自分と他人

高校時代の先輩がnoteをやっているのを見た。フォロワー5人くらい、毎記事につくスキはだいたい2から5くらい。そんなに人気でもない。高校時代、すごく頭がいい人だと思っていた。ちょっと憧れていた。何かで自分の学生証を見せる機会があり、「不当にイケメンに写っている」と評された。普段軽口ばかりだけどその裏には知性とか人としての深みがすげえありそうだと思っていた。

noteを見ると、いつもの軽口の延長線上であった。秘めた悩みとか哲学的思想とかはあんまり見当たらない。それでちょっとなんていうか、自分のほうがよほど深刻そうに生きているなと思った。嬉しくもある。別に人生を深刻に捉えているかどうか、悩んでいるかどうかというのは人間の優劣に関係ない。ただの性格である。なのにこう嬉しいというか優越感を感じるのは、きっと僕は人生を深刻に生きるべきだと考えているからなんだろう。

要するに僕は僕であり人とは違うのだ。僕は自分が人と違うということに喜びを感じる性格である。誰かになる必要はない、自分を変える必要もあんまりない。欠点もあるが僕には良い所もあるのだ。それが役立つところへ行こう。

何の話だったか。人がものを書いているのを見て、もし人があんまり書いてないもので自分に書けるものがあったら、それが自分の役目なんだろう。探していきたい。そういう意味でも界隈を知らねばならぬ。みんな何を読んで生きてますか。何を見て生きてるんでしょうか。若者からおじいちゃんまで。仕事をしていて、自分がまともな知識を持っていれば自分の声にも意味が生まれるのだと知ったのだ。そうであれば堂々と話していていい。僕の持っているもののうち、どれがみんなの役に立ちますか。難しいな。考えていこう。少しだけ、接客業をしていて良かったと思った。

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