『旧カトリック清水教会 解体資材展』写真提供
旧カトリック清水教会写真募集御担当者様
急に、春めいて、というよりは東京は初夏の陽気です。
昨秋他界した母のアルバムに、1954年とメモがある写真があり、そこにフランス語サークルの写真と、それから、当時の清水カトリック教会の神父さん(オートバイで長崎に旅してたりして、母の憧れの人だったようです)の写真がありました。
1929年生まれで「軍国少女」として少女時代を過ごした母にとっては(静岡空襲までは静岡市土太夫町で暮らし、戦後清水に転居した)、カトリック教会のフランス人神父やフランス語サークルは、いわば自由の象徴だったのだろうと思います。
戸田書店の「季刊清水」の編集長Nさん(ぼくは面識がないのですが)が、デザイナーに送ったメールを以下に転送します
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森さんのお母様の訃報の転送ありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。 実家でやっていた7-8人のフランス語のクラスに、よく自転車で村松から見えました(当時は皆自転車でした)。 まだ独身で、結婚されてからも実家の薬局のお仕事をされていたということですね。 もう70年近く前、ポニーテールですらっとして、おしゃれで、ティンカーベルという仇名でした。 実家に行った時に写真が見つかったら送ります。お見合い写真(?)もあったような・・ 考えたらそれからお目にかかっていないので、その時のイメージのままです。 ***「実家でやっていた」は、おそらく銀座の戸田書店。そこにカトリック教会の神父さんが来ていた、でしょうか(コーラスの写真は教会かしら)。ちょっとそこのところが、実は不確かですみません。 ただ、カトリック教会が戦後の清水で文化的な役割を果たしていたということを伝えたいと思いました
Xユーザーの清水の木造ゴシック聖堂を活かす会(公式)さん: 「フォロワー様よりお借りしたアルバムを展示品に追加させていただきました⛪️ 当時のフランス人神父さんが葉巻を咥えながらオートバイにまたがっている写真、ばかイケイケです☺️ #旧カトリック清水教会解体資材展 https://t.co/OtvIfA5KnH」 / X (twitter.com)