なんとなく
推しがもういない、ということに現実感が無いままフワフワと過ごしてきた気がする。
毎日声を聞いていた人の声を聞かなくなって2か月も経てばすこしは気持ちが薄れるかと思っていたけど、少しも薄れない。
あの日から、心から人に「おめでとう」や「がんばれ」を言えなくなった気がする。
もともと自分は人に影響されやすいタイプだから、推しが人のことを全力で応援しているのを見て影響されていたのかもしれない。
とにかくそういうことに気持ちが乗らなくなってしまったので、それを機会にインプット(といってもほとんどマンガやゲームですが)に時間を費やしています。
推し関連のことと、自分の勉強でいっぱいいっぱいだった時期もあったので、自分を見つめ直すいい機会かなと思う。
そんなわけでなんとなくとしか言いようのない日々を過ごしていたのだけど、先日ふと「引退しました」という文字を目にしてしまって、「ああ、本当にもういないんだ」とやるせない気持ちになった。
それと同時に、押さえつけていた気持ちが少しだけ溢れ出してきた。
うまく言語化できるとは思えないけど、心の整理のために言語化してみるとするならば、一つは「感謝」だと思う。
他人に対する興味を失っていた自分に、再び人に興味を持つことの楽しさを教えてくれたこと、苦しくて苦しくて挫けそうなときに、心の支えになってくれたこと、数えればキリがないし、おそらく向こうからしても想定外のところで自分が勝手に助かっただけだと思うけど、だからこそ、この感謝を言葉でなく態度で伝えたかったと思う。
もう一つは「やるせなさ」。これからもっと彼女の表現する世界観が広がるはずだった。どんな困難があっても、活動している間、配信している間は心から楽しそうに笑っていた。それが半ばにして終わってしまったこと。
悔しいとか悲しいよりは、やるせないという言葉がまだあてはまるかな、と思います。
そしてもう一つ、とても言うのが恥ずかしいのですが、2か月も経ったということでどうか許してください。「どんな形でもいいから、もう一度声が聞きたい」というのが、偽りない正直な気持ちです。
誤解を恐れず言えば、彼女の去り際はとても潔く、またある種の格好良さも含んだものでした。私は彼女のそういう、変に真面目で、律儀で、それでいて劇場的なところが大好きでした。
あの去り際を見た満足感が自分の気持ちにフタをしていたのかもしれません。なるべくこういう言及は避けてきましたが、本当なら忙しく過ごすはずだった8月の寂しさに耐えきれませんでした。
はっきり言います。あなたの声が聞けなくてとても寂しいし、あなたの戦う後ろ姿を見れなくてとても退屈です。
その代わり、どこかで元気でやっていてください。いや、元気じゃなくても、文句ばっかりの日々でもいいから、自分を貫いてください。それだけが私の願いです。
私はあて先のなくなった気持ちをはき出す場所としてこの記事を使うのです。なんて無意味な、なんて無駄なことかとときどき泣きたくなりますが、それでもやらずにはいられないからやるのです。