Happy Mother’s Day
今日は母の日、100年前にアメリカである女性が亡くなったお母さんのために赤いカーネーションを買ったのが始まりと言われているらしい。
母といえば自分の母は6年前に突然亡くなった。
急性心筋梗塞だった。
元々興味関心があったが、そこから特に生きる意味や死ぬということを考えるようになった。
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正直なことを言うと、母の死は突然すぎて現実味がなかった。
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そして、今も現実味がない。
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理由はいくつかあると思うが、最も大きい理由は、当時は実家ではなく東京で一人暮らししていたから、日常生活に常に母がいるという環境ではなかったからだと思う。 ⠀
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悲しさに打ちひしがれて何ヶ月も立ち直れないということがなかったので、自分には人の心があるのかと疑った時期もあったが、良い意味で母から精神的に自立していたとも捉えられると思った。
自分の心の奥底には常に、どうせいつか死ぬという感覚がある。
みんなと楽しく盛り上がっている時でも、急にその感覚が訪れる。
どうせいつか死ぬのに何故生きてるんだろうね。 ⠀
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自分なりの答えは、最近見つかってきた。
死んだ後の世界に持っていけるものは何だろうと思った時に、どんなにお金を持っていても名誉があっても持っていけない。
そう思った時にやっぱり自分だけが幸せになることではなく、誰かを幸せに、特に次の世代の人たちを笑顔にすることが、自分にとって生きるってことなのかなって思った。
よくもりしーは優しいねとか何でそんなに面倒見がいいの?と言われるが、“伝える”ということにとても価値を置いているからかなあ。
今いる周りの人たちを笑顔に、そして世代を超えてバトンを繋いでいきたい。
自分自身も母親から生まれて、母親は祖母から生まれてというのを考えると壮大な命のリレーだなあと改めて思う。
母も祖母も身体は現世に存在しないが、自分の心の中にずっと生き続けているというのは間違いなく言い切れる。
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そしてこの感覚はとても温かい。
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きっとこの感覚がある以上、生きることに意味があるんだなと思った。
話は変わるけど、今日たまたま、母子ともに出産で亡くなってしまったという旦那さんの記事を読んだ。涙が止まらなかった。
改めてお母さんに産んでくれてありがとうって伝えたいなって思って手紙を書いた。
そして、誰かの大切な命を扱う医師という職業の重みを改めて感じた。
ちょっと早く先に逝ってしまったお母さん、
あと70年後くらいに会いに行くからその時まで待っててください。
森 重智という人間は昔と比べて、より魅力的になって、現世で色んな人に伝えられる事は伝えたよって笑顔でハグしにいくから。