大学時代 後編
こんにちは!森井文哉です。
大学時代の3年生から話をしたいと思います。3年になる前の春休みもたくさんの練習試合で投げさせていただきリーグ戦メンバーに入ることができました。そして迎えた初戦。平成国際大学との試合で8回途中からマウンドに上がりましたが2本の安打を打たれましたが、外野手がホームで刺してくれ無失点。次のイニングも投げさせてもらえるかなって思ったが投げさせてもらえずとても悔しいスタートになりました。そこからなかなか出番が与えられず、ブルペンで準備する日々が続きました。迎えた上武戦では僕はずっとブルペンにいましたが声がかからずそれでも腐らずブルペン、ベンチからずっと声を出していました。その上武戦では8年ぶり?くらいに勝ち点取ることができチーム一丸とはこのことだなって思いました。グランド、ベンチ、スタンドが一体となっていました。次の週の新潟医療福祉との試合は先発の方が肩の怪我で調子が悪く、3回途中ワンアウト1、2塁で登板しました。左バッターインコース高めのまっすぐで詰まらせてピッチャーゴローゲッツー!思わず吠えてしまいました。その後8回まで投げて見事リーグ戦初勝利🤜この時は母親と兄貴が見にきてくれていてその前で初勝利を上げれたことが嬉しかったです!
その後春のリーグ戦は外れてしまい春はそこで終了しました。また1から自分のフォームを見つめ直すいい期間にしようと6ー8月はやりましたがうまく行かず、3年秋のリーグ戦は一度もベンチに入ることができませんでした。しかし外れてもくじけずに練習や紅白戦など望むことができてたのは良かったと思います。そして4年生が引退。新チームがスタートしました。僕は監督から「お前の練習姿勢だったり朝早く来てグランド整備とかしてるそうゆう姿勢をみて森井に投手キャプテンをやってもらいたい」って言っていただき投手50人近くをまとめる投手キャプテンになりました。言葉などで引っ張ることが無理な僕は行動で示すをずっと心かげてました。そして最後の冬のきついトレーニングを終えスタートした4年生。僕たちを襲ったのは新型コロナウイルスでした。練習試合も中止。そして、ずっと目指していた全日本選手権も中止になってしまいました。僕自身はすごい悔しく部屋で泣いてたのを思い出します。グランドで練習できなかった時には寮の駐車場でキャッチボールしたり近くの山までランニングしたりしてました。グランドで練習できるようになっても全体練習はできず、朝練や午後練を交互に繰り返す日々でした。朝練では6時半からの練習でしたが僕は5時半に行きポール間走や50メートルダッシュ、体幹などを誰よりも早くグランドにいきそれを毎回やり続けました。
そして徐々に実戦ができるようになり紅白戦でも練習試合でもほぼ点は取られず最後の秋のリーグ戦を迎えました。最後はほぼ抑えとして投げさせていただき12試合中8試合に投げほぼフル回転でリーグ戦を終えました。コロナの期間を無駄にせずにやってきたことが出せました。その中で思い出の試合は家族全員で見にきてくれた白鴎戦でした。3回から7回途中まで投げて2失点。チームは負けチャンピオンラウンドには進めず悔しい思いをしました。
4年間はいろんなことがあったがやっぱり最高の指導者と先輩、同級生、後輩に出会えてよかったです。中でも岩佐、星野、千葉という左投手がいてくれて僕自身すごい刺激になりました。