『相互運用性を考慮していないNFTに意味はあるのか?』~【新しいweb3ビジネスのアイディアのタネ】2022.9.1
■相互運用性を考慮していないNFTに意味はあるのか?
ずいぶん刺激的なタイトルの記事ですね:-p
相互運用性、インターオペラビリティと呼ばれますが、非常に重要だと個人的にも思っています。ただし、この記事が全体として伝えているメタバース間の乗り入れ実現が重要だという話ではなく、NFTがNFTであるために重要だと考えています。
えっと、何を言っているかわからない?
ですよね。もう少し丁寧に説明します。
■相互運用性とは?
規格の互換性や互換規格に基づけば自由にカスタマイズできるコンポーザビリティと混ざっている感じもしますが、この記事では相互運用性を上記のように説明しています。
つまりコンテンツやサービスなどを自社だけに限定せずいろんなところで使えるようにすること、他社が使う前提で設計したり開放したり共通規格化したりすること全般を相互運用性と呼ぶことが多いと思います。
web3がWeb2以前の中央集権的で独占的な発想に対するカウンターカルチャーとして生まれた経緯から、囲い込まずに広く使えた方がいいよね、が価値観の根幹にあります。
この記事ではメタバース間の相互運用性をテーマにしているので、異なるメタバースやゲーム間でアイテムやアバターなどが相互に持ち込み可能だといいよね、を相互運用性と呼んでいます。
■メタバースの相互運用性は実現可能なのか?
実際に実現させようとすると技術的にもすごく難しい。
自社内でのゲームタイトルの移植やゲームエンジンの交換ですら困難を極めるのに、他社と協議しながら仕様を合わせて相互乗り入れ可能にしていくなんて無理!
という話を展開しつつも、
・ポケットフルオブクォーターズ(Pocketful of Quarters:POQ)のゲーム間共通トークン化の試み
・リトルオービット(Little Orbit)の異なるゲーム間でもアイテムのNFT化による共通化ができるプラットフォームの試み
の例を挙げています。
POQ、Little Orbitも営利企業で、トークンプラットフォームやアイテムプラットフォームに乗っかれば互換性が実現できる、というのも中央集権的に感じなくはないですが、現実的にはプラットフォームが共通通貨や共通アイテムの仕様を提示して乗っかったら共通使用できる、というのが手っ取り早いのは間違いありません。
しかし個々のメタバースが特定のプラットフォームに乗るということは考えづらい気がします。
■来店スタンプを全店共通化させることはできるか?
それは、メタバースプラットフォーム側からすると特定プラットフォームに乗ってまで互換性を作り出す経済的な旨味がないからです。
その通りだと思います。
例えば現実の飲食店での「来店スタンプ」の仕組みがすべて共通化されれば、どのお店に行っても来店スタンプが押されるし、よく行くお店が潰れたとしてもこれまで貯めたスタンプは他のお店でも使えるので便利です。
しかし各店舗は「他店よりうちに来てほしい」という競争の中で顧客を囲い込む手法として来店スタンプを導入しているので、他店と共通化させては意味がありません。
■dポイントや楽天ポイントは相互運用性実現のヒントになるか?
dポイントや楽天ポイントなどのポイント制は複数店舗どころか複数業界での共通化が実現できています。来店スタンプよりずっと幅広く共通で使えますし、すでに実例としてわかりやすいですね。
しかし、超巨大な中央集権基盤があってこその共通化です。
ポイントを貯める場所と使う場所が異なることを中央が資金的に吸収するからこそ実現できているわけです。
一般消費者から見ると一見、貯まったポイントでタダで買い物ができてお得だと感じますよね。しかしこのポイント制が一切なかったら、ポイントとして流通している金額分、全商品が安く買えていた可能性があります。
共通化させるために中央の運営基盤が莫大なコストをかけていますし、各店舗も顧客に配布するポイントを中央から仕入れています。しかもそのポイントは1ポイント1円ではありません。1.X円という金額を店舗が払って顧客に還元しています。
このポイント原資分やポイント運営分のコストを結果として消費者が負担しているわけです。
一部のユーザーにとっては加盟店の支援によってポイントが多く貯まり安く買えるということも起きますが、ポイントは形を変えた広告費、基本はポイント経済圏の中で加盟店が顧客の奪い合いをするモデルです。そのためマクロにみると店舗の広告費のぶんだけユーザーにコストが乗ります。
もし同じ仕組みでメタバースやゲーム間の相互運用性を作り出そうとすると、ユーザーが負担すべきコストは増大するはずです。
またweb3の中央集権的な思想からも認めがたいと感じる人もいるでしょう。
■それでもNFTがNFTであるために相互運用性が重要
今回ご紹介した記事では、相互運用性は時代の流れとして必然なのでいつか実現される、と結論付けています。
でもそうでしょうか?
必然性でいうと、経済合理性があれば実現されるでしょうし、ポイント経済圏のように「一見お得」のように感じさせることに成功すれば実現されるかもしれません。
しかし時代の流れだから実現される、というものではないように思います。
NFTという技術が登場しました。しかし現在の多くの実例はNFTである必然性がないものが多いと感じます。それは発行体の初期の用途以外の、他社/他者の使い道がないからです。
NFTアートとして売買されるものは資産性・投機性が主要な価値です。パスポートNFTのように持っていると入れる部屋や所有者限定コンテンツなど機能を持っているケースもありますが、中央集権的に運営が特定会員にだけ見せれば同じことが実現できます。
NFTがNFTであらねばならない理由は、本来は相互運用性なはずなのです。ほかで使える共通規格としてNFTが使われ、トラストレスに誰でもそのNFTを使ったサービスが作れる。中央プラットフォームに参加せずとも共通アイテムとして使える。それがNFTの存在意義なはずです。
JIS規格やW3Cのように規格の共通化で解決する方法もあります。NFTだからといって規格が統一されるわけではないので一定の共通規格化は必要です。しかし共通規格があればNFTでなくても大丈夫、になってしまいます。
NFTがNFTであるためには、外部で使われる用途があり、中央にお伺いを立てる必要がなく利用可能であるという相互運用性を前提にしている必要がある、というのが本来の姿だと思います。
NFTに懐疑的な人の多くは「NFTじゃなくてもいいよね」と考えています。実際そうです。NFTじゃなくても実現できてしまうことばかりがNFT化されているのが現状です。
メタバースやゲーム間で相互運用性が作られにくいのは「NFTじゃなくてもいいよね」が本質的にあるからだと思います。逆にメタバースで相互運用性が実現されるためにはNFTでなければならない理由や使い方が編み出される必要があると思います。
メタバースの外にある数あるNFTがメタバース運営を介さずに自由に持ち込み可能な状態、などでしょうか。まだ編み出されていないので例示も思いつきませんが、中央がガッツリ管理している間はNFTである必然性がなく、土地をNFTとして売る意味も価値もないと感じます。
メタバースにはNFTは必要ない!でもありません。メタバース間で互換性があった方がいいです。異なるメタバースを接続しないのなら、メタバース単体ではNFTの存在意義はあまりありません。
あまり、というのはメタバースが単体でも安全にデジタルデータを売買する所有権的な概念を実現するためには一定役立つと考えられるからですが、それでも(現実世界で国家が実現しているように)中央がガチガチに管理すればデジタルデータの売買であってもNFTであることは必須ではありません。
メタバースについても、NFTアートについても、NFTがNFTでなければならない理由は相互運用性を実現する場合においてのみだと思います。原理主義的に考える必要はないと思いますが、相互運用性が前提にないNFTはこれから淘汰されるんだろうな、と考えています。
■企業でNFTプロジェクトの企画を考えるときに思い出してほしいこと
これから企業でもNFTを活用したアイディア検討がされるケースが増えてくると思いますが「NFTじゃなくてもいいよね」と思う企画ばかり挙がってきたら思い出してください。「NFTでなければならないのは相互運用性を実現する場合のみ」だということを。
最初はNFTである理由が希薄でもトライするのはアリだと思います。しかしきっと「NFTじゃなくてもいいよね」とモヤモヤするはずです。そのモヤモヤを打破するためには外部との接点、自由な利用、互換性の確保、つまり相互運用性です。そんなアイディアを入れられればきっとNFTプロジェクトは成功するんじゃないかな、と思います。