因縁なるのなせる業…
前回の記事を書いてから大正初期にはいろいろあったのかと思っていた時に、『道の八十年』松村吉太郎を読み直していて、気になることが、また出てきた。その部分を抜粋するので、少し読んでいただきたい。時期は内容からして大正5年頃の話のようである。
文中に「飯降(政甚)さんの負債問題」とあるが、何か大きな借金でもしたのだろうか?「大正二年十月ごろにも不始末が」とあるので、何度も繰り返しているのか?とも思えるが、いったいどうしたことなのか。差押処分とは穏やかでないが。詳細が書かれていないので、読者にとっては気になるところである。『天理教事典』おやさと研究所編の飯降政甚さんの頁を調べても、負債問題などということは出てこない。そもそも政甚さんに関する記述も短い。本席の息子さんなのに、どうしてなんだろうという思いがする。
『天理教事典』によれば政甚さんは教祖から名前もつけてもらい、「この子は前生は破れ衣服を着て長らく苦行したるによって、そのいんねんで元のぢばへつれ帰って楽遊びをさせるのや」とも言われていたようである。
それにしても「負債を抱える」ほど、「楽遊び」してしまったのだろうか? 前の記事(私の「中山松枝」考…その1)で、政甚さんの談話なども取り上げたが、いったいどういう人だったのか?と益々、興味が湧いて来る。
政甚さんは本席が出直した翌年35歳で本部員となられたようだが、松村吉太郎さんの談によれば大正2年に不始末があったとのことだから、本部員になって40歳の頃に何かやらかしていることになる。
いろいろ考えている時に、『新宗教』(大平隆平)に政甚さんについて書かれたものを見つけた。少し読んでいただきたい。
いったいどういうことなんだろう?「不覊放縦」というのは 何ものにも縛られず、好きなように振る舞うことのようだが、「実に飯降家の失つた信用と名誉とを回復するも失墜するも氏一人の責任にあるのである。」ということは何かやらかしたのだとしか思えない。本席が出直して十年とのことだから大正六年より前の頃のことかとは思うが。
政甚氏は「新宗教一月号の余の談話に就いて」で次のように述べている。
断片的に出てくる政甚さんの他の話からも、どうも政甚さんは自由奔放というか正直というか、今風に言えば忖度ができないというか、そういう人物であったようである。上記の秀司さんについても忖度なしで、ずばり最後まで教祖に反対であったことを貫いているのは偉いとほめている。中々尋常人ではないとまで言っている。ちょっと待てよ?秀司さんって、親孝行な人じゃなかったのか?まつゑさんと結婚して変わってしまったのだろうか?もう何が真実なのかわからなくなってくる。また本部の体制についても
まったくその通りだと思う。拍手を打ちたくなる。しかし、益々、政甚さんという人がわからなくなる。政甚さんは昭和12年1月に64歳で出直されたようだが、二代真柱体制になるまでの山澤管長摂行時代には自由奔放に言いたいことを言って、本部の中でも厄介な存在だったのかもしれない。まあ、やらかすわ、言いたい放題言うわでは、さぞや、山澤為造さんも松村吉太郎さんも大変だったことと思う。だから『道の八十年』でも思わず、回顧談として書いてしまったのだろうか?とも思えてくる。隠蔽主義なら当然、書けないことだろうから。
政甚さんのことを書いているうちに思い出したが、その後、児童養護施設「天理教三重互助園」の横領事件はどうなったのだろう。一億越えのすごい額で、横領した金は競馬や生活資金に充てたと言っていたように記憶しているが、そんなにギャンブルや遊びで使えるものなのだろうか…と貧乏人の私は思うのだが。数か月前の話だが、全く聞かなくなったように思う。
施設側は1億8千万の被害と出ているとのニュース記事があるようだが、着服した金額は560万円という記事が、今でもネット上にはあるようだし、いったい何がどうなっているのだろう。まあ、個人的には560万くらいなら、競馬とか遊びに使ったと言えば信憑性もあるとは思うのだが。本当によくわからない事件だ。政甚さんの事件から百年たった今も隠蔽しなければならないような事情が起こるというのも因縁なるのなせる業としか思えないのだが。
この横領事件も百年後には隠蔽された事実として、知る人ぞ知るニュースになるのかもしれないと思うと何ともいえない気分になる。しかし、いろいろ調べていて思うのだが、教祖の教えというのは、天の理そのものだということだ。公平無私であり、真実を説いてこられたのだという思いが強くなる。教祖に近い高弟の子孫であれ、それは関係ないようだ。更に言えば、信仰というものは個々人のものであり、家柄などは関係ないのだとも感じる。
「親ガチャ」という若者言葉があるらしいが、「親は自分では選べない」「どういう境遇に生まれるかは全くの運任せ」というのも、天理教的に言えば、「因縁のなせる業」なのだろう。好き好んで末端教会に生まれたのでもなく、好き好んで本部員や大教会の子弟に生まれたわけではない。大事なのは教祖が教えた純粋な教えをしっかり理解し、心におさめ、それを実践していけるかということかとも思う。しかし、その「教え」も五目交じりで純粋なものとは思えない。今の別席制度も変だと思っている。だから、真実を知りたい。だから一円にもならないのに、時間と労力をかけても調べて、Noteを書いている。
松村吉太郎さんの「たとへ、政甚さんに不始末があっても、本教のために最も由緒ある飯降家をたおすことが出来ない。そんなことをしては、天理教として世間にも顔向けが出来ないばかりでなく、道の精神がたたぬ。」という気持ちもわからないではないが、教団の隠蔽主義というのは、変えていかないと後々、禍根を残すことになるのかとも思える。
元安倍首相の事件も然りである。森友学園事件、赤木さん自殺事件など、結局、うやむやに終わらせようとして、そうなった。でも結局は、一時は、やり過ごせたと思っても、禍根を残すことになってしまう。天の理なのかなとも思える。
教団の改革を求める声がインターネット上にあふれているようにも感じているのだが、本当に原点に返るとか、奥谷文智さんが言ったように“教祖に帰る”べき旬が来ているようにも感じる。