国立でロボットが人間になったはなし
「森下さん、僕には感情がないんです」
後輩芸人、オダニハジメの告白にとにかく驚いたことを覚えている。
大きな舞台があり、そこで集団コントをすることになった。
初めての劇、若手芸人のオダニは演技ができず落ち込んでいた。
『演技うんぬんの前に、気持ちを上向かせないとマズい、、、』
そう思い、オダニを食事に誘った。
二人で入ったお好み焼き屋、僕はまるで20年くらい下北沢の小劇場で公演を続ける役者のように演技論を語る。
(ちなみに僕は演技が下手な部類です)
「演技ってのは演じるんじゃないんだよ、その役になるんだよ。
だからお前が普段持った感情を思い出して、その役にはめてみるんだよ。
怒ったとき、笑ったとき、悲しんだとき。日常の感情を出し入れする。
だから普段感じた感情を覚えておく必要があるし、普段から感情を動かすことをしなければいけないね。」
明らかに戸惑うオダニ。そして冒頭の言葉がでてきた。
、、、こいつはロボットなのか?
そして、とつとつと感情を失った理由について話はじめる。
オダニは幼少期から「いい大学に行きなさい!」と言われ続け、厳しい教育を受けていたらしい。
通知表でも「大変良い」が9割あっても1割の「良い」に指導がはいる。
長男でもあり、その期待はプレッシャーへと変わっていった。
そしてどこかで、勉強の才能への限界も感じていた。
プレッシャーと絶望のはざま。
そこで感情を消すことが楽になることに気づく。
心を閉ざすのではなく、感情を閉ざす。
外から見るとそんなに変化があるわけではないが、本人にとってはある意味無敵になれる術だった。
志望大学に落ち、なんとか受かったのが新潟大学。
周囲の失望感をビンビンに感じながらも、彼には親元を離れられる喜びが湧いていた。
しかし、大学生活も決して楽しいものではない。
なぜなら彼には感情がないからだ。
最初はだれも気づかないが親しくしようとすれば誰でも気づく。深入りすることも避けるだろう。
感情を戻しても問題はないはずだが、一度消したものは生まれてこない。
感情を取り戻そうとあがいた結果、落語研究会に入った。
そしてその流れで、僕の所属する新潟で活動するお笑い事務所NAMARAに出会ったのだ。
「ということです。森下さん、どうしたら感情はとりもどせるんですか!?」
頭に浮かんだアイデアは『星のついたボールを7つ集めて、出てきた龍にお願いする』くらいだった。
ただ僕もそれなりに学校生活に窮屈さはあり、我慢によって失った感情もあった。共有できるものがあったのだ。
「そうだな。2002年の長居の出来事を話そうじゃないか。」
僕がアルビレックス新潟のスタジアムMCを始めたのは19歳だった2001年。声がかかったのはサッカー部出身でオフサイドのルールを知っているからという単純なものだった。正直身も入っておらず、淡々とやっていたように思う。
そこに起こるニイガタ現象。スタジアムには4万人のお客さんが入った。
ゴール裏の皆さんとも交流が始まり、徐々にアルビにのめりこんでいった。
そんな2002年。チームはラスト2節で3位。自動昇格の2位にはセレッソ大阪。
勝ち点差3という状況、アウェイで直接対決をむかえた。
「こんなチャンスは数年ないぞ!勝つしかない!」
そう意気込み、新潟交通のくれよんバスで長居へと乗り込んだ。
が、結果は0-3。デビュー2年目の大久保嘉人選手に17分で先制点を奪われ、いいところなく敗れた。絶望の90分、完敗だった。
試合後、意気消沈してスタンドへ挨拶に来る選手。いや、挨拶というよりは謝罪といった方が正しいんだと思う。
そんな選手に対し、スタンドを埋め尽くしたアルビレックス新潟サポーターは拍手とアルビレックスコールで選手を迎えた。
僕の周りのサポーターみんな泣いていた。でも、拍手もコールもし続けていた。
その光景に、心が強烈に揺さぶられた。
絶望の瞬間には人の本質が見える。アルビレックス新潟の本質は愛だった。
僕はスタンドにいたわけで愛を送る側だったんだけど、それでもその愛にやられてしまった。
帰りのバスでも涙が止まらなかった。越中境くらいでようやく止まったと記憶している。
その時、強烈に「生きてる!」と感じた。抑圧されていたものがなくなり自分の世界感が変わった。感情が前面に出るようになった。結果、演技も少しだけできるようになった。
原体験とか初期衝動とか、そんな部類の話。それをオダニにぶつけてみた。
「へー、そうなんですね」
俺はaiboと会話していたんだろうか。
2mの高さから卵を落としても割れません。そんな吸収材か!と思われる反応だった。
それでも話をまとめなければいけない。僕だってハートは強い、大丈夫だ。
「お前は出来心というコンビでイベントステージMCとしてアルビに関わることになった。確かに、サッカーが好きなのは相方の秋山で、オダニは野球のほうが好き。興味を持つのも難しいのかもしれない。ただ、おまえにもいつかそんな体験があるかもしれない。アルビに関わったのも導きなのかもしれないよ。」
そこから7年ほどたった。
J2での厳しい期間、敗戦後にイベントステージのMCをしているオダニに罵声が飛んだことは何度もあった。
それでも懸命に進行をする彼を応援してくれるサポーターも増えてきた。
それに応えようと、前向きな言葉をサポーターに伝え続けた。
そして、チームはボールを愛するスタイルを手に入れJ1に昇格。
オダニは結婚、直後にコンビ解散と出会いと別れをジェットコースターのように味わった。
その経験が彼をさらに強くしたのか、一人になったにも関わらず進行は好調だという。本人にも愛が芽生えたんだろう。
その好調さは、チームの躍動にも助られている。
アルビレックス新潟は2024年、ルヴァンカップの決勝へと進出したのだ。
1999年にJ2リーグに所属して以来、我がチームは3大タイトルを手にしたことはない。カップ戦では決勝に進出したことすらなかった。
特にルヴァンカップは僕とっては特別。決勝に進出した両チームのスタジアムDJが会場でホーム同様の選手紹介を行うのだ。
そのため、必ず毎年年初に決勝のスケジュールを抑えておく。
そして、僕は毎年チームが敗退したときにそのスケジュールを消していた。
その数17回。とても悔しい恒例行事だった。
が、18回目でついにスケジュールを消さずに国立へとたどり着いた。
まさに悲願だった。
もちろんそれは僕だけではない。アルビレックス新潟に関わる全ての人にとって悲願だった。その盛り上がりはいろんなところに書かれているから省略する。
そして、オダニは初めてビッグスワン以外でアルビの試合を見ることになる。
(初アウェイ観戦と表現しようと思ったけど、アウェイではないよね)
当日。思い出すだけでも涙が止まらなくなる。
最高の舞台で、最高の対戦相手に恵まれて、最高のゲームをした。
見るもの、関わるものすべての心が震える試合だった。
僕にとっても、忘れられない一日になった。
選手紹介の直前に、中立のMCである関野さんから両チームのスタジアムDJの紹介があった。
僕の名前がコールされたとき、本当に本当に大きな拍手が起きた。
嬉しかった。こんなに愛してくれるのか。
間違いなく僕は「日本一幸せなスタジアムDJ」だ。
その愛に包まれて、選手紹介もいい感じ。
声も出たし、気持ちも乗せられた。
そして名古屋グランパスのDJ、YO!YO!YOSUKEさんもさすが。
制限時間がある中で、選手紹介以外にクラップタイム、コール&レスポンスまで入れてきた。
そういう手もあるのか、と悔しい気持ちにもなった。
選手紹介後はお互いを讃えあう。
同い年なのもあって、心を通わせられた時間。
そして試合後には素直な気持ちで「優勝おめでとうございます」と伝えた。
再度、お互いを讃えあう時間。
さまざまな感情が入り混じった試合後。
とにかくもう一度この舞台に、この放送室に戻ってくる。
そして優勝したい。そう思った。
その時、LINEに通知があった。
オダニから「新宿でご飯を食べませんか?」との誘い。
お世話になった技術チームにお礼を言ってスタジアムを出る。
新宿に行くと、オダニがとにかく腹を空かせていた。
一件の店に入る。
出てきた飯を無言で一気に平らげるオダニ。
一息ついたときに、オダニは口を開いた。
「あの、、、森下さんが言っていた長居の話、ようやく分かりました」
嬉しかった。オダニにもあの体験が起きたのだ!
「15年ぶりくらいなんでしょうか、、、涙が出ました。こんなに?っていうくらい」
そこから彼は興奮しながら、試合を振り返り始めた。
僕は確信した。感情が戻っている。
オダニは国立でロボットから人間になったんだ!!
改めて、あの激闘をした選手の皆さんを讃えたい。
オダニのように人生が変わった人は何人もいるはずだ。
皆さんはサッカーを通して人を救っているんだ。
そしてあの大舞台で、あの試合をしたことでより多くの人を救ったんだ。
そして、オダニはまもなくパパになる。
人を育てる側になる直前に感情を取り戻せたことは一つの導きだ。
クラブからの粋なプレゼントなんだろう。
一通りしゃべらせてから僕が彼にきいた。
「でさ、俺の選手紹介どうだった?」
「それを聞くってことは手ごたえがあったってことですよね?」
確かにそうだ。
「なるほど!森下さん、マイクボリュームをかなりきつめに絞られていたんじゃないですかね?声が大きすぎてビビられたんだと思います。
いつもより全然ボリュームが小さかったです。」
え???
「いつもの音響さんじゃないから、そのあたり攻めてくれないんですね。
まあ、確認不足ともいえるんじゃないですかね?地下から声が出てる感じでした」
「ま、まあ、そもそも地下芸人みたいなもんだし、ハハハ」
まさかの事実と、まさかの後輩からのダメ出し。
僕の心は新宿でロボットになったのでした。