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無学祖元「一切の妄想を断ちなさい」

鎌倉幕府の八代執権 北条時宗は、若い頃、非常に憶病であった。
一平民と違って立場が立場だけに、これを克服するのにたいへんな苦心をしたと伝えられている。

彼は宋の禅僧・無学祖元を招き、鎌倉 建長寺の五代目の管長にして、これについて修行をした。禅によって、自分を強くしようとしたのだ。

彼が二十歳の頃、この祖元に必死で尋ねた。
「私がもっとも憂えるのは怯懦 〈きょうだ〉(臆病で気の弱いこと)です。どうしたらこれを除くことができるでしょうか?」
「怯懦 の来るところを閉じてしまいなさい。」
「怯懦 は、どこから来ますか?」
「時宗から来るのです。」
「・・・・・。」
「その時宗を捨ててしまいなさい。さすれば怯懦 も捨てられます。」
「どうしたら時宗を捨てることができますか?」
一切の妄想を断ちなさい!
「事務多端にて、修行する暇がありません。」
禅堂のみが修行の場ではありません。行住坐臥〈ぎょうじゅうざが〉(歩き、留まり、座り、寝る、日常のふるまいすべて)、今いる所が道場なのです。
「分かりました」と時宗は言った。

北条時宗:18歳で執権就任。名師を招くために中国に使者を派遣し、無学祖元を招聘する。モンゴル帝国(大元朝)の2度にわたる侵攻(元寇)を退けた。文永の役(24歳)弘安の役(31歳)。享年34歳(満32歳没)。

無学祖元:中国南宋に生誕。来日して、鎌倉の建長寺円覚寺に兼住して日本の臨済宗に影響を与え、発展の基礎をつくった。滞在は数年の予定であったが、中国の政情不安もあって終生 日本にとどまった。



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