将棋を好きになれなかった
6歳、小学一年生で将棋を始めた。どんどんとのめり込んでいき、土日のたびに朝6〜7時台に家を出て、東京方面へ。小学三年生で携帯電話を持ち始めて、一人で電車で、飛行機で、将棋のためならどこにでも行きました。
将棋大会の会場は、
東京ビッグサイト
武道館
両国国技館
東京都体育館
東京都庁
上野松坂屋
渋谷東急百貨店
赤旗新聞社
彩の国
小学館
講談社
・・・数えきれない。
だいたい神奈川県秦野市の自宅から2時間はかかってしまうので、東京に住んでいたらなぁとずっと思っていた。大会がない時は、小田急線沿いの厚木将棋道場や町田将棋センターへ。でも神奈川の西に強い小学生はいなかったから、ときどき八王子将棋センター、新宿将棋センター、日本将棋連盟道場にも足を伸ばしていました。楽しかったなぁ。
将棋が大好きでした。
小学校高学年に入ると、どこの町道場でもアマ三〜四段ほどに。
神奈川県代表として全国大会に出たこともあるけど、全国で上位に行けたことはないです(自分が小三〜四年生の頃は永瀬拓矢さん・高見泰地さんが神奈川県で強かったけど、この二名が奨励会入会して県大会は勝ちやすくなった)。
小学五年生〜中学一年生(2005〜2007年)の時には関東研修会に所属して、月に二回、東京都渋谷区千駄ヶ谷の将棋会館に通っていました。
2005年11月の同日に研修会入会したのは自分と加藤桃子さんの二人。自分はFクラスから、同い年の加藤さんはDクラス入会だったかな。話を聞くと、「静岡に住んでいたけど将棋のために東京に引っ越す」と。覚悟の差を目の当たりにして気圧されたのを覚えています。加藤さんとは小学館などの大会で二回対局してどちらも負けた。
当時、94年生まれで関東で将棋を指していたということで、研修会でもそれ以外でも、すごい実力者たちが周りにはいました。
佐々木勇気くん・永瀬拓矢さん・高見泰地さんは将棋大会の会場で遠目でチラッと見るだけのすごすぎる人たちだった。
伊藤沙恵さんとは上野松坂屋の切れ負け大会で、相振り飛車で銀冠にされて、まだ駒がぶつかっていないタイミングで自分が急激な腹痛に襲われて投了してトイレに駆け込んだ。もったいないことをしたなぁ。
東京都大田区で一緒に小規模な将棋合宿をした山本博志くん、すごい才能だと思った。
大会会場で名前が轟いていた、三枚堂達也さん、青嶋未来くん、近藤誠也くん、増田康宏くん。
研修会Bクラスに入って、一瞬で奨励会入会規定を満たして抜けていった大橋貴洸さん。
みんなあっという間に奨励会に入会していきました。
印象に残っていることは他にもいろいろ。
明らかな強豪感の谷合廣紀さん。
研修会では梶浦宏孝くんとはほぼ互角で、山口恵梨子さんには勝ち越していたかな。
中川慧梧さんはいつも青森から新幹線で研修会に来ていてすごかったな。
プロ編入試験合格したての瀬川晶司先生の指導対局では、平手の四間飛車対左美濃で勝たせてくれた(プロ棋士の先生の指導対局では、子どもに自信を持たせるために敢えて負けてくださることもある)。
熊本県玉名の将棋合宿では、佐藤康光先生がこれまた左美濃で教えてくださった。
小学五、六年生では負けが込んでしまい、明らかに勉強量が減って、棋力が伸び悩んでいました。将棋が楽しかったのは小学五年生までだったかな。明らかに周りの人たちの方が才能がある、そして自分が才能を語るほど勉強していないこともまた、明らかでした。
小学六年生になったばかりの頃、研修会に奨励会の幹事の先生がいらして、研修生たちを前に「奨励会は人生をかけた本気の場です。みなさん、思い出づくりの記念受験はしないでくださいね」とピシャリ。
その時に自分はプロ棋士になれない、本当はなりたいとも思っていないことに気付いた気がします。
奨励会受験をする際の師事に関しては、普及指導員の先生に森下卓先生を紹介いただける話にはなっていたものの、自分の実力のなさ、将棋の好きになりきれなさから踏ん切りをつけられずにいました。そんな中だったので、小学六年生での奨励会受験は見送ってしまいました。
「将棋のプロ棋士になるには、小学六年生までに奨励会に入会するもの」という強烈な観念が、自分には(おそらく周りの人たちにも)あって、自分が奨励会受験をしなかったことに対して、当時仲が良かった元奨励会二段の徳原千拓くんが、ガッカリして叱ってくれたのは、自分の実力を買ってくれているような気がして、嬉しかったのを覚えています。
当時の自分は研修会D1クラスで、同じクラスからも奨励会合格者が2人いた気がするけど、自分の体感では受験したとして合格率は20%以下でした。
そしてその後は、なんだかんだダラダラと研修会を中学一年生の12月まで続けてしまい、部活も勉強も中途半端で、三足のわらじを履けなくなっていたので、辞めることに。
当時の関東研修会幹事の大平武洋先生に退会の挨拶をした際には、「また将棋を指していればどこかで会うこともあるでしょう」と言っていただきました。
その帰り道、千駄ヶ谷の鳩森神社で「もう将棋は指さないんだよなぁ」と思って、その瞬間の肩の荷がドッと降りた感覚を、今でも覚えています。誰に期待されていたわけでもないけど、将棋を指し続けなければいけない、という自己暗示が解けた瞬間でした。
これがだいぶ昔の話ですが、あの時、将棋と一区切りつけられたのは本当に良かったです。
それから将棋の大会に出場したのは二、三回程度。棋力もアマ四段から一向に変わっていません。
奨励会挑戦すらしなかった自分が将棋を「嫌い」になるのは上滑りで滑稽だし、今はアプリで楽しく指すこともあります。
ただ、もし今時間が膨大にあっても、AIで研究したいとか、プロ棋士の先生の棋譜を並べたいとか、詰将棋を解きたいとかはあまり思わないです。YouTubeで各将棋チャンネルの「ながら見」は最近結構します!
体感だと周りの人たちの半分くらいがプロ棋士になった気もしちゃうけど、実際は自分みたいな人の方が多かったんだろうな。