今日が人生最後の日ならば
ずっと平然と毎日が過ぎていた。
深くかぶった布団を除けるとぼんやりとした朝日が差し込んで。マイナーな洋楽をかけながら白米と卵焼きを食べて、眠い目をこすりながら仕事に向かう。家に帰る頃にはすっかり夜が更けていて、ごはんを作ってぼーっとしたら明日に備えてまた布団に潜る。そんな日々を繰り返してきた。
もちろん毎日が同じ生活ではないけれど、朝がきて夜がきて、また朝がやってくるのはいつも同じ。決して止まらない各停列車のように、変わらぬスピードで一駅一駅過ぎていく。
しかし今日は特別だ。平然と過ぎていった毎日が終わりを告げる日、人生最後の日なのだから...
目に見えない終わりほど怖いものはない
ところで、人生に最後があると知ったのはいつのことだろうか。
たしか小学2年生の頃。学校から帰ってきて宿題も終わって、待ちに待った夜ご飯の準備をしていた時にふと人生には終わりがあると気付いてしまった。お腹いっぱいご飯を食べる、こんな楽しい時間にも終わりがきてしまうのだ。なぜ突然そう思ったのかはもう思い出せない、でもその事実がなんだか無性に怖くて悲しくて、人目も気にせず大泣きした覚えがある。その時の自分にとって「いつ終わるかわからない、しかし必ずやってくる」という存在は目に見えない恐怖だったのかもしれない。
あれから10年以上が経つが、この件は不思議と、未だに覚えている。終わりを知るということはそれくらい衝撃の強い出来事なのかもしれない。
私の最後は私のために
さて今日が人生最後の日だとしたら、どのように1日を過ごすだろうか。沢山の仲間と共に思い出に浸りながら酒を飲み交わすのか、大切な人と静かに愛を語るのか、はたまたいつもと変わらぬ「毎日」を演じるのか。
巡り巡って出た結論は、旅に出ることだった。私はただひとり、旅に出よう。
誰にも見つからない湖畔でハンモックに揺られ、ただただ自然に身を委ねるのだ。うたた寝しながら本を読み、夜は焚き火で肉を焼いて。焚き火が消えたら闇の中、空を見つめて星を数えるうちにだんだんと眠気が襲い瞼が重くなる。そこで私はそっと目を閉じてひとつ深呼吸をする。ゆっくりゆっくり肺に入っていた冷たい空気を吐き出して人生最後の空気を味わう。そうして私の、長いようで短い24年の人生に音もなく終止符が打たれる。
自然に埋もれて終わりたいと思うようになったのは、「THE GREY」という映画の中である男の最後に感銘を受けてからだった。圧倒的な絶景を前に幸せそうに笑って死にゆく男をみて、その美しさに目を奪われた。圧倒的で雄大な自然に囲まれながら人生を終えることで、この地球で生きていた実感を持ちたいのかもしれない。
だからこそ人との出会いに時間を捧げる
人生の最後に出会った人との思い出には耽らなくて良いのかと思うだろうが、それは問題ない。人生最後の2日前までに全て済ませてしまえば良いのだ。最後の1日くらい、自分のために残しておいても文句は言われない。
そうと決めておけば案外楽なのかもしれない。最後の1日が来る前に、家族と友人と大切な人への感謝は伝えきる。そうやってコツコツ積み重ねておけば、「あの時ああ言っていればよかった」なんて後悔を感じずに済むのだ。
特にありがとうの一言だけは言いすぎて足りないことはない。先延ばしにするだけ損だ。最後がくるその時までにどんどん伝えよう。
「明日は、明日こそは」と、人はそれをなだめる。この「明日」が、彼を墓場に送り込むその日まで。
- イワン・ツルゲーネフ
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人生最後の日。それは本来身構えることのできない、突然やってくるもの。人生という時間の中で紛れもなく最後にして最大のイベント。
あなたの最後の1日も、きっと最高であることを祈って。
この記事はオンラインコミュニティ".colony"の共通テーマであり、あくまで想像によるものです。人生まだまだ終わらないでほしいものですね。
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