信じてくれ続ける人



最近知ったんですが、

どうやらゼミの後輩全員に嫌われてるらしい。

あれだっけ??

「故意な暴力」って犯罪じゃないんだっけ??

犯罪じゃないよね??








「自分のことを信じてくれる人」って、人生において結構重要な要素だと思うんですよね。

「そんな人間、必要ねーし。一人で生きていけるし。」なんて尖りを数か月前までしていた人間が、こんなことを思ったのには訳がありまして。



僕は、現在大学3年生で、卒業したら1年間は東京でフリーで活動し、お金が貯まったら、事務所の養成所に入りたいと考えています。
なんでフリーでやるの??とか、どこの事務所に入りたいの??とかは、答えるのがめんどいので、今度言うかもです笑


で、僕に限らず、「将来、こういうことしたい!」とか、「やりたいことはないけど、とりあえずここで頑張りたい!」とか、それぞれ「自分の想い」ってものがあると思うんですよ。

それは、応援されることもあれば、否定されることもあるし、両方あるときもあるし、どっちかに偏ってるときもある。


そこでです。自分に近い人間が、「応援」ではなく「否定」にいた時、辛いなって。

『「否定」が優しさだよ』って意見ももちろんあるのはわかります。
『なにもかも「応援」するのは甘やかしすぎだよ』って意見もあるはず。


それでも、「自分が決めた道を応援してくれる人がいる」って、めっちゃ嬉しいことじゃないですか。
その人がどれほど自分の気持ちを理解しているか、その道のことにどれほど知識があるのか、そんなことは関係なくて。
ただ、その存在だけが嬉しいもんだよなって。


僕は大前提として優しい人間なので、ここにはすごく気を付けているんです。
気を付けてるっていうと、あざとい奴になるな。

例えば、誰かに「将来、こういうことをやりたいんですよね」って言われたら、絶対に「いいじゃんそれ!」って言うんですよ。
難しい話されても、よくわかんないのでって理由です。
ウソです。


でも絶対、自分の夢を「応援」されるって嬉しいことじゃないですか!

「そんなことできないでしょ。」とか、「お前には無理。」とか、「現実的じゃない。」って、自分が言うのはおこがましいと思っちゃうんですよね。

「君が楽しいと思うなら、それでいいじゃない!」って。

ここまで楽観的だと、もう一周回ってサイコパスですね。



もちろん、考えを磨いたり、修正するためには人の意見って重要だと思います。でも、「スタート地点である想い」ってもっと応援されていいと思うんですよ。
1人で考えを深めたり、自分を客観的に見たり、そういうのって出来ないことじゃない。
でも、応援されることって誰かがいないとできないよなって。


ほんと、リアルな世界でもSNSでいいねする感覚、必要なのかもな。


最後に、ゼミの後輩が以前、インスタのDMで熱いメッセージを送ってくれたんですよ。会話、晒します。


後:いつか来るその時まで、待ってていいんですね?期待してていいんですね?

自:どういうこと??

後:頂点になるときですわ!
  我々ファンは待ってていいんですね?

自:待っててくれ!
  信じ続けて良かったと思わせる!

後:おぉ、力強いお言葉。


こいつも俺のこと嫌ってるんだよな。

許さない。

あれだよな、

「不意って体の故意の暴力」は犯罪じゃないよね??

そうだよね??





今日もお疲れ様です!

明日も一緒に頑張りましょう!

きっしー

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