界で成果を出してきており、お金儲けは一通り体験していたようです。ただ、お金儲けに疲れた部分もあり、今度は薫さんの番だといって、応援してくれることになりました。

「ただそのころ、熊本の地震など各地で自然災害が勃発したんですよ。そのたびになおみはボランティアで現地に行って、家にいないこともありました。その当時、子牛の価格も高くて頑張らないといけない時期でした(薫さん)」

周りの牛飼いから「また、なおみちゃんおらんと?」と言われることもあったそうです。自分もお金があればボランティアに行きたいと気持ちをぶつけたこともあったそうです。

ただ、現実的にはお金があっても動かない人の方が多いのではないでしょうか。なおみちゃんはそれを肌で感じていたから「自分がやらないと」と動かされていたのでしょう。2人はお互いの考えをぶつけ合い、時には喧嘩もしながら目指す世界観を作り上げていきます。

自然は常に我々に恵みだけを届けるわけではありません。時には台風や地震のような災害で、大きな被害をもたらすこともあります。それらを乗り越え、我々の祖先は今の時代を作ってきました。薫さんとなおみちゃんも、まさに自然を体現している2人です。喧嘩というプロセスも必要なものと受け入れた結果、実りを手にしたという点もあるのではないでしょうか。

周囲には理解されず、雲仙市から西海市へ

もともと薫さんたちが就農していた雲仙では、周囲に理解されず冷たい目を向けられることもあったそうです。

「なんとか牛も増えてきていたのですが、周囲からは遊んでいるように見えていたようです。そんなつもりはまったくなかったんですけどね。なおみのお父さんの耳にもあることないこと吹き込む人たちもいて、ここにはいられないとなったんです(薫さん)」

これまでのやり方とは違う方法を選ぶ人が現れると、理解ができずに足を引っ張る人が生じるのはこの世の常なのでしょうか。ただ、このことがきっかけで薫さんたちの活動は大きな転機を迎えます。

「牛飼いの仲間の紹介で、西海市の今の場所に出会いました。10年以上牛飼いはやっていない場所だと聞かされていて、初めて現地に行った時はお化け屋敷かと思いました。ただ、ここでなら放牧もできると思え、なんとかなるって感じたんです(薫さん)」

薫さんにとっても、なおみちゃんにとっても西海市は縁もゆかりもない土地でした。それでも自然林に囲まれ、耕作放棄地も多くあったこの土地は、2人が役割を果たすために用意されていたとすら思ってしまいます。

ただ、お化け屋敷のような牛舎だったので、牛を移動させるのには大変な作業が伴いました。

「朝5時から8時まで雲仙で牛飼いの仕事をして、片道2時間半かけて西海市へ。そこで牛舎の環境を整え、3時には雲仙へ移動。毎日往復5時間の生活を、2か月続けていました。水も出ない状況だったので、水が出た時は最高にうれしかったですね(薫さん)」

往復5時間といっても車での移動です。牛飼いの仕事と片付けとで肉体労働も多い中、2か月も続けるだなんて驚きです。

西海市でもすぐに周囲に理解されたわけではありません。

「雲仙と西海の往復の途中に、竹の家さんに寄って情報収集したり、自分たちの話を繰り返しやりました。すると、住む家を紹介してくれるなど、応援をしてもらえるようになったんです。とはいえ放牧されている牛を見たことがない人たちばかりなので、理解してもらうには時間がかかりました(薫さん)」

確かに移住者が来て、いきなり放牧で牛を育て始めたら反対する人もいるでしょう。それでも根気よく薫さんたちは、チラシをまいたりして周囲に溶け込んでいったそうだ。環境を変えようとするのではなく、環境に溶け込もうとする姿勢はまさに「百姓」だなと感じる点です。

牛だけでなく山や海にも意識を向けて…

牛飼いを始めたころの薫さんは、子牛を市場で売却していたそうです。ただ、注射やワクチンで大きくした牛が高く売られていく中、自分たちの牛は健康なのに安く売られてしまう。そんな現実に触れて薫さんは市場に行くのに苦痛を感じるようになってしまいます。

「市場に行くのが辛くなってきたとき、なおみから 『もうこのやり方はやめよう』と言われたんです。それで、市場に牛を売るのをやめて自分たちで販売するようになりました(薫さん)」

一般的に肉牛は、生まれて24か月から30か月で肉になるそうです。森川放牧畜産の牛は時期を決めていません。お産を終えた牛も牛舎に連れてきて、体にいい飼料を使って優しく育てます。耕作放棄地で放牧して、土をよくしてもらう役割も担ってもらい、最後に肉として販売されるのです。

「土がよくなるのを知ったのは牛のおかげなんです。私自身は作物を育てる予定はなかったんですが、牛の糞が微生物を増やし、土が蘇っていくのを見て、もっと何かできるのではと考えるようになりました(薫さん)」

牛が入った土地は良い作物を育てるだけではありません。大雨が降った時の水の流れも良くします。

「牛が入る前は大雨で、川のように水が流れていた場所が、牛が入ることで保水ができるようになりました。海藻の研究者が山が大事と言っていたのを見たことがあったんですが、それはこういうことかと実感しました(薫さん)」

しっかり保水ができていれば、大村湾に注がれる水もよくなり、湾の水質も変わって行くことでしょう。

牛によって環境の循環がよくなることを実感した薫さんは、今後のことをどのように考えているのでしょうか。

「牛だけでなく、さまざまな動物と共存できる環境にしていきたい。映画のビッグリトルファームの世界。そこで得意なことを出し合って、支えあう関係性を作りたいですね。コミュニティを作るわけではなく、共感する人がふえるといいなと考えています(薫さん)」

もし、薫さんとなおみちゃんをご先祖様が引き合わせたのだとしたら、この言葉を聞いて喜んでいるのではないでしょうか。「百姓」のトップランナーとして、長崎のビッグリトルファームができあがるのも遠くはないと感じます。

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