「フルーツバスケット」の名言に支えられている
漫画「フルーツバスケット」
作者 : 高屋奈月さん
https://www.hakusensha.co.jp/tokusetsu/fruba/
花とゆめで連載されていた当時、
雑誌で読み、単行本を買ってまた読んでいた、
嫁入り先にも持ち込む私のバイブル。
ストーリー自体とっても好きなのだが、
登場人物たちの物事との向き合い方には
学ばせてもらう事が多い。
母になってから特に、
ふと漫画のワンシーンが思い出されて
助けてもらうことがよくある。
そんな私的フルーツバスケット名言集
〜母の視点を添えて〜
(コース料理っぽい)
をご紹介。
子供との向き合い方に悩んだとき
子供との付き合い方、悩まない親はいないと思う。
赤ちゃんの時なんて、泣く事でしか訴えれないし、
イヤイヤ期だって、なんでイヤイヤしてるのか全然わからなかったりする。
喋れるようになったらなったで、子供なりの思考みたいなのがあって、
これもまた大人には汲み取るのが難しい。
そんな時、自分の子供の頃を思い出す。
赤ちゃんの頃なんかは流石に思い出せないけど、
言われて嬉しかったこと、嫌だったこと、
思い出すと、ちょっとだけ同じ視点に立てる気がする。
言われて嫌だったことを言ってしまった時、
反発されたら素直に自分の口から「ごめん」が出てくる。
「ありがとう」が欲しかったなってタイミングで
ちゃんと伝えたらとっても嬉しそうな顔をしてくれる。
子供の頃の自分が教えてくれる気がするのです。
子供が幸せを感じることができているだろうかと不安になったとき
「愛してる」と言葉で伝えてあげてください。
どこかの育児番組で聞いた話。
いやいやいやいや
そんな日常的に使わない言葉、普通に出てこない。
抱きしめてあげてください。
これも何度か聞いた話。
確かにスキンシップは大事なのはわかる。
しかし自分はぎゅーってしてあげるほどの心の余裕は少なめ。
私は自分ってダメな親だなぁ。
と思ってしまうことがよくある。
人に向けれる愛情少なめで生きてる感覚。
多分一生の悩みだろう。
こんな親のもとで、子供は幸せを感じれるのだろうか。
不安になった時、この言葉を思い出す。
「可愛い」
この一言って
結構何気なく普通に出てくる。
そんな何気ない一言で嬉しく感じてくれるのであれば。
それだったら、少しは愛情を伝えられているのかもしれない。
俯きがちな気持ちを少し前向きにさせてくれる言葉です。
家事に追われて途方にくれたとき
途中略もその後も含めて素敵な言葉たちなので
読んだことのない方は読んでほしい。. |ω・`)
これは立場なんて関係なく、響く言葉だし、
取り上げている人もたくさんいるのだけれど、
私は家族を支える身になってこの言葉を何度も思い出すことになった。
母に任せっきりで家事をやってこなかったグータラだった私。
一人暮らしの時だって、自分のためと考えると、
怠けていいことばかりだったので、
結婚したばかりの頃、家族のために家事をする。
という責任と、慣れない作業でいっぱいいっぱいだった。
リアルに山になった洗濯物に白目を向いたこともたくさんある。
白目になったって、毎日これをこなさなければ、
家がカオスになる。
そんな絶望感に、時々襲われてはこの言葉を励みに頑張ってきた。
いつか、お天道さまがー!って思いながらやっつけた。
家事はすっかり慣れて、力を抜くことも、借りることも覚えたけど、
今でもやることが山になってる時はこの言葉を思い出す。
いっぱいいっぱいになった時は、
まずこの言葉を記憶から呼び起こすのです。
余談 : 読み返してみて
このセリフたち、思い出すけど何巻だったかな。と
久しぶりに全話読み返したわけなのだが、
読むたびに感じることが、ちょっと違ったりするのも面白い。
今回は、登場人物の「ないものねだり」に着目。
これは壮大な「ないものねだり」からの卒業の話なのかしらと感じた。
生まれてきた境遇だったり、いろんな運命だったりで
持ちたくても持てなかったものや
失ってしまったものが多い人たちの話だ。
主役の透は、「ないものねだり」しない人。
周りの人、物、事全てを大事にする。
そんな透も
いなくなってしまった大事な人をひたすら思い
いなくなってしまうかもしれない大事な人をそうさせまいと頑張っていた
「ないものねだり」
なんていうと悪いことのように思うけど
自分が変化しているから
「ないもの」に気づけるんだな。
とか、そんなことも思った。
要は向き合い方なのだなぁ。
さぁて、最近「ないものねだり」が加速している子供2号。
どう向き合えば良いのやら。
やはり学ぶことが多い漫画だ。