ジロウ閑話休憩…6
以前の記事「因縁なるのなせる業」でも少し書いたが、三重の児童養護施設の事件だが、どうやら判決が下ったようだ。求刑5年に対して懲役3年半ということになったようだ。執行猶予がつかなったのかとも思うが、さすがに悪質だったのか、厳しい判決が下ったのかと思う。天理教関連の施設で起こった事件なのに、「天理時報」でも取り上げられないニュースのようだ。
横領の元職員に実刑判決 三重・伊勢の児童養護施設
記事を読んでみると、5年以上にわたって6.890万円を横領したようだ。ネット上の情報を見ていて、1億とか着服した額は五百万円台だったとか、どうもよくわからなかったが、津地裁の判決ではっきりした。6.890万円と言えば、質素な生活を続けてきた私には想像がつかない額面で、「ふざけんなよ!」と言いたいくらいである。いったいどんな暮らしぶりをしていたのか気になるところである。
非常に悪質だといえるが、自殺をほのめかすメールを親に送ったとのことだったから、さすがに良心が咎めたのかとも思う。どうも聞くところでは教団内には表沙汰にはなっていないスキャンダルが多いように思う。しかし、こういった事情は本当に厳しいものだと思う。
『天理教教典』では、「善き事をすれば善き理が添うて現れ、悪しき事をすれば悪しき理が添うて現れる」と、厳然たる因果律の存在が述べられている。いんねんは今生一代にとどまらず、末代の理である魂に刻まれて、来生へと受け継がれるものでもあるとのことだが、やはり教団を引っ張っていく役員である本部員もその子弟も人間であり、更には人間は皆、神の子であり、平等であることを知らしているのだろうか。人間である私にはわからない。だからこそ、この教団には神と人間をつなぐ「神のやしろ」が必要なのであり、それなしには「復元」も「改革」も無理だと主張しているのである。
衝撃的な事件と言わざるをえないが、このような不祥事は大正時代の頃からもあったようで、松村吉太郎が『道の八十年』で書いている。「たとへ、政甚さんに不始末があっても、本教のために最も由緒ある飯降家をたおすことが出来ない。そんなことをしては、天理教として世間にも顔向けが出来ないばかりでなく、道の精神がたたぬ。」と語っていたようだが、結局、大正の昔も令和の今も“本教のために”とか“由緒ある飯降家を”とか、教祖の教えたことはどこかに飛んで行ってしまい、組織を守ろうとする原理だけで動いているような気もする。嘆かわしいとしか言いようがない。
組織の上に立つものは避けられないことなのかもしれないが、リーダーとしての資質を問われる部分でもあるように思う。対応を間違えば非難にさらされるわけでもあるし、隠せるものなら隠したくなる心理もわからないではない。しかし岐路に立った時、判断のもととなるのは真の信仰者であればわかりきったことで、迷うこともないのではないだろうか。通常、社会の中でこのようなことが起これば、謝罪会見などを通して、再発防止に努めるとか、会見をし、何らかの対応があって然りだとも思うのだが。「社会福祉法人天理」のHPでは第三者委員会の報告が令和3年8月に行われただけのようである。
https://welfaretenri.com/report.html
天理教の歴史を詳しく調べるようになって、本末転倒になっていることが多いと感じている。世襲制とか代々続かせるとか、どうも教祖はそんなことは関係なく、本当の「道の子」だけを引き寄せたかったのではないかとも思う。なぜ、そのように思うかと言えば、教祖のひながたを振り返ってみれば、そうとしか思えないからである。跡取りの秀司さんでも、こかんさんでも道を歩むように説いていたが、結果は残念なことになっている。
最終的に神の目に適ったのは飯降本席であり、人間の目にはもちろん、神の目にも適ったからこそ、本席という立場になられたのかとも思う。しかし、こういったことは一人一人の魂に関する事項であり、世襲だとか代々続くというものではないということであり、中山家、飯降家だと世襲していくようなものではないということだと思える。それを教規で定め、天啓を止めてしまったのであるから、人々が離れ、組織が衰退していくのもやむを得ないことなのかもしれない。また教団自体の運営も身内ばかりで固めているような印象もぬぐえない。言葉は悪いかもしれないが、今の「天理教」は教祖が伝えたことを元にしたサークル活動のようなもので、人間が運営し、その運営する人間の都合で物事が動き、本来の姿からはどんどん離れていっているものなのかとも思える。
先の記事「車中八策」の最初に天啓者を迎え、伺いを立てる体制に戻すべきことを書いたが、一番難しい部分だと他の方々から意見をいただいた。それ以外の7つは実現可能なものかと考える方が多いようだ。しかし、一番難しく、あえて実現不可能であることを一番最初に挙げたのは、教団としての一番重要な部分であり、それなくしては「復元」など夢物語だと感じているからである。
天理教の歴史を調べれば、自称他称の「神のやしろ」が出てくるようで、本物かどうか判断する基準や証拠がなければ難しいこととも思われる。仮に現れても反対する者も出てくるだろうから、教団自体が大分裂するという危険性もある。ちょうど本部員で神懸かりのあった大正7年に起こった「茨木事件」のように。
この事件を知らない若い世代の方も多いから、簡単に紹介するが北大教会初代の茨木基敬(いばらきもとよし)本部員が神懸ってしまい、異端ということで大教会長も本部員も罷免になってしまったという事件である。茨木基敬の信仰はもともと泉田藤吉のお助けから始まっている。そして膨大な数の信者を擁する北大教会を作り上げるが、明治40年に本席が亡くなり、その4年後から神懸るようになったが、本部では認められず排除されてしまったという事件である。
迎合派で体制を維持しようとする松村吉太郎にすればやっかいな存在であったであろうし、信仰の根本的な大問題であった。この教訓から本部では一切、天啓を必要としない現在に続く教団になったといえるが、その後、令和の現在に至るまで、その体制は続いてきたと言える。しかし、今の世の中の動き、教団に見せられる事情を考える時、神の怒りも臨界点を越えたのだろうかとも思えてくる。
私には“由緒ある~家”などというのは人間世界の戯言であり、それを超越した教えを説いたのが教祖であると思う。したがって人間並みの高低を付けた今のような本部の体制は徹底的につぶそうとなさっているのではないかとも、昨今の社会に起こる出来事を見ていても感じる。私は霊能者でも何でもないので、勝手にそう感じているだけだが、そのような思いを持っている人も少なからずいるように思う。
私の独り言のような記事であるから、間違った認識やおかしいと思われる部分があれば、コメント欄、もしくは下部のクリエイターへの問い合わせで忌憚なくお聞かせいただければ幸いである。
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