ハナちゃん
今日、出勤前に駅まで歩いていると、少し前を歩いている男子高校生の青いかばんに、うすいピンク色のうさぎのマスコットがついているのが見えた。うさぎはふわっとした布地のマスコットで頭が大きく、胴体は小さくて、手足は薄紫色の花柄の布地でできている。思わず「ハナちゃん」と口に出しそうになったけど、びっくりした気持ちをのみ込んで、わたしは黙ったまま駅へ向かった。高校生はすたすた歩き、ハナちゃんは左右に飛び跳ねるように揺れながら、わたしから遠ざかっていった。
ハナちゃんはわたしの部屋の、洋服ダンスの一番上、ハンカチやポーチをしまっておく引き出しの中で、タオルハンカチに包まれて横になっている。そうしておくとハナちゃんが心地よい気がするし、「引き出しの中で小さなマスコットのうさぎが、ハンカチに包まれて眠っているな」と考えると、自分も心地よい気持ちになる。そして、同じハナちゃんは、甥が住んでいるマンションの部屋の中にもいる。
「ぼくのおともだちにする」
甥はそんなふうに言って、わたしがあげたうさぎに「ハナちゃん」という名前をつけた。ハナちゃんはもともと、京都の寺町のおみやげやさんの隅でぶら下がっていたマスコットだった。アニメやサンリオのキャラクターのマスコットやうちわ、新選組のはっぴや「おたべ」のマスコットに混ざって、ちょっとだけ日に焼けたうさぎのマスコットをみつけたとき、これは甥が好きそうだなと思って手にとって、しばらく考えて自分用にもほしいと思って、結局二つ買ったものだった。高価なものではなかったけれど、店番をしていたおばあさんが、丁寧に袋に入れてくれたことを覚えている。
甥にハナちゃんをあげたとき、彼は小学校に入る前で、自分の部屋に「祭壇」を作ることに夢中になっていた。ビー玉やおはじき、つみきの一部、マスキングテープの好きな柄の部分、すべすべした小石や貝のから、そんなものを注意深く段々に積み上げて祭壇を作っていたけれど、遊びに行くたび「ぐるぐる」(大人が甥を抱えたまま室内でくるくる回転する遊び)をするので、祭壇はすぐ散らかってしまう。ハナちゃんをあげた日もそうだった。彼は「これから、ハナちゃんがじょおうさま」と言いながら、祭壇の真ん中にハナちゃんを置いた。店の隅にいたハナちゃんは、甥の作った祭壇で女王様になり、ほんのすこし誇らしげに、そしていっそうかわいく見えた。
ハナちゃんは大量生産された商品の一部で、世界中にあって、多くの人が手に取っているはずなのに、わたしは時々その事実を忘れてしまう。自分の部屋にあるハナちゃんも、甥が祭壇に奉っているハナちゃんも同じ仲間で、わたし達にはわからない感覚で繋がっているのではと思ってしまう。だから、高校生のかばんで見たハナちゃんも「マスコットのうさぎ」には見えずハナちゃんに見えた。
高校生と一緒にいるハナちゃんはどんなふうに過ごしているのかな? わたしはちょっとだけ考えて、職場で仕事をしているうちに、すぐに忘れてしまった。