昭和初期の貴重な写真…「朝日神社」FB
秋の大祭が終わり、諭達も発布され、三年千日の始まりという感じで、大教会への巡教も始まるということだが、それぞれの大教会でも準備など忙しくなることと思う。
個人的には「教祖年祭」というと、どうしても教祖30年祭を思い出してしまう。1916年(大正5年)であるが、教内では教祖が表に現れるという噂が広がっていたという。ちょうど「新宗教」を出していた大平良平が出直した年でもあるが、芹沢光治良の「死の扉の前で」でもそのことが書いてあり、ずっと気になっていた。その2年後には大事件である現役の本部員に天啓が降りるという「茨木事件」も起こっている。結局、茨木基敬は大正8年に罷免されるのだが、第一次大戦中のことであり、戦争が終結すると、大正8年にはスペイン風邪の大流行も起こった。
ここまで書くと、何か今の状況と似ているのではないかと思う人もいるのではないだろうか。状況があまりに似ているようにも感じるからである。「小川事件で松村吉太郎の収監」「戦争」「疫病の流行」など、教祖140年祭を前にして、どうも神が何か知らせようとしているようにも思ってしまう。何もなければいいのだが、歴史を見てみると大正12年には関東大震災が起こっている。南海トラフあたりで、何もなければいいのだが、災害には常に備えていなければとも思う。
井出クニは神の命令で教祖30年祭には教祖殿へ行けと言われ、行ったというが、教祖殿で本部員に引っ張り出されたという。その辺の事情については以前も記事「播州のおやさま「井出クニ」について」に書いたので割愛するが、朝日神社さんの方で昭和初期の貴重な写真をアップしているので、ご覧いただきたい。写真をコピペして貼るわけにもいかないので、リンクを紹介しておく。
https://www.facebook.com/profile.php?id=100063507604747
「井出クニ」についてはネットやいろいろな文献で調べて来ていたが、文字情報が中心であるから、どうしても頭でイメージするしかなかったが、朝日神社のFaceBookでは、珍しい昭和10年ごろの井出クニの様子が写った写真を公開されている。井出クニが「おさづけ」をしているものもあるが、神殿にはこんなに多くの人が集まっていたのかと驚かされた。
今の大教会でも、これほど人が溢れていることはあるのだろうか。また東京からの団参の写真もあるが時代を感じさせるものである。とても貴重な写真だと思うが、昭和10年頃に取られた写真ということは、教祖30年祭後、播州に戻り、三十年近く経っていた頃のものかと思える。神の命ずるままに、ひたすらお助けをしていたということであるから、助けられた人が増えていき、参拝する人もどんどん増えてきていたのであろう。
天理教教会本部側では「異端」だとか、「教祖殿でむほん」を起こしたというような扱いになっているが、実際にこの写真を見れば、多くの人が助かり、信者となり、参拝に集まっているというのがわかる。現場でクニを引きずり出したという本部員が、後にこの写真を見たら、どう思っただろう。
芹沢光治良の兄も通っていたと、光治良の小説の中で、よく紹介されているが、不思議な助けを目の当たりにした人も多かったようだ。
写真を見て感じるのだが、「異端」に、これだけ人が集まるのだろうか?
私には、やはり本物であったという印象を受ける。二代真柱が芹沢光治良に会った時、「井出クニ」の話はしないと約束させられたのか、何となくわかるような気もする。
それにしても、写真というものは視覚に訴えるだけに、インパクトがあると、今さらながら思った。「百聞は一見に如かず」とはよく言うが、貴重な写真を公開してくださったと思わずにはいられない。もっとあるのであれば、見てみたいものだ…。
「いずれ百年経てば、明らかになる」と聞いたことがあるが、ちょうど、そんな時期に入ってきたのかとも感じる。
追記:2022年12月24日
井出クニに関するサイトも新しく立ち上げられたようなので、紹介しておく。
「朝日神社教祖 播州の親様」
https://ide-kuniko.com/