[いただきました] 木下ちがや『ポピュリズムと「民意」の政治学』(大月書店)

木下ちがや『ポピュリズムと「民意」の政治学――3・11以後の民主主義』(大月書店)をいただきました。すぐれた同時代分析の本です。ありがとうございました。

「3・11」以前に書かれた論文2編が第1章と第2章に配されています(巻末「初出一覧」参照)。第1章のタイトルは「民意の政治学」(原題は「現代のコンフォーミズム」、2008年)、第2章のタイトルは「〈常識(コモンセンス)〉の政治学」(2009年)。いずれもまだ「ポピュリズム」という言葉が政治分析に用いられるようになる以前に書かれたもので、その後の政治や社会の流れを予示するかのような内容ですが、とりわけ2009年の政権交代を論じた「〈常識〉の政治学」の以下の指摘は重要です。引用します。

「強力な資本蓄積により出現した『豊かな社会』に支えられたこの〈同質〉イデオロギーは、その土台が崩れる中でいまや収縮しつつある。(…)ただ、このイデオロギーの中から、新自由主義に対する本格的抵抗力や、社会的公正と連帯を希求する論理と力を引き出すことはできない。山口二郎は、『院外のデモ、ストライキなどの国民の直接行動によって国民意識を発露させ、政治を変革するルソー的ロマン主義が根強く生き延びていた』おかげで、これまで政権交代はできなかったという。まさにそのとおりである。この「ルソー的ロマン主義」が〈常識〉から排除され、不可視化されているおかげで、小沢民主党のヘゲモニーはやすやすと構築しえたのだから」(64-5ページ)

著者はこの指摘に引き続いて「新自由主義による〈社会〉の分裂に対して抵抗しつつ、しかし〈社会〉の〈同質性〉に抗わざるをえないという、二重の困難と課題をわれわれは背負っている」(65ページ)と指摘します。そして、著者は旧民主党による政権交代は「〈社会〉が抱える困難と課題がいぜん変わらないということを浮き彫りにした」(66ページ)と結ぶ。

その後の民主党政権のてん末と2011年3月11日をきっかけとした「デモの文化」の台頭、第2次安倍政権の発足とそれへの抗議といった一連の流れは周知のとおり。この経過を念頭に置くと、上の指摘がいかに正鵠を射たものであったかがわかるでしょう。第3章以下はすべて2011年以降に発表されたものです。

目次は以下のとおり。

序論

I

第1章 民意の政治学――小泉純一郎から安倍晋三へ
第2章 常識(コモンセンス)の政治学――二〇〇九年政権交代の教訓
第3章 反原発運動はどのように展開したか
第4章 第二次安倍政権の発足――開かれた野党共闘への道筋
第5章 社会運動とメディアの新たな関係――日本と台湾の選挙から
第6章 「選挙独裁」とポピュリズムへの恐れ――二〇一四年総選挙の力学
第7章 二〇一五年七月一六日――「安保法制」は何をもたらしたか
第8章 政治を取り戻す――「学生たちの社会運動」と民主主義
第9章 時代遅れのコンセンサス――トランプの勝利は何を意味するか

II

第10章 「新しいアナキズム」と2011年以後の社会運動
第11章 共同意識と「神話」の再生――複合震災の残響
第12章 非政治領域の政治学――結社・集団論の新たなる組成

あとがき

著者の真骨頂のひとつは同時代分析にあると思います。これは、鶴見俊輔らと『1960年5月19日』(岩波新書、1960年)を著した日高六郎の才能に似ている。また、著者の政治分析のもうひとつの特徴は、その翻訳能力です。政治(分析)は「翻訳」にかかっている面があります。この本からは、そうした現実への態度、執筆姿勢も学ぶことができる。

島崎ろでぃーさんの写真もすばらしい。

すべての人に読んでほしい一冊です。

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