無心に

古い日記を読み返して、綺麗な文章だなあと思った。当時は一文書くごとに読み返し、書き直し、一番感じが良くなるものを書き残して次の一文へ、という書き方をしていた。言葉が見つからなかったらそのまま十分や二十分も考え込むことがあった。読み返すとどこで詰まっていたのか全然思い出せない。さらさらと流れていくような感じがする。まるで作り終わったTAS動画を眺めているような感じである。

当時は人生にあまりに大きな問題を抱えていて、考えるべきことが無限にあった。命を懸けてやらなきゃいけないことがあるような気がしていて、どうすればそれができるのか、それが何なのか、自分の苦痛や不安の正体は何なのか、とずっと考えていた。今思えば、両親からの支配による主体性の喪失、というのが問題の正体だったのだ。そして目指すべき目的は主体性の回復、意思の回復であった。そこに至るまでずいぶん長い時間がかかった。与えられた自己否定から始まり、与えられた道を歩こうとし、戻り、ぐるぐる回り、再び自己肯定する理屈を見つけ出して、途中、精神科へ行ったことで急に進んだ感じがするが、長い時間をかけて僕は抱えていた問題を多少解決した。もう何年だ、生まれてからずっとか。生まれてからずっと、幼いころも、小学生のころも、中学生のころも、高校受験も、高校に入ってからも、ずっと続いてきた苦痛が、ようやく終わったのだ。生まれて初めて自由を手にしている。決して手放さない。

人と付き合ったり結婚したりということを非常に恐れている。たぶん家庭のせいだろう。家族というものを恐れている。

当時あれだけいろんな文章が書けたのは、家庭の問題を解決するためではなかったか。今書けなくなったのは、書く場を失ったからだろうか。僕は何を書くべきだろうか。いよいよ実用的な文章が書けるのかもしれない。そういえば僕はゲームの攻略記事を書こうとしてもなぜか身が入らない、という悩みが以前あったような気がする。たぶん表と裏なのだ。僕はゲームの攻略などしてる場合ではなかったのだ。もっと重要な仕事をしていたのだ。今やっと手が空き始めて、できるようになるはずなのだ。それともまだだろうか。

眠たいな。良く寝よう。自分のことを大事にして生きていたい。まだ23歳だからギリギリ精神の可塑性があるはずなのだ。自分を大事にして生きる。これを今年の指針にします。

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