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中川昭一 代議士死亡の謎


朦朧記者会見

朦朧記者会見
2009年(平成21年)2月14日G7財務大臣・中央銀行総裁会議が、イタリアローマで開催された。同会議終了後に、日本銀行総裁白川方明と、財務官篠原尚之との共同記者会見に臨んだが、その発言は呂律が回っておらず、あくびをし、表情は目が虚ろという状態であった。さらに中川は、言い間違いをする、質問した記者を見つけられずに「どこだ!」と叫ぶ、「共同宣言みたいなものが出ました」などと不明瞭な発言をするなどの異状を呈したことから、健康不安や酩酊などが疑われることになった。マスメディアはこの一幕を、「深酒居眠り会見」などと報じた。 
帰国後に中川は、「(問題となった会見前にワインを)飲んだのをごっくんということであれば、ごっくんはしておりません。たしなんでいるんです。グラス一杯飲んでおりません」と説明した。
また、酩酊の原因は往路の機内における抗ヒスタミン作用を含む感冒薬とアルコールの同時摂取、あるいは風邪薬単独の大量服用であると説明された。
会見の前、中川がG7の昼食会を中座してホテルで昼食を取りワインに口をつけたが、1本のワインを6人で分けたものであり、その場に読売新聞記者、中川と高校の同期でもある財務省国際局長玉木林太郎、財務官僚2名、通訳、居合わせた中川の知人が同席していたことを、川内博史の質問に答えて玉木が証言した。
この事態に対しては、自由民主党幹部からも批判が出たほか、アメリカ人テレビ記者が自身のブログで行った皮肉交じりの批判を『読売新聞』が報じるなど、中川へのバッシングが過熱した。中川は緊急記者会見を開き、予算案および関連法案の衆議院通過を待って大臣職を辞するとしたが、野党5党は中川に対する問責決議案を提出、また、与党である自由民主党内や公明党からも速やかな辞任要求が出された。さらに、野党側が中川に対する問責決議案を提出、また、与党である自由民主党内や公明党からも速やかな辞任要求が出された。さらに、野党側が予算審議拒否の姿勢を示すに及んだことから、中川は2月17日に大臣職を辞した

Wikipedia

【中川昭一代議士死亡の謎】地元の直系の北海道議会議員だった私が、生前本人から聞いた話   小野寺まさる 2024/03/13

小野寺秀 元北海道 道議会議員。中川昭一氏の直系の道議だったので、何でも話してもらえる間柄。
テニス好きの中川氏に付き合わされ、炎天下の中 1日中テニスをするような仲だった。 

(動画14分~)
陰謀論的な話ではなく、自分の知っている知識だけ話したい
中川氏の落選中に、代議士から直接聞いた話
財務大臣を辞めさせられて(2009年2月17日)、落選した選挙(2009年8月30日)の前に聞いた話。

(中川氏から聞いた話として)私の記憶が正しければ、(2009年2月14日に)2回昼食会があったが、特に 玉木林太郎氏(財務省国際局長)、読売の女性記者外資系マスコミの女性記者(ブルームバーグだったか、どこか記憶にない)の4人で食事をしたことを代議士は一番気にしていて、ことさら言っていた

川内委員 それで、次の日、G7の昼食会を抜け出してホテルで昼食をおとりになられたということでございますが、このときの、中川前大臣のホテルでの昼食に同席をされた方々というのはどういう方たちかということを教えてください。
玉木政府参考人 大臣のほかには、政務の秘書官、それから次の、控えております会合に関係した財務省職員二名、それから通訳、これは東京から同行した通訳、それから大臣の旧知の知人、ごあいさつに寄られて、そのままあいている席に座るように言われた方でございますが、その知人の方、それから大臣がレストランに入る前に取材で近寄ってこられた記者の方を、時間がないので昼食の場に入るようにと言われた、この方々でございます。
川内委員 これは、それこそ読売新聞で私も読みましたけれども、その記者さんというのは読売新聞の方ですね。
玉木政府参考人 そのとおりでございます。

2009年2月19日衆議院予算委員会

小野寺氏の4名との記憶と、玉木氏の国会証言の6名との違いがある。玉木氏の証言には、ブルームバーグ等の外資系マスコミの女性記者は含まれていない
但し、大臣の旧知の知人と、外資系女性記者が同一人物である可能性も0ではない。

注釈

あの会見は財務大臣が出席しなくても良いレベルの記者会見だったが、性格的に自分で説明ができる部分は自分で説明をしたいというタイプの方だったので、俺も出るという話になった。

その後玉木氏と白川氏(動画中では副総裁と言っているが、正しくは日銀総裁)の処遇に驚いた
自分が出席しなくてもいい記者会見に出てしまって、呂律が回らない朦朧会見を全世界にさらしてしまって、玉木氏と白川氏が何で止めなかったんだと、帰ってきたら財務省から相当処分を受けるだろうなと思っていて、実は自分のことよりも、玉木・白川 両氏のことを心配していた
この二人は左遷されるだろうなと。白川氏の場合は日銀の副総裁(正しくは総裁)の立場で。
その後に騒ぎが大きくなって、二人の心配をする以上に大変なことになってしまった。結局、自分が大臣を辞任した
そして、選挙で負けて、小野寺氏(当時道議)といろいろ話す時間が増えた。
そのなかで言っていたのは、「実は道議ね、あの二人のこと僕心配してましたよね。」
「心配してましたよね、代議士。」
いやいや あの後 驚いたのは、左遷されると思ってた2人が、二階級特進していたんですよ。
「え~!」
「それで、もしかしたら僕はね、財務省にはめられてしまったのかなと考えた」と代議士が直接言っていた。
白川さんは、副総裁兼総裁代行(正しくは総裁)という立場だったのが、この騒動の後いきなり総裁になって、その後に、国際決済銀行BISの副議長になった。
今まで、BISの副議長になれた日銀の総裁はなくて、だいぶ昔、戦前の民間人が一人なっただけで、その後誰も成れなかったのに、急に白川さん成っちゃったんだよね。
唖然とする話。

白川氏は、2008年3月20日 に 日本銀行副総裁(総裁代行)、同年4月9日 に日本銀行総裁、2011~13年 国際決済銀行(BIS)理事会副議長に就任しているので、この辺りの話は、小野寺氏の記憶違いだろう

注釈

玉木局長も二階級特進
玉木さんは、中川昭一先生の麻布高校時代の同級生で、官僚と大臣という間柄じゃなく友達だったので特に心配していたが、どどんと二階級特進。
俺は嵌められたのかもしれない。と言っていた

玉木氏国際局長から、2009年7月14日財務官に昇進している。

注釈

会見に同席した篠原尚之 財務官は、2009年7月財務省顧問、2010年2月IMF(国際通貨基金)専務副理事に就任

注釈

精神安定剤を置いてあった場所は、ホテルの部屋であった。
4人で食事をした後、記者会見があったが、中川昭一先生はこわもてで、ストレスなど全くないように見えるが、実はすごい繊細で、必ず大差で勝つだろうという世論調査が出ている選挙でも、落ちるかもしれないと言ってお酒を飲んで気持ちを落ち着かせるみたいなそういう繊細なところがあって、当選の時にはべろべろに酔って、達磨の目も書けなくて、非難を受けるようなそういう繊細な部分もあった方なので、精神安定剤のようなものを飲もうと思った
僕、薬を飲もうと思ったんだよね、落ち着く。
いつも常備してた薬があったので、部屋に帰ってからその薬を飲んでから、記者会見に臨もうとして、自分の部屋に行った
コネクティングルームのように秘書が待っている部屋もあるような大臣用の大きな部屋で、そこに(昼食をともにとった)4人で行って、「あれ、いつも置いている所に薬がない。忘れたのかな」といったようになった時に、女性記者の一人が「あの大臣、何の薬をお飲みなんですか?」と聞き、大臣がこれこれだと言ったら、「偶然私もその薬飲んでます。これ飲みますか?と言われて飲んだと言っていた
「その薬が原因かどうかは分からないけれども、そういうやり取りがあったんだよ。」と。
その後に、記者会見に行った時に、ああいう状態になってしまった
ワインに入っていたかもしれないし、その記者が本当に同じ薬を出してくれたかもしれないけど、その薬が原因かもしれない。それは分からないけど、本人(中川)は、そのように僕(小野寺)に言ってくれた。

この薬のやり取りの部分は、非常に興味深い
女性記者の一人と言うのは、玉木氏の答弁が正確なら読売新聞の記者であるし、小野寺氏の記憶が正しければ、ブルームバーグ等の女性記者である可能性も0では無い。
*実際は、昼食と記者会見の間に、ロシア財務相との15分ほどの会談があったが、話の流れからすると、この薬のやり取りは、ロシアとの会談の前と思われる。
日ロ会談の時すでに中川氏は体調不良の兆候を示していた。

注釈

バチカン美術館でのトラブル(虚偽報道)

バチカン美術館でのトラブル
G7における「朦朧会見」の直後に、中川らはバチカン美術館を約2時間観光したが、その際にも中川は、美術品に触れる、柵を越えて警報を鳴らす、ラオコーン像の台座に座るなどの、不適切な行動をとっていたことが報じられた
これを受けて中川の事務所は、「体調が悪く、入ってはいけない区域に入ってしまい、警報が鳴ったのは事実」と発表した一方で、中川自身は 「非常に事実と違う」「(博物館を)案内してもらい、つつがなく終わったと思っていたらあの報道。(バチカン側も)全く警報機も鳴っていないし、私に注意もしていないとお怒りになっている」と報道内容を否定した。
通訳として中川に同行していた神父の和田誠は、中川の最も近くにいたが、報道にあったような非常識な行為を見た記憶はないという。和田によると、中川から酒のにおいはせず(和田は酒が苦手なため、匂いには敏感であると述べている)、中川の言葉は非常にはっきりとしており、中川が立ち入り禁止エリアに足を踏み入れることはなく、触ってはいけない展示品を素手で触る場面もなく、博物館の説明に非常に熱心に耳を傾けており、ラオコーン像の周囲には柵は設置されていなかったとした
和田は、日本のマスコミに対して「中川の行動に非常識な点はなかった。あれは間違いであると繰り返し抗議したが徹底的に無視された」と抗議した。
その後の日本政府による答弁書では、中川が同美術館で立ち入り禁止区域に入り、警報が鳴ったとしているが(内閣衆質171第254号 平成21年4月7日)同博物館に確認し、「警報機は鳴ったが、その音量は全館に響くほど大きくなく、気づかなかった人もいただろう」としている。

Wikipedia

バチカンの話(防犯ベルを鳴らし、バチカンの宝物を触ったとされる報道)
日本から同行していた教会関係者も、マスコミ報道にあるようなことは一切していないと否定
バチカン自体が、公式文書で全マスコミに、そういうことは無かった。うその報道に対してバチカンが抗議文を出していた。
しかし、マスコミは抗議文に関しても一切無視した。

米国との対立

当時、中川氏は米国の機嫌を損ねていた
アメリカ国債は死んでも買いたくないんだ。」と言って、ずっと米国の要求を拒んでいた。だからポールソン財務長官に、かなり嫌われていた可能性がある。
IMFのロバート・ゼーリック正しくは世界銀行総裁)も、「何で買わないんだ!」と激怒していた。
米国がリーマンショックで大変で、「金寄こせ、金寄こせ」というので、「分りました。日本にある米国国債をIMFに出しますわ」というふうに言って、「何?買えというのを拒んでいたということで、アメリカ政府から目を付けられていたという話を、前からずっと(中川氏から)聞いていた。
海外で、アメリカからずっとチェックされているというのも分かっていたので、海外で秘書官と打ち合わせる時も、大きい黒い傘を部屋のど真ん中でさして、秘書官と肩を寄せて筆談をしていた。声を出したら、その声で相手に情報が行くし、いろんなところにカメラがあるので、蝙蝠傘を広げて、筆談が見えないよにして、その後、どういうふうな対応をしていくかと秘書官と話していたというぐらいずっと緊迫をしていたという話もしていた。

(財務相辞任後の)選挙の際も、米国債を買うということは日本ではあってはならないと言っていた。
次の財務大臣が、買うという話になっているが、あんなものは闇鍋を買うようなもので、何を掴まされているか分かんないんだと。
選挙中にずっと訴えていたという位に、米国に対して日本は属国・奴隷になっている。これをどうにかしなければいけないと選挙で言っていたが、あまりに大きすぎる話なので、選挙民は何言ってるだと。もっと、地元の経済のことを言えよといったような軋轢を選挙中に生じてしまった。
しかし、いま思えば、これだけ日本は切迫した状態なんだということを有権者に伝えたかったのだろう。

中川氏の後任には、与謝野馨氏が財務大臣となった。与謝野氏は、民主党政権に代わっても財務大臣のままだった。
与謝野財務大臣時代に、米国債は買っていなかったが、IMFに巨額の資金を日本政府から出していた中川氏が、米国債で出すと言っていたものをお金で出していた
日銀が、米国債を大量に買っていた

最後の選挙の時には、公明党と縁を切りたいと言っていた。公明党と言うのは、日本にとっても自民党にとってもマイナスなんだ。自民党は、公明党と手を結んでいる間は、自民党としての政策ができないということで、公明党と絶縁する話をしていた。

中川代議士がお亡くなりになる前に、私(小野寺)と、当時の後援会幹事長のT.Tさん、幹部のY.Kさんにしか話していないことだと言っていた。
中川昭一代議士が落選後に、平沼赳夫先生と一緒に新党を立ち上げ、自民党は公明党と手を切って、我々保守という政党と手を結べれば、素晴らしい自民党が再生するだろうと。
そういうことをする為に、参議院議員に立候補すると言っていた

亡くなられる1週間ぐらい前から、体調がひどく悪くて、T.T幹事長に電話して「もう、家から出られない。トイレからも出られない」と言うぐらいに風邪なのか何なのか、胃腸の具合が物凄く悪かった
本人がとても楽しみにしていたテニスの試合も見に行けない。地元(北海道)にも帰れないという状況になっていた。
亡くなられた時も、床に座ってベッドにより掛かったような姿だった。
亡くなられたと聞いて、Y.Kさんが家に直行したら、「えっ、こんな部屋だったの」というぐらい部屋の中は雑然としていた。

保守主義者、中川昭一氏「日本は黙ったままアメリカの現金自動支払機にはなるつもりはない」米国への運命の伝言
15年前、2008年9月15日発の「リーマンショック」は同月24日に財務相に就任した保守主義者、中川昭一(享年56)にとって運命の時でもあった。
リーマン・ブラザーズ破綻は同じく金融大手、モルガンスタンレーに連鎖しかけていた。当時のブッシュ政権で火消しにおおわらわだったのがポールソン財務長官だ。モルガンが破綻すれば、ポールソン氏出身のゴールドマンサックスなどウォール街全体が崩壊してしまうポールソン氏はモルガンへの救済出資について、旧知の王岐山・中国副首相に打診していた。モルガンには中国の国家投資ファンド、中国投資有限責任公司(CIC)が50億ドル(約5400億円)を出資済みだったが、損失の拡大を恐れた王氏の返答はノーも同然。残る希望は三菱UFJ銀行で、何とか90億ドル(約9500億円)の第三者割当増資引き受け約束を引き出した。米東部時間22日早朝の合意発表で、ニューヨークの株式市場の取引開始に間に合った。それでも、モルガン株の暴落は止まらない。三菱側は及び腰になり、合意を実行するかどうか、米側は焦りに焦る
頼みの綱が中川である。10月11日にワシントンで開催されることになった先進7カ国(G7)、新興国を含めたG20の財務相・中央銀行総裁会議出席のため、中川が現地に到着したのは前日の10日である。ポールソン氏は中川と米財務長官室で会った
「三菱に救済に応じるように話してくれませんか」と頼み込むと、中川は「注視していく」と返事した。長官は「これ以上期待できないほどありがたい言葉だ」と安堵(あんど)した。3日後、額面90億ドルの小切手がニューヨークのモルガン・スタンレー本社に届けられた。(この項はポールソン氏の回顧録〝On the Brink〟より)
中川最後のドラマはそこから始まった。11日午前、ホワイトハウスではブッシュ大統領も加わってG7の財務相らと危機対策会合が開かれたあと、南庭のローズガーデンでブッシュがスピーチ、そしてしばし懇談というときになったとき、中川の耳に重大ニュースが入った。「米政府、北朝鮮に対するテロ支援国家指定解除決定」である。拉致問題は未解決のままだ。中川はすぐさまブッシュ氏に駆け寄り、「どうしてですか」と詰め寄る。ブッシュ氏はびっくりし、「そこにいるコンディ(コンドリーザ・ライス国務長官)に聞け」と言って逃げた
10月20日午後、東京・霞が関。財務大臣室で中川は米要人と向き合い、ホワイトハウスでの抗議を引き合いに出しながら、おもむろにブッシュへ氏の伝言を託した。「日本は黙ったままアメリカの現金自動支払機にはなるつもりはないとね、必ずだよ」と。その場に居合わせた日本人は筆者だけである(やりとりの詳細は拙著「現代日本経済史」、ワニ・プラス刊参照)。
中川は翌年2月、ローマでのG7会合後の記者会見で意識朦朧、テレビで中継されて集中砲火を浴び、財務相を辞任、10月に失意のまま逝去した
(産経新聞特別記者・田村秀男)

zakzak夕刊フジ2023.9/29

【参照】

2009年(平成21年)2月14日 ローマでの共同記者会見
最初の質問者は、読売新聞の女性記者 越前谷知子。ほぼ日本人記者だけの こじんまりとした会見に見える。
NNN(日本テレビ)の映像。
トップの画像も動画中の映像を使用。

注釈

四 本年二月十八日付の毎日新聞(以下、「毎日新聞」という。)には「中川氏と麻布高校の同期で東大法学部の同窓でもある玉木局長が一部の女性記者を招いたという。」との記事があるが、右記述は事実を反映しているか。

鈴木宗男氏の質問書 2009年2月18日 

七 「毎日新聞」には「『約三十分ほど』(レストラン支配人)だった飲食後に中川氏は午後二時五十分から約十五分、同ホテル内でロシアのクドリン財務相と日露財務相会談に臨んだ。この際、麻生太郎首相を『麻生大臣』と言い間違えるなど、言動に不安定さもみられた。」、また本年二月十八日付スポーツニッポンには「ロシア通信は、記者会見前のクドリン副首相兼財務相との個別会談で、中川氏が麻生首相のことを『大臣』と呼ぶなど、既に『普通の状態でない』ことが明らかだったと指摘した。」と、右の会談(以下、「会談」という。)においても、中川前大臣は既に朦朧とした状態にあった旨報じているが、右記事の内容は事実か。

鈴木宗男氏の質問書

四 中川前財務大臣は、平成二十一年二月十四日のホテル内での昼食に向かう際、御指摘の記者より話を聞きたいとの申出を受けたものの、時間がなかったことから、中川前財務大臣が同記者を昼食の場に入るよう招いたものであり、「玉木局長が一部の女性記者を招いた」という事実はない。

政府側答弁書 2009年2月27日

七 中川前財務大臣に同行した政府職員は、平成二十一年二月十四日の日露財務大臣会談の際、御指摘のような「中川前財務大臣は既に朦朧とした状態にあった」との認識はなかったが、中川前財務大臣は体調が優れない状態であるとの認識を持った

政府側答弁書


川内委員 それでは、中川前大臣の問題に移らせていただきます。
 G7に、財務省それから金融庁からたくさんの事務方の方々が、大臣を支えるために同行をしていらっしゃいます。何人行かれたのか、そしてまた、その飛行機代とか宿泊費とか、どのぐらい費用がかかったのかということについて、まず教えていただきたいと存じます。
玉木政府参考人 お答えいたします。
 今回の出張には、財務省から二十名、金融庁から二名、合計二十二名が同行しておりますが、それに要した総出張費用、これは大臣の分も含めてでございますが、総出張費用は約六千万円となる見込みでございます。(発言する者あり)
川内委員 尾身先生、そのぐらい当然かかるんですよ。それはかかることを悪いなんて私は言いませんよ。
 ただ、六千万円かけて、では成果は何だったんですか。G7の成果を、今、玉木林太郎局長に成果は何だったということを答えていただきたいと思います。
玉木政府参考人 G7の成果、私からお答えするのも恐縮でございますが、G7においては、引き続く深刻な世界経済の減速そして金融の混乱の中で、世界経済と金融市場の安定化を依然として最優先課題ととらえた上で、成長と雇用を支持し、金融セクターを強化するため、あらゆる政策手段を用いて協働するとのコミットメントを改めて確認したことが、今回のG7の成果であると考えております。
 また、現下の危機に対応する上で、保護主義に対抗すること、それから新興国、途上国による信用と貿易金融へのアクセスを支援すること、そして、IMFの資金基盤を拡充し、さらなる改革を進めること等が重要であるという点についてもG7各国の間で認識が共有されたものでございます。
川内委員 いや、それはあなたが言うことじゃなくて、それこそ、中川大臣が無事に会見を終えられて帰ってきて、予算委員会で、こういう成果があったというふうにお答えをいただくというのが正しいあり方だったわけですよ。
 あなた方は六千万使って、あなたが言うべきことは、いや、成果はありませんでしたと……(発言する者あり)いやいや、成果はなかった、大臣に大変恥ずかしい思いをさせてしまいました、大失態をしてしまいましたということをまず言わなければ。成果は何だったんですかと聞いて、ただ会議の内容を、今のは成果じゃない、会議の内容ですよ、ということをおっしゃられただけですね。
 では、お聞きします。一日目の夜中川前大臣は記者との懇談会をしていらっしゃいます。この記者との懇談会をセットした人はだれですか。
玉木政府参考人 十三日夜の公式日程、G7のディナーと、それからIMFとの取り決めへの署名、そして事務的な打ち合わせが終了しました後、前大臣が個人的に親しい記者を招くよう望まれたものでございます。そういうことで開催されたものでございます。
川内委員 いや、だから、大臣が望まれて、だれがセットしたんですかということを聞いているんですけれども。
玉木政府参考人 出席者は、中川前大臣がお決めになりました。
川内委員 いや、だから、決めたのは中川大臣かもしれません。だれが連絡役をしたんですかということを聞いているんですよ。ちゃんと答えてよ。
玉木政府参考人 連絡は大臣側でおとりになりました。私は、記者の方々が入った後、それに呼び込まれて参加したものでございます。
川内委員 大臣側というのはだれですか。そこまで知っているんだったらちゃんと答えてくださいよ。
玉木政府参考人 私はその場におりませんでしたが、政務の秘書官が随行しておりましたので、基本的に大臣と政務の秘書官が相談して決められたものと承知しております。
川内委員 その呼ばれた記者さんたちの所属する会社名というのは、どういうお会社だったんですか。
玉木政府参考人 私がその部屋に入りましたときには、四名の記者が部屋で大臣と懇談されておられました。男性二名、女性二名でございます。
 大臣が親しい方々を招かれた機会でありますことから、参加した記者の方々に、所属の公表の是非について確認をお願いしているところでございますが、二名の方からは、財務省からの公表は控えてほしい、一名からはまだ回答が届いていないという状況でございます。(川内委員「もう一人、最後の一人」と呼ぶ)最後の方は、これは了解がとれておりますが、最後の一名の方は読売新聞の記者の方でございます。
川内委員 それで、次の日、G7の昼食会を抜け出してホテルで昼食をおとりになられたということでございますが、このときの、中川前大臣のホテルでの昼食に同席をされた方々というのはどういう方たちかということを教えてください。
玉木政府参考人 大臣のほかには、政務の秘書官、それから次の、控えております会合に関係した財務省職員二名、それから通訳、これは東京から同行した通訳、それから大臣の旧知の知人ごあいさつに寄られて、そのままあいている席に座るように言われた方でございますが、その知人の方、それから大臣がレストランに入る前に取材で近寄ってこられた記者の方を、時間がないので昼食の場に入るようにと言われた、この方々でございます。
川内委員 これは、それこそ読売新聞で私も読みましたけれども、その記者さんというのは読売新聞の方ですね。
玉木政府参考人 そのとおりでございます。
川内委員 それじゃ、これもちょっと中川前大臣の、あるいは局長の御答弁も若干変わってきているんですけれども、この昼食の席にワインのボトルがサービスされていますよね。
玉木政府参考人 この昼食は、三十五分から四十分間の極めて忙しい昼食でございました。ほかの委員会でもお答えいたしましたが、実際に召し上がったものはサラダとパスタだけでございます。私は、食事を済ませていたので何も食べませんでした。
 その場には、当然のことながら、ワインのグラスが置かれておりました。
川内委員 いや、ワインのグラスが置かれていたというのは、中身が入っていたのかいないのかということですがね。
玉木政府参考人 もちろん、中身は入っておりました。
川内委員 それはだれが頼んだんですか。
玉木政府参考人 私はその場を差配していたわけではないので、しかとは記憶しておりませんが、レストランが、料理を選択の後、当然、これでいいかというようなしぐさをして、大臣が了解をして、つがれたものと承知しております。(発言する者あり)
川内委員 済みません。今、後ろの人が、川内さん、何とかかんとかと言ったものですから、ちょっと聞き漏らしたので、もう一回言ってください。
玉木政府参考人 大臣が注文をいたしまして、その後、レストラン側がこのボトルでいいですかということを聞かれて、大臣がそれでいいと言ったものと承知しております。
川内委員 大臣が御注文になられた、まあそうだろうなと思います。
 きのう私がレクを聞いたときは、いつの間にか置いてあったという説明だったものですから、そんなことはないだろうというふうに思ったんですけれども、大臣が注文されたということでございますね。
 この間、きょうは財務官にも来ていただいているわけですが、G7の事務方の責任者という位置づけでございましょうけれども、財務官もあるいは国際局長も、中川前大臣は体調がお悪そうであったということは国会の答弁の中でもたびたびおっしゃられています。大臣は体調が悪そうであった、お薬も飲んでいらっしゃったと。
 であれば、当然、その体調がお悪そうにしていらっしゃる大臣に対して、お酒は控えてくださいねと。注文したワインに対しても、余り飲んじゃだめですよ、まだ記者会見があるんですよ、あるいはロシアの財務大臣との会合もありますよというようなことを、特に玉木局長はずっと中川大臣と一緒にいらっしゃるわけですから、お声をかけられましたか。
玉木政府参考人 前大臣がそこで薬を服用されていたかどうかということは、大臣のお部屋の中での出来事ですので、私どもは承知しておりませんでした。
 それから、お昼の食事の際につがれたというワインのことでございますが、ほかの委員会でも大臣からも私からも申し上げましたように、口をつけた程度の飲み方しかしておられません
川内委員 だから、僕が聞いたのは、大臣は体調がお悪そうだったということをたびたびいろいろな場所で答弁されていらっしゃるので、それで、大臣に対して、お体は大丈夫ですか、お酒は余り飲まないでくださいねというようなことを、あなた、だって同級生なんでしょう、友人でもあるわけですから、当然声をかけやすいですね。人がたくさんいるところでは大臣と言わなければならないけれども、二人っきりになったときは多分違う言葉遣いでお話もできる間柄だというふうに思いますが、そういう意味では、大丈夫、ちょっと飲み過ぎたんじゃないのというようなことは、全然声をかけていないということですか。
玉木政府参考人 大臣の体調がすぐれないという印象を持ちましたのは、この昼食の後、日ロの財務大臣会合の席で大変お疲れの御様子だったということで、その後の時間、これは次に記者会見を控えておりますので、大臣にその会見の部屋でそのままお休みいただいたものでございます。
川内委員 日ロの財務大臣会合で体調が悪そうだなということを感じた、記者会見が控えていたので、その日ロの財務大臣会合の部屋で休んでいただいたと。
 だから、私が聞いているのは、大臣、大丈夫ですかという声をかけましたかと聞いているんですけれども。
玉木政府参考人 大変お疲れの御様子でしたので、私も案じておりました。大臣はそのまま休むということでありましたので、多くの者を入れて大臣をお煩わせしてはいけないと思い、私ともう一名だけが大臣のおそばに控えて、大臣がお休みになるのを見守っていたところでございます。
川内委員 いや、それはちょっと違うんじゃないですか。きのうの私が聞いた説明では、記者会見が始まる直前までは局長と中川大臣と二人であったというふうに聞いておりますが、そうでしょう。
玉木政府参考人 その間、私はずっと切れ目なくついておりました。そのほか、ほとんどの時間、もう一名の担当課長がそばにおりました。
川内委員 いや、それはちょっときのうの説明と違いますよ。記者会見の直前に、記者会見で大臣に参考資料としてお渡しする紙を持ってその部屋に入りましたと、その担当課長は私に明確に答えましたよ。それまでは局長と大臣とお二人でありましたというふうにお答えになりましたが。
玉木政府参考人 私は、最初は、大臣をお休みさせるために一人だけついていた瞬間があったことは事実でございます。しかし、間もなくその担当課長が入ってきまして、担当課長も黙って大臣がお休みになるのを見ておりました。
川内委員 記者会見の時間を若干ずらしていますね。当初、予定は、十五時三十分から記者会見を行う予定であった。それが、大臣がお休みになっていらっしゃるので若干ずらした、十五時四十五分からにした。十五分ずらした。その間、大臣の御回復を待ったということでよろしいですね。
玉木政府参考人 私の記憶では、記者会見は三時半以降、これは通常、前倒しにすると問題になりますが、三時半以降ということでセットされております。前にその記者会見室では議長国イタリアの会見が行われる部屋でございますので、前の記者会見次第ということもありましたので、三時半以降という連絡をしておりました。
 大臣がお休みになって、若干の打ち合わせをした後、行こうとおっしゃって、記者会見に臨まれたのが結果的に三時四十五分だったということでございます。
川内委員 体調がお悪そうだった。記者会見は三時半以降、できれば三時半からやるわけですね、それを時間を延ばした。そのくらい中川大臣は疲れていらっしゃったのか酔っぱらっていらっしゃったのか。それは、酔っぱらうというのは、薬に酔っぱらう、お酒に酔っぱらう、いろいろあるでしょうが。
 そういう状況の中で、先日の財務金融委員会での中川前大臣の御答弁は、自分から記者会見をすると言ったのだ、そして自分で記者会見をしたのだというふうに御答弁をされていらっしゃいます。
 そういう大臣に対して、いやいや、三時半以降ということであれば、大臣、もうちょっと休んでからにしましょうと。この記者会見の後は、大臣は、御回復をされたのか、バチカンの視察をしていらっしゃいます。あのもうろうとした記者会見の後、バチカンの視察をしているんですね。そうすると、もうちょっと待てば大丈夫だったかもしれない
 では、その判断を、大臣が行くというときに、大臣、もうちょっと休みましょうよとか、いや、ちょっと今はやめてくださいとか、でも行っちゃった、ではやりましょうと、事務方としてもそういう判断があったと思うんですが、それは局長がその場で判断された、財務官と相談したということではないということでよろしいですか。
玉木政府参考人 大臣がお休みをとられた後、簡単な資料をお渡ししました。そして、一たん部屋に戻られて、ほんの何十秒かの間でしたが、出てこられて、もうやろうとおっしゃったので、日銀総裁、財務官と一緒に記者会見場に臨まれたものでございます。
川内委員 さっき局長は、日ロの財務大臣会合のときに体調がお悪そうだなということを感じた、そして、そのままその部屋で御休息をいただいたと。休息していたというのは、要するに仮眠をとっていたということですね。どうなんですか。
玉木政府参考人 仮眠をとっていたかどうかは、私は御本人ではないのでわかりませんが、多くを語らずに、それこそお休みになっていた状況でございました。(川内委員「目を閉じていた」と呼ぶ)
衛藤委員長 川内君、立って発言してください。
川内委員 はい。ちょっと遠いものですから、委員長、時間を節約するために。
 目を閉じていたということですね。じっと、こうやって休んでいたということですか。だって、ずっとそばについていたと言ったじゃないですか。
玉木政府参考人 顔をのぞき込んだわけではございませんが、基本的に、ほとんどの時間、目を閉じておられたと思います。
川内委員 だから、僕が聞いているのは、チーム日本として大臣をサポートすべき人たちが、お体の調子が悪そうだな、そして目を閉じてじっと休んでいらっしゃる、さあこれから会見だというときに、時間もわざわざ十五分、本当は三時半以降ということですが、三時半に始められれば三時半にやるわけですね、それを十五分延ばしたということなわけです。
 そうすると、そこでやはり事務方として何らかの判断、大臣に対してアドバイスというか、もうちょっと待ちましょう、その後の日程もまだあいているわけですから、という判断があってもよかったのではないかというふうに思うんですが、その辺については、局長は適切な判断であったというふうに思われますか。
玉木政府参考人 大臣は、三十分程度お休みになり、その後、打ち合わせの書類をお持ちになって二部屋離れた御自分の部屋に戻られて、そして、出てきて、もうやろう、こうおっしゃったわけで、この時点で、私どもは大臣の意向に従ったということでございます。
川内委員 そうすると、記者会見での中川前大臣のあの酩酊ぶりというか、あの御様子というのは、会見場で突然ああいうふうになったのだ、自分たちもあの様子を見てびっくりしたということなんでしょうか
玉木政府参考人 大臣は、やろうとおっしゃって、御自分の足ですたすたと会見場まで階段をおりていかれた、そういう状況から、私どもは、ああいった事態になることは予測しておりませんでした
川内委員 会見場で突然ああなったと。予測しておりませんでしたと言いましたからね。
 財務官にも来ていただいていますが、財務官は、事務方の責任者としても、先日の財務金融委員会の御答弁で、「私どもの補佐が至らなかったという点はもしかするとあろうかもしれませんけれども、」と、あるのかないのかわからないような答弁をしているんですね。「私どもの補佐が至らなかったという点はもしかするとあろうかもしれませんけれども、」とおっしゃっているんですけれども、私はやはり、結果がすべてじゃないですか。よく総理がおっしゃいますよ、結果がすべてだと。
 六千万円を使ってG7に行って、世界じゅうに日本国の財務大臣のあの姿が流されたということについて、それは、もちろん一番悪いのは中川大臣ですよ、体調管理ができていなかったという面において一番悪いのはそうだが、しかし、それを補佐する財務省が、あるいはついていった人たちが、いや、私たちは気づかなかったんです、大臣がやると言ったからしようがなかったんですということでは私は済まぬと思います自分たちもある一定の責任はある、補佐に至らなかった点があるということをしっかり認識し、そして今後に当たっていくということが必要であるというふうに思いますが、財務官の御意見はどうですか。
篠原政府参考人 お答え申し上げます。
 ただいま先生からお話ございましたとおり、私どもの仕事というのは、大臣を補佐して、今回のG7でございますれば、そうした国際会議を全体として成功に導くということであろうと思っております。
 したがいまして、私ども、大臣の仕事を補佐する身といたしまして、必ずしも十分でなかったという点があったというふうに考えております
川内委員 最後、総理に御答弁いただきたいんですけれども、さっきのかんぽの宿問題もそうだし、今回のこともそうなんですけれども、総理は施政方針演説などで、官僚を使いこなすことが大事なんだということをおっしゃられるわけでございますけれども、いろいろなことの責任を最後に政治は引き受けなければならない。そのためにはやはり、引き受けるためには、官僚と、お役人の皆さんと政治との間の信頼関係、あるいはチームとしての一体感というものがなくてはならぬというふうに私は思うんですね。ところが、このかんぽの宿問題を見ても、あるいは今回のG7のあの失態を見ても、どうもチームとしての一体感がない、ばらばらなのではないかなということを私は心配するんです。
 最後、総理に御答弁いただきたいことは、与謝野大臣が直接の責任者ですから与謝野大臣からでも結構なんですが、今回の、やはり財務省の省としての、組織としての責任というものもしっかりととるべきところはとるということがなければならぬというふうに私は思いますが、総理それから与謝野大臣、それぞれ御答弁いただきたいと思います。
与謝野国務大臣 官僚は精いっぱい中川大臣のG7での活動等を補佐していた、これはもう間違いないことでございます。
 この種の事態はやはり中川さん自身が責任をとるべき話であって、その責めを必要以上に官僚組織に申し上げるというのは少し酷なことではないかと思っております。
 中川大臣は、みずから職を辞することによってすべての責任をとった、そのように私は考えております。
麻生内閣総理大臣 補佐するというのは、川内先生、それは秘書官並びに周りに随行している者としてはすごく大事なところです。別にこれは大臣に限らず、先生の場合でも、周りにいる人がちょっと待ってくださいと言う話はよくある話ですから。
 しかし、それをやるやらないの前に、やはり最終的に自分が判断をして、自分で行くということを決める、決めた本人に最終責任がかかるのは当然であって、今与謝野大臣が答弁をされたとおり、これは最終判断をおろした大臣が責任をとって職を辞されたということだと思いますので、補佐の仕方が悪かったかと言われれば、それはいろいろ言い方はあろうかとは思いますけれども、少なくとも、起きてこられて、行くと言われた以上は、階段もすっと歩いていかれるというのであれば、そういった判断になったとしてもその責を問うというのはいかがかなという感じがしますし、やはり最終的には御自分の責任でやられるべきものだった、私はそう思っております。
川内委員 いや、私が申し上げているのは、玉木局長は高校時代の同級生であって友人だから同行されていたという話も聞いておりますし、そういう中で、やはりちょっと省としても、そういう友人を同行させたということに関してのすきがあったのではないかとか、あるいは……(発言する者あり)
 だから、私も言っているじゃないですか。それは中川前大臣が一番悪いんですよ、御自身のことですから。一番悪いけれども、しかし、すべては結果ですから。世界じゅうにあの映像が配信をされたということの重みというか恥ずかしさというのは、これはみんなで引き受けなければいけないわけですね。総理もそれは引き受けなきゃいかぬわけです。私もそうだし、与野党ともにです。日本の政治家はあんなふうになるんだねと世界じゅうの人に思われたかもしれないわけですね。
 そういう中で、じゃ、役所は役所としての責任のとり方があるでしょうと中川前大臣は前大臣として、一人やめれば済むという話でないと私は思うんです。総理は総理、あるいは、次を引き継がれる与謝野先生は与謝野先生で、責任のとり方がある。特に総理は、任命権者として最後の責任のとり方があるんだというふうに私は思うからこそ、その問題提起をしたくてきょうはさまざまな議論をさせていただいたということでございます。
 終わらせていただきます。ありがとうございました。

2009年2月19日衆議院予算委員会 
川内博史 氏による質疑

「中川さん、眠気にはエスプレッソ」…米記者ブログで
【ワシントン=岡田章裕】「経済危機のかじ取り役、日本の大臣は居眠り」――。(2009年2月16日19時46分 読売新聞
 米ABCテレビの記者が、ローマで開かれた先進7か国財務相・中央銀行総裁会議(G7)に出席した中川財務・金融相について、ブログで痛烈に批判した。
 ブログには、中川財務相の眠そうな記者会見写真も複数枚、掲載した。「15時間のフライトで時差がつらいのは分かる」としながらも、「自国でトヨタ自動車や日産自動車など巨大メーカーが何万人も人員を削減する危機に陥っているのだから、眠気も吹き飛ぶのではないか」と批判した。「ここ(イタリア)には、眠気覚ましにいい、昔ながらのエスプレッソ・コーヒーがありますよ」という皮肉で締めくくっている。

2009年2月16日19時46分 読売新聞

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