誰もいない部屋
職場でZoomを使用したときのこと。込み入った相談で個人情報も扱うので、二階の空いている部屋を使うことにした。あまり使わない部屋なので、机とイスのほかに、書類の入った段ボールや、故障した空気清浄機、古い冷蔵庫がある。部屋というより物置に近い状態だ。画面に映らないよう、片づけて机の上にパソコンを置いた。Zoomに映る、わたしの背景だけがきちんと見えればいい。パソコンに向かって座ると、マスクをした自分の顔と、白い壁、窓に下がった灰色のブラインドが見えた。机の一部と、隣の部屋へ至る扉も見える。指定の時間の数分前にログインしたけれど、まだ誰も来ていない。わたしは空調を調整するために席を立った。戻って椅子に座る前、パソコンを見ると、誰もいない部屋がZoomの画面に映っていた。白い壁と灰色のブラインド、机、扉。画面に映っているのは「今」わたしがいる「ここ」なのに、知らない景色に見える。画面の中の部屋は、現実の部屋よりぼんやりして、色が薄く見える。「誰もいない」という不在のにおいが強い。こういう部屋を、以前どこかで見たおぼえがある……? そんな気持ちになったけれど、会議が始まって、そのことは忘れてしまった。
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外出するときに忘れ物をして、急いで部屋に戻った。さっきまで自分のいた部屋にもどると、なんだかよそよそしい。確かに自分の部屋なのに、知らない人の気配のする、別の人の部屋に見える。
幼いときに読んだ「扉の国」という絵本のことを思い出す。主人公の少年が、外出するときに間違えて父親の帽子を被って出てきたので、いそいで取りに戻る。誰もいなくなった部屋の中、時計やくだもの、いすが動きだして、飼い猫のノコと話し合っている。
「とうとう みつかってしまったか」
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京都文化博物館の「シュルレアリスムと日本」という展覧会を見に行った。展示されている絵画はどれも不思議で、現実のようで、現実味がない……という点で、自分が毎晩見ている夢のように見える。ごく個人的な現象である夢の中の景色を、完全に覚醒している状況でながめている。現実と夢が逆転するような、不思議な感覚になる。薄暗い展示室の中、自分と絵画、周りにいる人たちの存在もぼんやりしていく。
展示されている絵の中に、諸町新という人の「ある季節」という絵があった。部屋を描いた作品で、白い壁(が、すこし汚れて灰色になっているように見える)の室内に窓があり、窓からは煙をだす煙突が見える。灰色の空には雲がたなびき、煙の灰色とまざりあう。部屋の床には白い紙。その上に臙脂と緑の葉がある。秋のなごりのある、落ち葉かもしれない。
絵を見たときに「この部屋の中に、わたしもいたことがあるな」という気持ちになった。思いがけないほど、はっきりとした強い印象で、かつて「いた」という記憶がどこから来るのか考えたけれど、思いだせない。夢で見たか? それともどこかで見た部屋? ずいぶん遠くなって、夢のように曖昧になった過去の出来事の中で、わたしはあの部屋にいた。そう、あの部屋の中、角のところで背を壁にもたせかけ、窓をながめていた。いつだろう? 大学生のとき、アルバイト先で知らない部屋に入ったとき? それとも病院で働いていたとき、「書類をコピーしてきます」と、会議を途中で抜け出し、別の部屋で「早くこの『時間』が終わらないかな……」と考えながら窓の外を見たとき? それとも、家族が入院した病院で、医者が説明に来るまで待っていた白い部屋で? 遠い植物園のトイレの窓か、古い美術館の「ここから先は関係者以外立ち入り禁止」と書かれた扉のむこうの部屋? もっと昔、ひょっとしたらこれから先で見る景色かもしれない。
頭の中に浮かぶ映像は曖昧で、綿菓子か水蒸気のかたまりのように、白くふわふわするばかりで、核心からは遠い。考えながら、とつぜん、Zoomに映った部屋をどこで見たか思い出した。国立西洋美術館でみたヴィルヘルム・ハンマースホイ(ここ最近はハマスホイという表記になっている)の展覧会だ! 彼の描く室内の「たった今、誰かがいたはずなのに、誰もいない」という部屋、あの部屋だ。
「ここにいるのに、知らない場所に思える」「よく知っている場所なのに、なんだか落ち着かない」。ときどきこんな気持ちになるけれど、いつも忘れてしまって、同じような気持ちになったときにだけ「そういえば、以前こんなふうに感じた」と思いだす。頭の内側のどこかがぴりっと反応する感覚だ。夢よりは強く、記憶よりは弱い。思い出よりは冷たく、未来というには暗い。昼寝をしたときに、目覚めたあと昼なのか夕暮れなのかわからない、ぼんやりした光の中で戸惑う、その感覚に近い。
諸町新、ハンマースホイの絵画の中で、わたしは、日々のなんとも名づけようのない感覚を見出すと同時に、「やっぱりここにあった」と心のどこかで納得している。誰かに言うわけでもない、誰かにわかってもらえるような気もしない、自分自身の心の中で、ほんの少し後ろめたさを伴う感覚ではあるけれど、どこかに存在している、地下茎のような繋がりについて思いをめぐらせる。