大好きな家族
皆さんこんばんは!今日は家族について書いていきたいと思います。
まず1番最初に言えることはこの家族に生まれて来れたことすごい幸せだなって自信もって言えます!今は家族全員で集まるのは数少なくなってるけど集まったら本当に賑やかでバカやっててみんなで笑い合って本当に楽しく仲のいい家族だと思います!
まず最初にお父さんについて書きたいと思います。お父さんは野球がすごい好きで時間があったらいつでも野球のことを見たり調べたりしてる野球馬鹿な親父です。小さい頃は19時まで働いて疲れているのにも関わらず僕たち5人兄弟の練習に付き合ってくれて、トスをあげたりピッチングを受けたりしてくれてました。僕はすごい練習がその当時は嫌いで何度も断ったことを今ではずっと後悔しています。小学校の時とシニア(中学時代)の時は審判もやってくれて子供達の野球にすごい協力してくれたのは今でも感謝しています。大学の時などは試合に駆けつけてくれてどんなピッチングでも「文哉なら大丈夫だ」と勇気づけてくれたことは本当に嬉しかったです!信濃の時は練習生に落ちても「サポートすることはなんでもやってやるから悔いなくやってこい」って言ってくれて信濃の生活は不自由なく野球に集中できました!そんなサポートを裏切ってしまい信濃を退団した時はお母さんから毎日気持ちが抜けたような顔をしていてと聞いて僕の野球が希望だったんだなと気づきました!だから今も野球を続けてこれてるんだと思います!50歳を超えているのにも関わらず僕のピッチングを受けてくれたこともすごい嬉しかったです!久しぶりのお父さんとのキャッチボールは幸せでした!
お母さんには小さい時から喧嘩ばかりで反抗してばっかでした!1番手のかかる息子だったと思います!大学で一人暮らしをしたことによって親へのありがたみがわかり昔の態度を反省していました。お母さんあの時はごめん!親というのは偉大で電話の声だけで僕の機嫌を察知して、なんでも話聞いてくれたこと、アドバイスなどくれたことは本当に感謝してもしきれないです!何度も救われました!信濃やめた時も泣きながら「文哉が野球やらなくなるのは辛い」と言ってくれてこのまま野球はやめたらダメだなと思いました!
長男は頭が良くて昔は比べられてすごい腹が立ちましたが、旅行など行くと周りを見て弟たちの手を引っ張ってくれたり、後ろからみんなのことを見守ってくれてました。僕が辛い時にも節々で適切な声をかけてくれて何度か救われました。次男は小学校時代からすごい憧れで野球の試合などで一緒にグランド立てたことはすごい幸せでした。高校選ぶ時も兄の背中を追っかけたかったが頭が足りず断念したのも思い出します。次男も大学の時は試合見にきてくれて「俺も勉強頑張ろうと思った」など嬉しい言葉をたくさんかけてくれました。信濃辞めてから次のチーム決まる期間は仕事の休みの日に本当はゆっくりしたいはずなのに僕の練習に付き合ってくれてキャッチボールしてくれたことは本当に感謝です。サッカーゲームは弱いけど。笑笑四男は冷静でクールぶってるところ少し腹立ちますが大学の時から帰省した時の練習は1番手伝ってくれて感謝している。五男は何事も上から目線で本当に末っ子か?って感じだけど僕たち4人のお兄ちゃんを見て何かしら学んでるって今年の誕生日に言われて、なんかすごい嬉しかったなと思います!文句も言いながらも僕の練習は言ったら付き合ってくれて本当に感謝しています!
この家族に少しでも恩が返せるように都市対抗や全日本選手権、応援来てもらえるようにNPBのマウンドに応援来てもらえるようにこれからも頑張っていきたいと思います!