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5月日記

しっかり10連休にしたGWは遠方やフェスに出かけることもなく、少し寝坊した布団の中で各所のSNSに打ちひしがれていた。五月病は連休のイベントや解放感を味わった後に、不変な生活に直面するから病むというメカニズムだと思っている。今年はそれに加え、連休に何をするでもない自分と周囲のキラキラした投稿を比較して病みそうでもあった。それを友達に伝えたら共感してくれたので、周囲の明度に当てられて陰るのは自分だけでは無いことに救われた。
それに全く何の予定もない、という訳でもなく、自分の家に集合して昼間から酒を飲んだり、地元の友人の行きつけの店に行ったり、近所の雑貨屋で普段の自分では買わないようなものを購入したり、した。理想の週末が連日訪れたような、そんな月頭だった。

GWが終わった次週にラブシャスプリングがあり、土曜の朝から日曜の夜までを山中湖で過ごした。キャンプサイト付きチケットを購入したのだがフェスの会場と自分たちの拠点が直結して存在していることが心地良く、終わったばかりだが来年も行きたい心持ちでいる。年を重ねる度に音楽を聴きながら片手を上げる、みたいな観客然とした行為がどんどん苦手になっている自覚がある。自分みたいな人間が抱えている不要な自意識を曖昧にさせるためにフェスやライブ会場ではアルコールが販売されているのかなぁと余計なことを考えたりした。余談だがフェスが終わった翌日に親友が高熱を出した。コロナでもインフルでもなかったらしいが、それはそれで何が原因だったんだ…と今でも不思議に思っている。

5月から同じ現場に仲の良い会社の知り合いが参画し、割と精神衛生が良い環境で働けている気はする。相も変わらず、初めましての領域や苦手分野の技術が多く、頻繁に逃げ出したい気持ちに駆られているが、どうにか毎日を生き延びている。この四か月をどうやって延命したのか不明だが、結果として無事に働いているので、自分が思っているよりも今の仕事に対する適正がある可能性がある。

2月から毎日の出来事を2,3行にまとめてノートに記している。読み返してみると「仕事進んだ 飲み会で4,000円なくなった 誰誰と会った」みたいに事実ベースの羅列が多く、当時の感情について触れることは少ない。毎月書いているこの月末記も出来事ベースではなく忘れてしまうような機微を残しておきたいと思っているが、思っているだけである。

noteに書きたいことが幾つかある。就寝前にふと、気になっていることや書きたいことが思い浮かぶ。スマホのメモに打ち込み、数日経ってnoteの編集画面を開いてみるも、タイトルと最初の数行以降は全く文字が進む様子はない。内憂や経験に言葉が付いたり、くだらない気付きを書き留めてはいるものの、文字に起こすにつれ俺が書かなくても良いな…と認知の歪みが生まれる。歯並びや髪の毛を矯正している暇があるならば、余計なことばかり考えるネガティブ思考をなんとかした方が良い。これを治すにはどうすれば良いのかは、全く分からないのだけれど。


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