鏡、あるいは輝く太陽

鉄は熱いうちに打たないと整わないまま冷えて固まってしまいます。
これまでそんなことばっかりだったので、まだ余熱が残っているうちにしたためたかったのですが、気づいたら1週間経ってました。
もう一度火をくべて、叩きます!

NOVA READING「館、あるいは情景」という朗読劇を観劇してきました。
会場となった富士見台「アルネ543」は2面式というか、舞台セットがほぼ真四角、その2辺に沿って客席があるような、他ではなかなかお見かけしないような構造になっており、ここ1年で様々な会場に足を運んだ自分にも非常に新鮮な「箱」でした。

そんな箱で上演された「館、あるいは情景」
私が「推し」と明言している方のひとり、声優・鶴野有紗さんが脚本・演出を担当し、公演回によってはご自身もご出演される、ファンにとっては何重にも味わえるものでした。

ネタバレありの解説ブログを鶴野さんがご自身で公開されてますので、こちらも併せてお読み頂ければ!
(ただし、長いです。マジで)

鶴野さんがNOVA READINGで脚本を担当されるのは3作目。
公演以前に鶴野さんはNOVAでの1作目「『アイを捧げてアイロニー』のアンサーというか別ルート的な作品」と語られています。
「アイを捧げて~」と今作「館、あるいは情景」に共通しているのは、登場人物たちが鶴野さんに内包されている色んな姿を顕現しているということのように感じます。

「アイを捧げてアイロニー」についても、とても長いブログで解説されていますので、こちらも読んでみて下さい。
ただし、こちらも長いです。けど読みごたえはあります。

まず一通り観終えた時の感想は「騙された!」といったところでした。
今回は事前に鶴野先生から「謎解きとか脱出ゲーム的なものを作りたかった」というようなニュアンスのお話をされてたので、てっきり「登場人物5人の中に犯人はいる。あるいは外部にいる犯人≒ゲームマスター的な人物を追い詰める」というシナリオだと妄想していたんです。
また、今回の脚本では珍しく「トイレなどのためではない、3分間の休憩」というパートがありました。

この3分間の間に客席に投げかけられたお題は「宝とは何か」。
このタイミングで私は
「今回のシナリオにおける”宝”は何か」
「(客席で観ている)あなたにとっての”宝”は何か」
という2つについて考えてほしいというパートだと思ってたんです。
この考えはあながち間違ってなかったとは思いますが、先の方はそもそもこのシナリオにおいてはミスリードだったんだと、オチと対面してわからされました。
同時に「鶴野大先生の掌の上だ……悔しい! けど面白い!」と感じたのも事実でした。

月、あるいは太陽

先述のブログにも記載されていましたが、今作はキャラクターや客席の関係値において「月と太陽」という対比構造がおかれていました。
私はどちらかと言われたら、間違いなく「月」と答えるでしょう。

私が人生において主役になることなど考えられません。
私が輪の中心にいることなど到底考えられません。
そして、登場人物のひとり、本宮旭のセリフ「順調に、死にたいなぁ」というセリフにいたく共感してしまうんです。
劣等感の塊である私は、それこそ鶴野有紗さんのような「推し」という太陽に照らされていない限り、生きる意味すら分からなくなるような、随分と陰鬱とした月なのです。

けど、ならばこそ私にとって”宝”とは、推しなんだと考えています。

自分に生きてる意味なんて見いだせないから、もっと才能のある存在に期待を委ねてしまう。
推しが生み出してくれるものを享受する、というのを勝手に生きる意味にして、なんとか生を持ちこたえている。
ゆるやかに近づいていく命の終わりを、少しでも楽しく生きるために、勝手に推しを道しるべにしている……

私もこの登場人物たちのように、随分と身勝手な生き物だなぁと感じるばかりです。

私が鶴野有紗さんを推している理由は「鶴野有紗さんが生み出すコンテンツをもっと見たいから」と自覚しています。
それは今回のような脚本も然り、本業である声優としての演技やラジオ等でのトークも然り、単純にファッションや髪型然り……

もしかしたら失礼に聞こえるかもしれませんが、「鶴野有紗」というコンテンツがとても魅力的なのです。

鶴野さん自身は自分を「月」と捉えているようですが、私にとっては「太陽」だと思っています。
仮に月だったとしても、月同士の追いかけっこなんて、それもそれで寓話のようで面白いような気もしますが(笑)



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