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「花束みたいな恋をした」を観たら、恋したくなった

普通とは違う人生を歩みたかったサブカル系カップルが現実と社会に擦り減らされ、最後には破局する映画を観て「恋してえな!」と思った。

恋愛の先を考えすぎて恋人が作れない人。
これから社会に出る学生。
学生に戻りたい社会人。
理想を求め過ぎて、現実に潰された恋をしたことある人。

この映画から発せられる言葉や要素に胸を突かれ、「恋してえな!」と思うこと間違いなし。

以下ネタバレありの感想です。
一番読んでほしいところは【恋愛の「やっちゃってる感」が堪らない」】です。



東京・京王線の明大前駅で終電を逃したことから偶然に出会った山音麦 (菅田将暉)と 八谷絹 (有村架純)。好きな音楽や映画が嘘みたいに一緒で、あっという間に恋に落ちた麦と絹は、大学を卒業してフリーターをしながら同棲を始める。
近所にお気に入りのパン屋を見つけて、拾った猫に二人で名前をつけて、渋谷パルコが閉店しても、スマスマが最終回を迎えても、日々の現状維持を目標に二人は就職活動を続けるが…。
まばゆいほどの煌めきと、胸を締め付ける切なさに包まれた〈恋する月日のすべて〉を、唯一無二の言葉で紡ぐ忘れられない5年間。最高峰のスタッフとキャストが贈る、不滅のラブストーリー誕生!
──これはきっと、私たちの物語。



【「仕事」と「恋愛」】

この映画は「仕事」と「恋愛」のそれぞれにおいて、理想を追い求めた人間が現実に潰され、普通の社会人になる過程を描いている。

本作で見られるのは、“自分のことを特別だと思っていた人間が、じつは凡庸な存在だった”という残酷な事実に、少しずつ気づいていくという積み重ねの物語である

「仕事」

麦は就職活動をせず、大学を卒業しフリーのイラストレーターとして生計を立てる。絹もはじめは就職活動をしていたものの、麦に「一緒に住もう」と提案され、ともにフリーターとなって同棲を始める。
多摩川沿いの素敵な家に住み始め、はじめの一年は「理想のカップル」として幸せに過ごした二人。ただ、そんな生活も途中から陰り始める。

麦は自分の理想である「イラストレーター」を目指すが、仕事として行っているイラストの単価は下がる一方だ。
また、花火を営んでいる実家の父親に「花火を継がないんだったら仕送りは止める」と毎月5万円の仕送りを止められ、経済的に困窮し始める。絹の両親にも「社会は風呂」「人生は責任」と現実を説き伏せられてしまう。

フリーターとしての収入では生活していくのが厳しくなったのか、麦は就職活動を始める。結果的にはまったくうまくいかず、遅れて就活を始めた絹の方が先に事務員の仕事が決まったりする。
個人的には、「年が明けても内定が出なかった」という台詞で自分の就活を思い出して苦しくなった。この映画、タイトルからキャストまで全部キラキラしているのに人生の黒い部分を容赦なく刺してくるの本当に止めてほしい。

「恋愛」

「はじまりは、おわりのはじまり」。サブカル二人が奇跡的に出会い、勢いのままセックスもせず、ちゃんと恋愛の段階を踏んで恋人になって、「こういうコミュニケーションは頻繁にしたい方です」に全員やられて、さあこれから素敵なラブストーリーが始まるぞ~!と予感させといて、これ。重すぎ。
有村架純の可愛さと菅田将暉の横顔を楽しみにして見始めたら「恋愛はいつか絶対終わるし、理想だけじゃ上手くいかない」というしんどいテーマに押しつぶされるの、何?

恋愛が現実に負けるシーンは本当に多くあるのだが、その中でも最もつらいであろう、二人が喧嘩するシーン。
絹がイベント会社に転職をすることを伝えると、麦は「遊びじゃん」と厳しく諭す。せっかく資格取って就職したのに、それでいいの?って。
確かに絹は現実見れてないかもしれないけど、麦、おまえ言い方厳しすぎないか……。

その後、カップルとして気まずくならないように気を遣っているのが将来の事を話し合うカップルあるあるだった。
絹が「そうだね、遊びだね」ってなだめるように返事していたり、ほんとはムカついてるけど、それを出さないようにした「ははっ」っていう渇いた笑い方とか。一番好きなシーンではないのだが、二週間経った今もずっと頭から離れないのは、この場面だ。

余談ではあるが、脚本の坂元裕二さんが上記の場面を好きな場面としてあげていた。

「いっぱいありますけど、絹ちゃんの転職について麦くんと喧嘩するシーンで、転職先の“遊びを仕事に、仕事を遊びに”というポリシーを麦くんが『ダサ』って言うんです。それに対して絹ちゃんが『ははっ』て笑うところが絶妙なんです!」「あ、これ聞いたことある! 怒りながら気を遣われているときの笑い声だ! と思いました。



【「花束」という言葉の意味】

表題になっている「花束」という言葉。
「劇場」とか「愛がなんだ」とか「生きてるだけで、愛」みたいな、人気俳優がダブル主演をしている「ザ・邦画」の恋愛映画には珍しく、タイトルの余白が広い。

タイトルの隙間に自分の妄想を差し込める映画は、良い映画だと思う。観た人全員がタイトルの意味を考えてしまうからどうしたって尾を引くし、一人ひとりがそれぞれの恋愛を思い出して苦しくなれる。

ちなみに自分の解釈はこう。

「花束」は一緒に過ごした思い出。「花の名前を人に教えると、その花を見る度にその人のことを思い出す」という話が序盤にも出てくることから、記憶やアイテム(じゃんけんやイヤホン)を花になぞらえ、4年分積み重なったそれを花束と呼んでいる。
それに、ファミレスで絹が言う「楽しかったことだけを胸にしまっておこう」という言葉。ここから二人の花束は枯れないという予感がある。
枯れない花束=私たちの思い出

SNSではこの映画になぞらえてドライフラワーを聴いてる人を多く見かける。それは「枯れない花=色褪せない思い出」みたいな解釈をしている人が多いからなんだろう。
きっと、恋愛の数だけ「花」がある。


【恋愛の「やっちゃってる感」】

……いや待ってよ。なんかいい感じに締めたみたいになっているけど、この映画のポイントはそこではないのよ。「きっと、恋愛の数だけ「花」がある」(ドヤ)。じゃないのよ。

正直自分がこの映画を観た時は想定していたエモい展開とは異なり、将来と社会への見通しが甘いカップルが理想的な恋愛にうつつをぬかし、結局ダメになる映画だったので、感動というよりも「こいつらずっと何やってんだ?」感が勝った。

でも面白くなかったというわけではない。ただ恋愛映画を期待して観たら、どこにでも居そうなカップルのドキュメンタリー映画だったという話だ。

そして遂にはこの映画は僕らに何を伝えたいのだろうか、と考えた。

浮かんだのは、「この映画は恋愛の「やっちゃってる感」を楽しむ映画だったのでは」という考察だ。

映画の入り口を思い出してみる。
2020年。26歳になった麦と絹がイヤホンのLとRを分け合うカップルを見ながら、それぞれの新しい恋人に「あのカップル、音楽好きじゃないな」とかなり野暮なことを言う場面から始まる。

しかし映画が進むにつれ、全く同じイヤホンの分け合いっこを絹と麦もやっていたことが判明する。
何回目かのデートの最中、ファミレスでオーサムの曲をYoutubeで聴こうとしたところ、ミキサーのおじさんに「君たち音楽好きじゃないでしょ?」と冷や水をかけられる、あの場面だ。



あのシーンは空気読めないおじさんがお節介を焼くだけの場面では無い。ああいうカップルがやりがちな行為は渦中にいる人間にとっては愛おしくてかけがえのないものだけど、一度引いてみるとかなり「やっちゃってる感」があったりする。それを分かりやすく表した場面だと思う。


そして、この「やっちゃってる感」は劇中で何回も出てくる。

中でも一番やっちゃってる感がある場面は、麦が見逃した天竺鼠のチケットを持ちながら「じゃあこのチケットは、今日ここで出会うためのチケットだったってことですね」という言葉を発する場面だ。

劇中では恋愛の運命力を表現した綺麗な言葉として扱われていたが、あの台詞が輝いていたのは麦が菅田将暉だったからだ。
もし同じことを僕が言ったら「え、何言ってんの?」と変な空気になること間違いないだろう。ていうか普通の大学生、あんなクサい台詞言えないだろ。

でも麦は菅田将暉で、絹はそういうサブカルチックな発言が大好きな女の子だった。だから絹は目をハートにして麦を見ている。なんじゃそれ。


そういう風に、「恋愛してる時は気が付かないけど、それって実はかなりやっちゃってるよ?大丈夫?」という場面がこの映画では多く見られる。


【「#はな恋みたいな恋をした」という、地獄のようなハッシュタグ】

で、この映画のすごいところが、映画の中のフィクションとしてだけではなく現実として「やっちゃってる感」を体感できることだ。

どういう意味だ?と思ったあなたは、今すぐTwitterで「#はな恋みたいな恋をした」と検索してほしい。あらすじにある「これはきっと、私たちの物語」を鵜呑みにされた方々のやっちゃってる感満載の投稿が沢山見れるはずだ。

他にもInstagramやTikiTokでも上記タグのついた投稿が蔓延している。
噂によれば、TikiTokでは多摩川を歩きながら自分たちでナレーションをつけて動画を作っているカップルもいるらしい。
このやっちゃってる感、最高じゃないですか? 映画を観るだけに留まらず現実世界においても実体験として楽しめるって「はな恋」って4DXなのか?

勘違いしたカップルの地獄のような投稿を見ながら、この感覚は何かに似ていることに気が付いた。それは、「別れた後を歌っている曲のYoutubeのコメント欄」だった。

どういう意味だ?と思ったあなたは、今すぐYoutubeで「別の人の彼女になったよ」と検索してほしい。そしてそのコメント欄を見てきてほしい。なにがとは言わないが、最高なのだ。


もしあなたが最初のイヤホンのシーンを「うわーやっちゃってんなー」と冷めた目で見てしまったり、「なんか彼らが世間知らず過ぎて、そんなに感動できなかったんだけど」みたいな感想を抱いた人には、ぜひ「#はな恋みたいな恋をした」というハッシュタグを観てみて欲しい。間違いなく、今いちばんアツく、いちばん面白いタグだ。

あとこのハッシュタグについて調べてたら、映画の公式がこんなサイトを作っていて笑ってしまった。公式が黒歴史の誘発をするなよ。


【映画を観たあとの最初の感想が、「恋してえな」だった】


とまあここまで散々馬鹿にしておいてアレなんですが、僕がこの映画を観た後に最初に抱いた感想が「恋してえな」でした。実はそういう「やっちゃってる感」って全然嫌いじゃない。寧ろ好きな部類だ。恋愛はそういう痛いところも含めて、恋愛だ。

それに、そういう恋愛の痛々しさを純粋に楽しめるのって、理想を理想として生きててもギリ許される23~25歳くらいまでだったりする。

今年で24歳になる森林は、「#はな恋みたいな恋をした」が付いた投稿を見て「こいつらのやっちゃってる感、最高だな!」と馬鹿にする一方で、「こういう恋愛っぽさを楽しめるのって、今だけなんじゃないか?」と気が付いてしまったんです。

なんだろう、大学生の時に「20歳そこらになって集団で群れるのダッセ~」と斜に構えてサークルを全部辞めてしまったせいで、先輩後輩みたいな関係を築くことが出来ず、今になってめちゃくちゃ後悔しているのと同じ感覚な気がするな。斜に構えて参加しなかったイベントとかコミュニティをあとになって後悔した経験、あなたにもありますよね?よね???

なので「恋愛なんてしてるカップルってダッセ~!」とスマホ片手に馬鹿にしている僕は、2.3年後に「なんであの時恋愛しなかったんやろ……」と後悔すること間違いないのです。


そういうわけで、みなさん、恋愛をしましょう。

恋愛の先を考えすぎて恋人が作れない人。もうすぐ社会人になる学生。学生に戻りたい社会人。理想を求め過ぎて、現実に潰された恋をしたことある人。恋愛をしましょう。

「はじまりは、おわりのはじまり」だとしても、恋愛には「やっちゃってる感」が付き物だとしても、恋愛をしましょう。あのきらきら感も、あの痛々しさも、いましかできないことなんですよ。



余談ですが、映画を観た後に「なんか、恋したいなって思った」と一緒に観に行った友達に伝えたら、すごい顔で「何で?」と言われました。

【あとがき】

「花束みたいな恋をした」を観た直後は、映画内での出来事と自分の恋愛の想い出を重ねたエモさ100%のnoteを書こうとしていました。だけど完成したのは、やっちゃってる感をひけらかす連中を散々馬鹿にした後で、「それでも恋愛したい!!」と駄々をこねる23歳男性の話でした。不思議だ。

思っていた映画とは違ったし、自分の心に残る言葉や感情も、予想とは程遠かったです。僕以外のこれを観た人たちは、何を考えたのか、どこに共感したのか、どこに気持ち悪さを感じたのか、どこで涙腺が緩んだのか。そんな体重が乗った感想が読みたいと、僕は思っています。これを読んだみなさんの感想、僕にこの映画を観ろと勧めた友人諸君の感想、お待ちしております。何度も言うようですが僕の感想は「恋してえな!」の一点につきます。はい。


コロナが落ち着いて、居酒屋やカラオケも日付が変わっても営業してるみたいに戻って、それで、もしカラオケに誘われたりしたら、その時はわざと終電を逃してみます。

いや、そんなつもりが無くとも、いつの間にか終電ギリギリになっていて、Suicaのチャージに引っかかって、結局終電を逃してしまうんだろうな。そしたら、トイレットペーパーを二袋持った有村架純が、同じように電車を逃すんだろうな。そしてその後、なんやかんやで花束みたいな恋が始まるんだろうな!待ってろよ押井守!


これだけ期待して、何にも起こらなかったらそれはそれで本当に悲しいけど、もし万が一そうなってしまったら、「まあ2014年W杯のブラジルよりましだろ!!」と思えば大丈夫でしょう。


ここまで読んでくださって、ありがとうございました…!


おわり

#花束みたいな恋をした #はな恋 #はな恋みたいな恋をした

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