いつかの夏
研修先の部屋は冷房がよく効いて、すこし寒かった。三人がけの机に二人が座る。わたしは窓に面した席に座って、曇った窓からちらちら外を見た。この建物には三年前の夏に来た。やはり研修で、別の階の、同じ部屋、同じ形の机に三人で座っていた。三年前、ここにいた自分と、今、ここにいる自分は同じで、わたしは「わたし」という体を意志の力で運び、この場所に連れてきている……。研修は講義で二時間ある。一時間経過したところで、頭の中にぼやけた小さな雲のような眠気が生まれ、ふくらんでいく。エアコンの静かな振動の音ばかり気になって、講師の声がゆっくり遠ざかる。隣の部屋から、何かを片づけているか、組み立てているような音が聞こえてくる。机を移動させているのかもしれない。配置を変えているか、椅子を並べているか、そんなふうに聞こえるはっきりした音だ。
研修が終わったあと、隣の部屋を見ると何もなかった。別のところからの音だったのか。それともうとうとしていた夢の中で聞いていた音だったのか。
昨年オープンしたスーパーマーケットは午後十時まで営業している。夜になっても昼間の熱がのこる道を歩いて、ときどき買い物をする。夜のマーケットは静かで、つめたく白い光に満ちている。野菜や果物、お菓子や魚の輪郭が静かに光る。明るくてどこにも暗いところはないのに、昼だという感じはしない。どこからか夜の気配がして、同じように夏の気配もする。エアコンが吐きだした冷たい空気の中に、夜と夏のにおいが残る。
庭で花火をしたことを覚えている。袋に入ったいろいろな種類の花火を取り出して、ろうそくの火につけて遊ぶ。吹き出すような銀色のほのおの光は、暗闇に沈んだ植物や小石の形を浮き上がらせた。大きな光の花が散るようなもの、金色の筋が青い色に変わるもの、赤い線の先に小さな花が咲くようなもの、いろいろな種類ものがあり、火をつけてみなければどんなふうかわからない。小さな花が散るものよりは、大きな光が出るものがよかった。しゅっと音がする火の線が出る花火を動かしてみると、庭の植物の影も一緒になって動いた。これでおしまい、と片づけをする時、空中にけむりのかたまりがふんわり浮かんでいるのが見えた。花火は大人になるとしなくなった。最後にすべり台、最後に人形で遊んだのがいつだったか思い出せないのと同じように、最後、花火をしたのがいつだったか思い出せない。