いよいよ日本でも始まった「BID制度」 |日本の商店街制度と市民参加型まちづくりとの比較
3年間勤めた仕事を離れ昨年6月にロンドンに来てから1年半、修士号も先月に無事に納め、英語もそこそこ喋れるようになったところで、日本へ帰国するまで残すところあと少しとなりました。
今回このブログでは、ここロンドンで、自身の修士研究とインタビュー調査を通じて調べてきました「BID (=Business Improvement District)」という地域活性化制度について書きます。またその動機ですが、この1年を通じて学んできたことを、帰国後に他の人にも伝えられるよう、このタイミングで整理しておきたいと思ったからです。
この制度、すごいかもしれない
この1年間、ロンドンで一人ぼっちで何をやっていたかというと、もうこの「BID」という耳慣れない横文字の制度についてひたすら調べていました。
ちょうど1年前、修士のネタになりそうな話はないかと大学の図書館で読み漁っていた文献の1つにその名前を見つけたのですが、この制度に惹かれたのは、①自分が学部時代の卒論を通じて調べた日本の商店街制度における内因的欠陥、②3年間の日本でのリサーチャー時代に感じていた市民参加型のまちづくりに対する歯痒さ、それら自分の中に抱いていた2つのモヤモヤを、ひょっとしてかなり巧妙に解決してしまっているかもしれない、と感じたからです。
このBID制度、まだ日本では馴染みがないのですが、北米、ヨーロッパ諸国の都市部、またアジア・アフリカの一部の地域などでは有効性の高い地域再生のための仕組みとして定着し、かなり一般化しています。ちなみに1年前、日本ではどうだろうと思いYahooで検索したんですがほぼ全く何も出てきませんでした。しかし最近になって、現行法の枠組みの中でという括弧付きですが、なんと、うめきたに日本第一号となるBIDが誕生しました。お馴染みのグランフロント大阪周辺です。
個人的には日本でも今後、このBID制度は各地域でまちづくりを支える主要な制度となると思ってますし、そうなることを期待しています。また自分もその一翼となれれば嬉しいと思っています。
このブログの内容について|2つの比較を軸に
といったところで前置きは終わらせて、この文章の中身の説明に移ります。この文章では「日本の商店街組織」「市民参加型のまち(場所)づくり」との比較・対照を軸に、BIDってどういうもの?ということを紹介していこうと思います。
なぜこの2つの比較を軸にしたかというと、淡々と平面的に説明するよりも既存の馴染みある考え方を引き合いに出す方がわかってもらいやすいと思ったのと、自分としてもBIDに対する驚きは、その2つとの比較の中にあったからです。他の制度との比較というのであれば、BIDの前身であるTMO(Town Management Organization)やTCM(Town Center Management)と比較するのが最も適切かもしれないのですが、自分の経験の中になかったので諦めました。出来ないことはしないでおきます。
また、このブログは、
「BIDの特徴や可能性についてザックリとわかってもらえれば嬉しい。」
ということろにその限界を設けて書きます。本当は、「コモンズとしてのBID論」とか「BID:現代における新しいギルド制 ーローカリゼーションの逆襲ー」的な、もう少し高尚なテーマで深く考察できればカッコイイのですが、それは今の自分にはあまりにも手に余るので、今後の課題としたいと思います。
そして目次は以下のようになります。どちらかと言うと、2つ目の「市民参加型まちづくり」との比較編、にメインとして言いたいことを書くことになるかなと思います。
・ BIDの解説|特徴・概要・現況
・「商店街制度」との比較|運用・管理チームの専門化と独立化
・「市民参加型まちづくり」との比較|リスクの具体化と共有
・ 補足とまとめ
最後にこの文章の中身ですが、「BID」に関しては自身の修士論文で集めた情報とロンドン内の6つのBIDに対するヒヤリング、「商店街」に関しては学部時代の卒業論文と付け焼き刃に読んだいくつかの最新関連記事、「市民参加型まちづくり」に関しては3年間のリサーチャー時代、東日本大震災被災地を含むいくつかの地域で実際に関わってきたプロジェクトでの経験、これらをその拠り所としています。
ということで、もしちょっとでも興味があれば、以下、少しばかりお付き合いいただければ幸いです。
※自身の修士論文の内容についてこのブログでは一切触れない予定です。論文の内容は「住宅価格の変動を指標としてBIDが地域に与える影響を数値化し、その有意性を統計学的に証明する」というものなのですが、人に聞いてもらうお話としては全く面白くないので。
BIDの解説|特徴・概要・現況
1:特徴|地域の人々が活動費を払う「法的義務」を負う
比較に入る前に、BID「Business Improvement District」について、特徴・概要・現状、の順で少しだけ解説します。
そもそもこのBID制度がどういう類のものかですが、「まちづくり」または「地域活性化」という世界的なムーブメントの中で開発された、その活動を支える「仕組み」の1種です。(※「まちづくり」「地域活性化」という言葉は、ここではほぼ同義の意味で、「特定地域におけるその土地の関係者たちの、地域経済発展やコミュニティ活動の活発化に向けた意識的な取り組み」として用います。)
その名前「Business Improvement District」が示す通り、その地域の商業的な発展により重きがあるという性格はありますが、その土台となる理念や実際の仕組は、まちづくりに関する既存の考え方や制度と様々な点を潜在的に共有しています。「まちづくりに関する既存の考え方や制度」というのは例えば、「民間と行政の連携が効果的な施策を行う上で重要である」(公民連携)、「その地域に実際に住む人々の声を大事にしなくちゃダメだ」(ボトムアップ、市民参加型)、あるいはそこから「その地域に根付くコミュニティが主体となった持続性のあるまちづくりを目指そう」(コミュニティ・デザイン)といったもののことです。
そんな中でBIDが画期的だったのは、一度その定められた区域に投票によってBIDが設立されれば、「区域内の受益者全員(建物の所有者、または事業主)は設立されたBIDに対し、一定率のお金を活動資金として払う「法的義務」を負うことになる」という点です。
つまり、聞こえは悪いですが、法の力でみんなから強制的にお金を集められるようになるということです。その税率はBIDによって多少異なりますが、事業主が負担する場合、各々の不動産評価額のおよそ1.0〜1.5%を支払うことになります。また「全員」とは一部教育機関などを除いて本当に全員です。例え投票時に、BIDの設立に反対票を投じていたとしても、です。(その変わり一定期間毎に改めてその地域でBID存続を問う投票が行われていくことになります。イギリスでは5年毎です。)
地域の受益者全員に対し一律にこの法的義務(リスク)を負わせたこと、これが自分が思うこの制度のもっとも革新的なところで、それは単に「お金集めが楽だから活動しやすくていいね!」というところに留まらず、組織構造上においても大変重要な変革を起こしているんですよ、ということを「日本の商店街組織」「市民参加型まちづくり」との比較を通じて示していく、というのがこのブログの趣旨です。
2:概要|法的枠組みとその役割
BID制度は国や地域ごとで様々ですが、イギリスでは2005年に施行された「The Business Improvement Districts Regulations 2004」によってその設立方法や役割、権限などが定められています。
まず、基本的にBIDは誰でも「この地域に作ろう!」と言い出すことができます。地元の商人でも、土地の所有者でも、また行政でも構いません。そして提案者はそこから具体的な運営区域、事業計画、事業者(または建物のオーナー)にかかる租税率などを含む提案書を公表し、そして指定した区域内事業主または建物所有者全体での投票を行い、①単純な投票数ベース、②事業規模ベース、その両方で過半数の賛成を得れば、晴れてBID設立の権利を得ます。2つのハードルを設けているのは、①だけだと数で勝る小規模な小売業者だけの意見が通ってしまい、逆に②だけだと事業規模で勝る大規模な事業者(ホテルなど)が優位であるためです。これを知ったときなんだか妙に感心しました。
またその役割ですが、その地域の商業的発展のためになるなら何でもやる、という感じです。2016年にGreat London Authority (GLA)が発行している「The Evolution of London's Business Improvement Districts」では以下のようにその役割がまとめられています。
・マーケティング活動_地域ブランディングやプロモーション
・清掃活動_道の清掃、または舗装、緑化、ファニチャーの充実
・治安改善_監視員、監視カメラの充実、照明の設置
・交通利便性の改善_公共交通の補填など
・地域経済発展_ロビー活動、交流促進、地域経済戦略の策定
・その他、投資活動
ここで1つ断っておきたいことは、BIDの定義や役割はその国、地域によってかなり差があるということです。例えばその基本機能を見ても、発祥地である北米では、行政サービスにプラスする治安改善と公共空間の清掃が主な機能ですが、イギリスではその2つに加えブランディング戦略などもその基本機能の範疇に入っています。また税金を払うのもアメリカはその土地の「建物所有者」である場合が多い一方(Property owner BID)、イギリスのBIDではその地域の「事業主」が払うのが主流、といった仕組み上の違いもあります。
その土地の必要性に合わせて個別に形態・役割を柔軟に変化できるというところもBIDの面白いところだと思うのですが、その多様性や例外事例にいちいち反応してるとキリがないので割愛します。このブログではイギリス、特にロンドンにおける、商業的発展に特化したBID組織をイメージして説明していきます。
3:現況|ニューヨークで72個、ロンドンで50個
もともとは1960年代にカナダ・トロントにて、地域の治安・街並の悪化を懸念したアレックス・リングさんという地元のビジネスマンが、地元の仲間とともに地方行政に働きかけて設立したのが始まりと言われています(起源については諸説あるようです)。
その後にアメリカ、ヨーロッパ諸国でTMO、TCMなどに代わる地域活性化のための組織基盤形態として爆発的に広がり、また少し時を経てアジア、アフリカのいくつかの地域でも採用されるようになりました。2016年11月時点でニューヨークでは72個のBIDがひしめき合い、また法整備が2005年と比較的遅れたイギリスでさえも200個(ロンドン50個)以上のBIDがこれまでに設立されています。
* ロンドン中心部に集中するBID
そして、ここイギリスにおけるBIDの発展は凄まじいものがあります。
「凄まじい」という形容は過言ではないです。たった10年で200個以上、というのもすごいスピードですが、より具体的な証拠として2期目以降のBID継続率が上げられます。イギリスの現制度では5年毎に今後また5年間BIDを地域に存続させるかの是非を投票によって問うことになるのですが、British BIDs (イギリスにおけるBIDを取りまとめる機構)の「Bb Nationwide BID Survey」2015年度版によると、その2期目以降のBID継続率は今のところ91.2%です。
「91.2%」、この数字は驚異的と言っていいと思います。
なぜならBID設立・継続の是非に投票するのは上の説明の通りBIDの活動に対して年間で何十万、事業規模が大きければ何百万ものお金を払わねければならない地元の事業主たちだからです。
彼らは1期目は期待を込めて賛成票を投じるかもしれませんが、2期目以降は、「何となく地域が楽しくなって嬉しい」というフィーリングではなく、「実際自分たちが負担した費用よりも結果として自分たちの得た利益が大きかった」という成果を明白に確認できていなければ、とても賛成などできないでしょう。またこの報告書では、存続している全てのBIDにおいて、設立時の最初の投票、2回目のリニューアル、3回目のリニューアルと回を追う毎に賛成の割合が増えていっていることも報告されています。
※ 少し話がそれますが、まちづくり、地域活性化という分野の特徴の1つは、とにかく不確定要素が多いため、汎用性の高い方法論が確立しにくいことだと感じています。地域ごとにその状況・資源は違い、それらは入ってみないとわからず、またありとあらゆる外的な要素から影響を受けます。例えば、専門家としてある地域に入ってまちづくりを行う際、まず大事なことはその街に住むプロジェクトの要となりそうな地元のキーパーソンを見つけることだとよく言われます。でもこれを最初に聞いたときは正直、「嘘でしょ?」と思いました。そんな曖昧なところが初っ端から成功のためのポイントになっているなんて、と思ったわけです。そんな中で「失敗は例外的」と言ってもいいほどの成功率を誇っているのは凄いことだと思います。(※この数字だけで失敗、成功を決めつけるのは問題ですが、ここでは厳密な考察は割愛させてください。)
比較 ①
商店街制度との比較|運用チームの専門化・独立化
「2%の繁栄」と「90%の支持」
ようやくここからやりたかった2つの比較に入ります。まず1つ目は日本の商店街制度とBID制度の組織体制における違いに注目します。
比較対象となる日本の商店街ですが、例外的な成功事例の紹介以外、あまり明るいニュースが聞かれないトピックです。
例えば、今年2016年公表された中小企業庁の「商店街実態調査報告書|2016」では、最近の景況について、2.2%が「繁栄している」、3.1%が「繁栄の兆しがある」と答え、また「横ばい」が24.7%であった一方、「衰退している」35.3%と「衰退の恐れがある」31.6%となっており、この2つが合わせて66.9%と、その全体を大きく占めています。これらの数字は自身の卒論で5年前に調べた当時とそれほど変わっていません。
また一般に、その原因は大きくは外的要因と内的要因に分けられ語られることが多いですが、注目すべきは内的要因です。確かに、郊外の大型ショッピングモール、街中のコンビニの台頭、モータリゼーションなどの外的要因もたくさん指摘されていて、どれも当たっていると思います。しかし、全体のたった2.2%しか現在進行形で繁栄していないということは、外部環境の変化に対応できなかった失敗事例が特殊な形で各地にあるというよりも、そもそもの商店街という商業地域維持・発展のための仕組みにそれら外的要因に対応できない根本的問題が内在すると見た方が妥当だと思うからです。
そんな長年にわたり確かな復調の兆しが見えない日本の商店街事情なんですが、実は最初に自身がBID制度について知ったとき真っ先に思ったのは、
「これ日本の商店街のことじゃないの?」
ということだったんです。正確な定義は別にして、少なくとも「商業地において事業者みんなでお金を出し合って、例えばアーケードの設置だったりクリスマス時にはイベントしたりと、その通りを自分たちにとってより商売しやすい環境にしていこう。」という大枠のイメージは瓜二つのように思えました。
しかし一見似ているように思われる2つの制度ですが、「2.2%のみが現在進行形で繁栄している日本の商店街」と「91.2%がその継続を望まれるイギリスBID」と、その結果は非常に対照的です。そしてこの劇的落差は何が生んでいるのか、という話がこの章の核になるのですが、結論から言うと、「その商業地域全体の運営・管理のみを行うチームが組織内で”独立”しているかどうか」という点にその答えの一部はあると自分は考えています。
つまり、「専門チーム」が独立していないのが日本の商店街、独立しているのがBIDです。
商店主1人1人にとって一番大切なのは自分のお店
まず、そもそもなぜ「その商業地域全体の運営・管理のみを専門に行うチーム」を確保することが多くの商店街にとって難しいのかですが、その理由は簡単で、ときどき外部から専門家を呼んで意見をもらうことくらいはできても、365日張り付いて実際の運営業務「のみ」に徹してくれる専門性の高い人材・チームを組織内に設ける金銭的な余裕がない、あるいは、金銭的余裕はあったとしても、商店街である以上、みんなの権限は基本同一のため、そこにお金を出してもいい人、出したくない人が混在することになり、たった1年でも何百万円もの人件費が追加で発生することになる組織改革を行うのは難しい、ということが想像されます。(これとは別に「外から来たやつなんかに任せられるか」というプライドもあると思います。)
なので基本的に商店街の運営はその商店街に店を構える店主の一部が中心となります。つまり結果として組織内で運営チームが独立しない形で存在することになるわけですが、このことが現状における商店街衰退の根底にあるその主要原因の1つである、というのが自身の卒論の中での結論の1つでした。
より具体的にはこの問題は2つに分けられます。
その1つは、店主によって構成される運営チームの力量についての疑問です。つまり商店の方々は商売のプロであっても、地域活性化のプロであったわけではないはずです。これは失礼な物言いだとは思います、が、少なくとも、一商店の切り盛りと商店街などの複数の主体(商店街の店主たち、自治体含む地域の各コミュニティ、地方行政など)によって構成される組織の運営・管理は別ものであるということと、また時代の変化は概ね商店街にとって逆風であり、またその変化自体のスピードも早いため、運営チームは昔以上により精度の高い、そして積極的な運営を求められている、ということは確かです。
そしてもう1つがここで注目したい、その「運営チームが独立していないこと」によって起こる、組織の仕組み全体としての問題です。それはつまり、店主たちが運営に回った場合、彼らは「自分の店が一番大切だ」という思いと、「商店街全体の利益は必ずしも個々の店で均等に分けられるものではない」という現実、この2つを同時に抱えてしまうため、結果として彼らは「商店街全体の利益と自身の店の利益が噛み合わない中で運営を続けていかないといけない」という状況に必ず陥る、という問題です。
これは運営チームの力量に関わらず起こる組織構造上の問題であり、商店街全体の管理・運営に関する意思決定に直接影響していきます。具体例を挙げると、例えば商店街全体のこれからの発展戦略を考えるときに、商店街トータルでの損得とは別に、自分の店にとって得になりそうな政策を優先してまう誘惑に駆られたとしても不思議ではないでしょう(部分最適化問題)。また、自分の店の日々の売上が優先となって、一時的に大きな負担となるような大胆な戦略なども立てづらいということも想像されます。
もちろん例外事例はあります。というよりここでは「商店街」の組織構造をかなり一般化して書きました。そもそも地域密着型の小規模商店街と、広域型商店街(三宮センター街など)とでその組織形態は大きく違うでしょうし、地域の自治会その他コミュニティ、や商工会・行政などと連携するなど、個々のやり方で工夫することで、この運営における専門性の欠落の問題、組織構造上の歪みを回避し、(持続的にかはわかりませんが)うまくやっているケースは全然あります。
がんばる商店街30選 中小企業基盤整備機構
はばたく商店街30選 経済産業省 関東経済産業局
特に、自身の卒論を書いた際にもヒヤリングに伺った「高松市丸亀町商店街」などはその代表です。しかしこれは高松市全体のコンパクトシティ政策の中で、既存の商店街という枠組みを超え、ほとんどショッピングモールに近い体制に組織全体を組み替えることで、その「運営専門チーム」の確保に成功した稀なケースであり、とても他の地域に応用できるものではないと思いますが。
BIDチームの存在|構造上の変革・専門性の確保
「その一方、BID制度では」という話に移ります。
上のBID仕組図は「We Are Waterloo BID」で3年間オペレーション・マネージャーを務めておられるダイソンさんの説明を元に作ったものです。各グループの人数は当然、BID毎で異なります。
BIDの仕組みはその特定地域内の4つのプレイヤーに地方行政を合わせた5つの要素で成り立っています。
・「地元事業者(Local Businesses)」
・「委員会(Board)」
・「地域の各種コミュニティ(Local Communities)」
・「BIDチーム(BID Team)」
・「地方行政(Local Authority)」
1つ目は「地元事業者(Local Businesses)」です。彼らが主にBIDの活動資金を負担します(主にと書いたのはこれとは別に行政やその他財団からの援助もあるためです)。Waterlooでは範囲内には400の小売店、レストラン、オフィスが存在しており、彼らがこのグループを構成するわけですが、そもそも彼らがBIDの存在目的の全てであり、彼らの声を代表して地域の商業環境の改善・発展を目指すのがBIDの役割です。2つ目は「委員会(Board)」で、その400の「地元事業主」から選出される、ホテルなど特にその地域で大きな規模を持つ事業主(つまりより多額の支払いを活動に行っている事業主)によって構成されます。Waterlooでは18の地元団体の代表がそのメンバーとなっていますが、BID活動計画に対して最終的な決定権を持つのは彼らです。3つ目は「地域の各種コミュニティ(Local Communities)」で、これは地域に元々存在する各種活動団体(ガーデニング・サークルなど)たちなのですが、実は彼らがかなりBIDの活動の実際の担い手となるそうです。
そして4つ目に登場するのが「BIDチーム(BID Team)」です。これがその「その商業地域全体の運営・管理のみを専門に行うチーム」に当たります。Waterlooではダイソンさんを含む6名で構成されており、彼らの役割は仕組み全体のハブとなって、「地元事業主」からの税金を元手に、彼らの声を元に地域全体の商業的発展の未来図を描き、そして「委員会」「地方行政」に了承を得つつ、「地域コミュニティ」とともに様々な活動を展開していくことです。
さて、先ほど商店街についての文章では、運営チームが組織内で独立していない場合、運営チーム内で個々の利益とその商業地トータルでの利益との衝突が起こり、運営上の各意思決定に歪みが生じうるということを説明しました。確かにBIDの活動によってもたらされる地域への利益は400の個々の事業主に均一に分けられるわけではない、というのは商店街と同様ですが、BIDではその運営チームが独立しており、言い換えれば地域内の特定のどの事業の損得とも特別な繋がりがないため、運営上の各意思決定において純粋に、その地域全体での利益の最大化のみに集中することが可能となっていることがわかります。
また、運営の専門性についても触れると、この「BIDチーム」はBID運営について教育・訓練されたプロフェッショナルによって構成されています。先ほどもチラっと書きましたが、イギリスにはすでにBritish BIDsを始め、BIDマネジメント専門の教育・訓練制度が整っており、私の学校にもBIDマネジメント専門コースがあり、ダイソンさん自身もBritish BIDsで「BID Management」コースの修士を納めたとのことです。自分はここ2ヶ月、あっちこっちのBIDへインターンとして働かせてくれないかお願いして断られ続けていたのですが、その理由はBIDマネジメントを専門で訓練されている人をやはり優先して取りたいからだそうです。(少なくとも表向きはそう言われました。)
日本でも同じことができるかも?
そしてもう1点ここで注目したいのは、このダイアグラムの中の5つの要素の中で、「BIDチーム」以外の4要素は日本においてもどんな地域にも大抵すでに揃っている、ということです。
つまり図式上だけで言えば、持続的かつ運営専門チームをポチッと商店街組織の中に埋め込めば、同じことが日本の商店街でもできることになります。「運営専門チームが独立しているか否か」という単純な二択に「商店街制度」「BID制度」の衰退と繁栄の分かれ道があるとかなり強引に話を集約したのはそのためです。
当然、そんなテンションで要素を揃えて繋げただけで機械的に同じ結果を得られるわけないですし、「運用チームが独立しているかどうか」以外にも2つの制度の違いは他にも様々考えられます(※下で触れている「線」と「面」の違いもその1つです)。では実際、具体的に日本においてどういう形でBIDは導入されるべきか、という話はとても大きなテーマなのでまた今度考えてみたいと思います。そういう意味で冒頭に登場した「大阪版BID」は大注目です。
何はともあれ、
「BIDは運営専門のチームを独立に設置することで、商店街制度がその組織構造上抱えてしまう歪みを回避していること。また運営の専門性が教育制度により確保されていること。」
これがこの章で示したかった1つ目のBID制度の特徴です。
※この文章を書いている途中で、商店街は基本的には「通り(ストリート)」をその運営対象にしている一方、BIDは「通り」という「線」だけではなくある特定区画という「面」として初めから運営している、ということもこの両者の大きな違いだということに気づきました。「線」と「面」で巻き込める人々の幅、そして活動の幅に大きな差が出るように思います。いつかこの違いについても考えてみたいと思います。
比較 ②
「市民参加型まちづくり」との比較|リスクの具体化と共有
みんなで具体的なリスクを共有すること
2つ目の比較に入ります。1つ目がようやく終わりましたが、むしろメインで書きたかったことはここからです。ですがこの章は前章よりは短くなる予定です。
2つ目の比較は、市民参加型まち(場所)づくりとBID制度です。商店街のことはこの章では全く出てきませんので忘れてもらって大丈夫です。
先に結論を書きます。この章で書きたいのは、
BID制度では、①地域全体の受益者全体に義務的納税というコスト(リスク)を負わせたことで、②人々の活動へのコミットの深さを格段に上げるとともに、この仕組みが誰のためのものかを明確にでき、そしてこれによって、③意思決定プロセスの効率化と明確化に成功した。
ということ、つまりこの制度のもう1つの優れた点は、特にそのスタート地点で、受益者全員に「具体的なリスクを共有(認識と負担)」させることに成功したこと、ではないかということです。
この章でもさきほどと同様「市民参加型まち(場所)づくり→BIDでは」という順で書きます。
自分と市民参加型まち(島・公園)づくりの関わり
ということでまず「市民参加型まちづくり」についてです。
自身は大学卒業後の3年間、東日本大震災被災地域の1つ、宮城県気仙沼市大島での震災からの復興を考える「大島みらい集会」と、富山県氷見市に新しい朝日山公園を10年かけて作っていく「フレンズ・オブ・朝日山」プロジェクト、主にこの2つを通じて、いわゆる市民参加型のまちづくり、または島・場所づくりに関わってきました。
宮城県気仙沼市大島|大島みらいチーム
富山県氷見市|フレンズ・オブ・朝日山|オープンする2021年まで、市民がつくり続ける公園
先に「市民参加型まちづくり」という分野に触れる上で、最初に少し保険をかけさせてください。
さっき「関わってきました」と堂々と書きましたが、その3年間、1人の専門家としてチームに入り具体的な施策をバンバン提案するようなことは到底できませんでしたし、市民参加型のまちづくりやコミュニティ・デザインという分野自体すでに実践的学問として相当に研究され、実際に「タウンマネージャー」など、その運営を専門として行う職種も存在しているわけで、3年間アシスタントとして関わった程度の人間があれこれ言える分野ではないです。ないんですが、そんな自分でも、よく言われている通り、その土地の市民、島民に自分たちの活動に深くコミットしてもらい、彼らに主役になっていってもらうということは難しく、相当注力しないと「市民参加」という文言が活動の建前になってしまいかねない、ということは身を持って感じていました。
そもそもみなさん、地域の未来にそんなに興味はない
実際、島民集会や公園づくりの市民参加ワークショップでは毎回、今回はどれくらい人が集まってくれるだろうかと会場で準備しながらドキドキしてました。
市民の深いコミットが市民参加型プロジェクトにおいて重要、というのは一見当たり前ですが、自分が理解している範囲でその理由を分解すると、地域のニーズとズレを少なくするためと、そしてその場所の将来的な活発な活用・運営を見越して、持続的な構造(つまりコミュニティ)を先にその地域内に形成しておく必要があるためです。自身が関わった「フレンス・オブ・朝日山」プロジェクトはわかりやすい事例で、「公園の設計」と同時に「コミュニティの形成」も業務の内容です、というよりそのコミュニティ形成を軸とし、その中での意思決定に基づいて公園を作っていくというのがプロジェクトの本筋でした。
この節のタイトルに「そもそもみなさん、地域の未来にそんなに興味はない」と語弊覚悟で書きました。もちろん、その地域ごとに政治家じゃなくても、今後の自分の住む町の未来を案じて何か行動したい!と思ってらっしゃる方はいらっしゃると思いますが、その絶対数は決して多くなく、「市民参加」という形式でたくさんの方に集まってもらった場合、その熱量が参加メンバー内でもバラつくのは当然、ということです。
その理由ですが、まずそもそも、みんな自分の目の前の生活が第一であって、未来のましてや他の人のことまで含めて考えてる余裕などないということ、そしてもう1つはより根本的な問題として、「過去」を思い出として語ったり、「現在」の問題点を指摘することと比較すると、「未来」を想像したりまた青写真を実際に描くというのは難しいというか様々な知識を要求されるため、専門性がずっと高いことだというこのハードルです。
つまり、「過去を語る」「現在の問題点を指摘する」「そこに至るプロセスも含め、未来を構想する」、この3つは並列関係には、実はありません。実現可能性を担保しながら未来を構想することは、前の2つよりも明らかに高度なタスクです。このことは、現場であまり意識されていないように感じます。
実際、自身が3年間のリサーチャー時代に関わったもう1つの被災地復興プロジェクト、「失われた街」模型復元プロジェクトでは、地震・津波により大きく破壊された街を1/500スケールの模型で再現し、現地に持って行ってそこに住まわれていた方々に街の思い出を語っていただいて、その言葉を「旗」に記し、その記憶と関連する場所に直接差し込んでいく「記憶の街ワークショップ」を何十もの被災地で行ってきたのですが、毎回大変多くの方々に足を運んでいただいていました。このプロジェクトがあれだけ支持されている理由は様々あるかと思いますが、何よりもまず、住民のみなさんが自身の記憶(過去)を介して気軽にコミットできることがその理由でした。
しかし、この未来を想像することへのハードルの高さは未来志向型のプロジェクトへの市民(島民)のコミット率に直接影響してきます。なぜなら、そのプロジェクトの結果(未来)を想像することの難しさは、そのプロジェクトがもたらす「かもしれない」未来の自分たちの生活へのプラス(利益)とマイナス(リスク)を把握する難しさも含んでおり、それらを目に見える形で顕在化してみんなで一律に共有・負担することが、一般的な市民参加型まちづくりプロジェクトの仕組み中では難しいからです。本来、まちづくりに関わらず何事を行うにしても、「何のためにそれをやろうと思うのか」ということを確認し、その成功・失敗に対してみんなで責任を負う、ということはプロジェクトのスタート地点として極めて重要なはずなのですが、「市民参加型」ではそのプロジェクトの基礎となる部分を保留したまま話が進んで行くことになりがちです。
そのため実際の業務にあたっては、例えば実際に地域で市民参加のワークショップ(今回は実際に敷地を歩いて公園の各エリアの特徴について調べてみましょう、など)を行う場合、このプロジェクトはあなたの将来(の損益)に関わっているかもしれないですよ、ということを認識しもらうというよりも、そこに関わること自体が楽しいと感じてもらうことと、自分たちの意思決定とそれが実現されていく成功体験の積み重ねを通じ、その場所の活用イメージだけでなく、その場所への愛着と当事者意識を同時に育んでいってもらうことが大切だなと思っていました。しかしその一方で、その場所の完成以降も当事者意識と愛着を長期的に支えていってくれる構造はどうやって作るのだろうと、うまく想像できずにいました。
ただ注意しておきたいのは、もしその市民参加型まちづくりプロジェクトが市や国の税金によって運用されるものならば(大抵そうだと思います)、参加対象となる「市民」は潜在的に、自分たちの払った税金が無駄になるかもしれない、というわかりやすいリスクを実は負っています。ただBIDのように「自分たちの払った税金→即、自分たちの損得に直結」ではなく、「税金→行政→様々な行政サービスに分配→その一部として今回のプロジェクト」なので、そのことを意識するのは難しいと思われます。
※話が少しそれるのですが、ここで1つ思い出したのは、ユーザー参加型の新商品開発手法です。これは生活日用品などの製品開発に主に用いられるのですが、「開発段階からその商品を使う消費者のアイデアを製品に直接反映できればすごくいい商品ができるんじゃない?」という発想に基づくもので、考え方としてはとても良くわかりますが、実際にやってみるとあまり上手くいかないそうです。その理由は、目の前の商品の使い勝手について感想は言えても、「そうそう!こういうの欲しかったんだよね!」という潜在的なニーズ(つまり未来)を消費者自身が自分の中で発見し具体的アイデアとして人に提案することのハードルの高さと、その製品開発の成功・失敗に対し消費者はリスクも持たないためコミットが浅いものになりがちだからです。
投資という形でのリスクの顕在化と共有
ここから「その一方、BIDでは」という話に移ります。
BID制度は「①地域の受益者全体に義務的納税というコスト(リスク)を負わせる→②活動へのコミット率が深まるとともに、この仕組みが誰のためのものかが明確に→③意思決定プロセスが効率・明確化」という連鎖を仕組み内に生んでいて、その根底には自分たちのリスクと期待される利益、そしてその繋がりが具体化・共有されている
と冒頭で書きましたたが、この節はこの連鎖についてです。というよりこれが全てなので、蛇足にならない範囲でサッと解説しようと思います。
ここでさっきも出てきたダイアグラムに登場してもらいます。
① 地域の受益者全体に義務的納税というコスト(リスク)を負わる
この中で市民参加型のまちづくりにおける「市民」に該当するのは「委員会」メンバーを含む「地元事業主」400名です。しかし、一般的な市民参加型まちづくりと違う点は、この仕組みの存在目的である彼らが、実際に年間で何十、何百万となるお金を活動に直接託し、そのお金がひょっとするとパーになるかもしれないという目に見えるリスクを負っている点です。つまり、彼らにとってこのお金は”寄付”ではなく、まさに”投資’”です。
つまりそれが投資である以上、そのお金は初めからリターン(未来)を想定して支払われているものだということです。これが必然的に全体のコミットを深めることになります。(地元事業者とBIDチームの関係は、株主と会社の執行部とのそれに似ているかもしれません。)
② 活動へのコミット率が深まるとともに、この仕組みが誰のためのものかが明確になる
実際に各BIDチームへのインタビューで伺った話によると、事業主たちは活動に対して大変積極的かつ協力的であり、毎日彼らから問題や要望に関する報告をもらい、地元のカフェで顔を突き合わせて話し合うこともしばしばとのことでした。このことがBID活動と受益者のニーズのマッチ率を高め、諸々の活動の効果を高めているのは間違いないでしょう。
そしてこのことは参加者全体のコミットの深さを上げると同時に、そもそもその「全体」の範囲・境界はどこなのか、を自動的に決定してくれています。これがここで注目したいとても重要な点です。その範囲とは当然、そこに投資を行っている地元事業者たち400名なのですが、この仕組みの境界の明確化は彼らが実際に活動に対して具体的なリスクを負って初めて可能となったことです。
③ 意思決定プロセスが効率・明確化する
最後に、「意思決定プロセスの効率化と明確化」をゴールとしてと書きましたが、これが「全体の範囲・境界」が明確になったことの直接的な効果です。より具体的には、1つはこの仕組みが最終的に誰のためのものかが明確にしたことで、活動の利益分配が行われるべき範囲が限定でき、結果として各種政策の判断が容易になったことと、そしてもう1つは、それと同時に意思決定権を組織内で少数のメンバーに限定することにも成功したことです。
2つ目は少し説明がいると思います。既に書いたように、BID活動計画(ストリートの改修計画や事業の予算割など)に対する最終的な決定権は代表18名で構成される「委員会」に限定されています。確かに直接民主制を取り、400名全員の総意で物事を決定するというのが理想であり、この18名に決定権を限定しているのは確かに意思決定効率化のための便宜上のことではあります。しかしここで重要なのは、少なくとも彼ら18名が誰の声を代表するものであるかは明らかであるということ、そしてそれは、この仕組みが誰にとってのものなのかその範囲が明確になって初めて実現されたものだ、ということです。
一方で、一般的なまちづくりプロジェクトでは、そもそもそのプロジェクトの最終的な受益者またはリスクを負うべきグループの輪郭が曖昧である場合が多く、そのため、その「全体を代表する声」を発するのは誰なのかをみんなが納得する形で選出すること自体が困難です。かといって、それぞれの意思決定において市民全員から漏れなく賛成・反対の声を1つ1つ集めて回ることは現実的でないため、プロジェクト内の意思決定は、その都度その落とし所を慎重に探っていく宿命にあります。
以上、少し駆け足になりましたが、
「リスクを投資という形で顕在化しみんなで分散して負担することで、地域全体を1つの運命共同体としてまとめることができること」「またそれによって意思決定プロセスの効率・明確化を実現できること」
これが2つ目の、というより自分が最も大きいと考える、一般的な市民参加型まちづくりのあり方と対照させた際に見えてくるBID制度の強みです。この強みは地域の人々の参加をその基盤とするプロジェクトとして、非常に重要な働きをもつと思われます。
※念のために書いておきたいのですが、だからと言ってここで「市民参加型まちづくりでも参加者にお金を払わせれば上手くいく」という主張をしたいわけでは決してありません。BIDの場合は「地域の商業の発展」が目的のため、その活動に対しお金を払うべきグループが地域内で比較的ハッキリしていて、またその目的のための活動も幅はありますがある程度道筋が見えやすく、そしてその効果も売上や客数などで客観的に評価がしやすいのですが、例えば市民参加型の「公園づくり」の場合で考えると、現実問題、そのプロジェクトの受益者は誰で、またそれぞれがどのくらいお金を出すのかを決めるだけでも想像するに非常に困難ですし、その地域に与えた利益を客観的に測定することも難しそうです。実際、イギリスではBIDならぬCID「Community Improvement District」という、そのコミュニティの活性化を目的とするシステムも試されていますが上手くいっていないそうです。その理由は詳しくは知りませんが、上に書いた部分が恐らく関わっていると予想されます。
補足とまとめ
一長一短
もう終わります。
この文章では「日本の商店街制度」と「市民参加型まちづくり」との比較を通じて、BID制度におけるいくつかの利点について紹介しました。しかしここではあくまでこの2つの比較を通じて、いくつかの視点からBIDについて考えてみたと言うに過ぎず、決して包括的なBIDについての解説とは言えません。が、一応当初の「BIDの特徴や可能性についてザックリとわかってもらえれば嬉しい。」というそもそもの目的は達成できたかなと思います。
またここまで書いて、この文章の構成が「商店街制度と市民参加型まちづくりにおける問題点は何か→BID制度はどのようにその問題を克服・回避しているか」という形式をとったために、文章全体が「既存制度に対する底の浅い批判を踏み台とするBID制度の礼讃」のようになってしまっていると思ったので、そこは少し、話を閉める前に補足しておきたいと思います。
まず、そもそも上にも出てきた「2期目以降の継続率」ですが、イギリスにおいて91.2%が成功している、ということを裏返せば理由はどうあれ1割弱は失敗しているということです。またこれまでも様々な角度から制度上の欠陥について指摘がなされています。その中の1つはBIDは地元事業者の声を反映するものであるため、地域住民が置き去りにされている、という批判です。実際、住宅価格の変動を指標とした自身の修士論文の分析でも、BID設立は境界外の周辺地域において統計学的に有意なプラスの効果があると示されたものの、その逆、BID運営区域内においては何と、マイナスの効果があることが示されました。
つまり、わざわざ言うことではないですが、制度や仕組みには一長一短あるのは当然で、この文章では「BIDの特徴や可能性についてザックリとわかってもらえれば嬉しい。」という当初掲げた目標のために、特にその優位性に焦点を絞って書いたものだということです。また私はイギリスのBID事情を中心に勉強しましたが、BIDは世界で様々な形で取り入れられていおり、その評価はより総合的に行われる必要があると思います。
なんにせよ、大阪に日本第1号となるBIDが誕生し、本格的な導入に向けて動きが活発化していて、これからとても楽しみです。今後もその動きを注視していきたいと思います。
それではこれで本当に終わります。お付き合いいただきありがとうございました。