いつかの自分にパンチ
いつか忘太朗『ニードルパンチピープル』(2022年、私家版)。
note、久しぶりの投稿です。二年くらいさぼってしまいました(笑)。
本日ご紹介する一冊は、ちょっと特別。いわゆる私家版です。
とあるバーの店主である、いつか忘太郎氏が綴った「呑み屋哲学」の本です。ひょんなことから手に入れた一冊ですが、これがめっぽう面白く、ゴールデンウィーク中に読み切ってしまいました。
ご案内の通り、昨今の疫病禍の中で、まるで社会の害悪のように語られた「呑み屋」。最近はようやくそのような言説も鳴りを潜めてきましたが、呑み屋を含め、飲食店が置かれた状況は厳しいものがあるのではないでしょうか。
そんな中で、この本は呑み屋(※筆者はこの表現を大切にしているので、本稿でも踏襲させていただく)を運営する側からの強烈な一撃となっています。人はなぜ酒を呑むのか、なぜ呑み屋が存在するのか、呑み屋における客の立ち居振る舞いはいかにあるべきか、そして、呑み屋を運営することの難しさはどこにあるのか。等々、カウンターの向こう側からからしか見えない景色と経験から、呑み屋にまつわるあらゆる問いかけを筆者自身が深く掘り下げ、回答を一つ一つ導き出しています。
ロンリー呑み屋店主(注;個人で呑み屋を経営している店主)としての経験を帰納し、哲学的な問いに答えを出していく様は、カントのような頭でっかちのドイツ観念論ではなく、フランシス・ベーコンばりのイギリス経験論を思わせます。
客としてカウンターに座ってきた私自身のことを振り返ると、ああ、カウンターの向こう側からはこんな風に思われているのかと汗顔の至り。酒に向き合うことはどれほど人生を賭けた真剣な遊びであるべきか身につまされます。ホイジンガの「ホモ・ルーデンスー遊ぶ人―」を持ち出すまでもなく、自分の真ん中を感じることで生まれる何かを、酒場は提供してくれるのでしょう。
酒に関する本は数あれど、どちらかというと、酒を呑む側からの本が多いのではないかと思います。ところが、本書はカウンターの内側から見た酒哲学、酒場哲学が書かれている点で、ちょっと類書を見ないなあと感じました。
街中ではなく郊外の、しかも、住宅地に近い場所で、一人で20年にならなんとする長い年月、バーを経営してきたという筆者の手腕は、本書に語られる哲学と、たゆまぬ研鑽にあるのだと思います。呑み屋を経営することはほんとに大変な仕事であり、重要な社会的インフラだと思います。
筆者は呑み屋における音楽も大切にしており、本書でも途中で文の流れに合う曲が紹介されており、最後にはプレイリストとしてまとめられているのも面白いところ。また、章立ては次のようになっています。
なかなか凝った章立てです。特に、客側としては、カクテルの章とハイボールの章に書かれた、昨今の困った傾向が身につまされます。酒場にまで持ち込まれる承認欲求、歪んだ愛情、お客様は神様です思考などなど、ほんとにこんな客いるのかと驚く一方、自分も胸に手を当てて振り返ることもしばしば…。
酒を「飲み」に行って、何で金払ってまでそんなに酒場に気を遣わねばならんのだ、と思う人は、そもそも酒場で酒を「呑む」資格などハナからないと私も思います。酒場でのマナー、敬意は忘れてはならないと思います。
筆者の文体も独特で、ちょっと昭和軽薄体を思わせる文体です。言葉のチョイスや創作性も抜群で、エッセイとしてのセンスの良さを感じました。「客人バイアス」「呑み屋ファシズム」「ワカマキイテ者(注;ワカッテ・カマッテ・キイテを求める客。このあたり、東海林さだおを思わせる)」
最後に、本書から。
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