短編小説「アッコちゃん」



厚子はアッコちゃんと呼ばれていた。当時流行ってた漫画「秘密のアッコちゃん」の主人公があつ子だから、アッコちゃんになった。アッコちゃんは色白で眼鏡をかけていた。私達の出会いは小学5年生に同じクラスになってからだ
。その時代は、今もそうなのかわからないが、運動会などのイベントや、クラスの席も必ず身長の低い順に前から並ぶので、高い人は後ろに座る事になる。私とアッコちゃんはたいてい後ろから3人目辺りを行ったり来たりしていた。やせてひょろっとしていた。卒業迄の2年間同じクラスで、席も近かった。
6年生になる頃には、クラスで仲良しグループが出来ていて、一緒に帰ったり、家に遊びに行ったりしていた。ワンちゃん、タコちゃん、ゆかりちゃん、そしてアッコちゃん。この4人と私は何となく気が合った。今思えば価値観が一緒だったのかも知れない。
アッコちゃんは頭が良かった。学級委員をしていた。でも、どこか控えめで品があり、
小さな可愛い声でおしゃべりした。全員漫画が大好きで、ノートに漫画の落書きするのが流行ってた。アッコちゃんは漫画描くのが一番上手だった。休み時間には、アッコちゃんの机の周りに集まり漫画についておしゃべりが始まる。
ある時、当時読んでた漫画雑誌のリボンや少女フレンドやマーガレットの漫画家の話しになった。「私は里中真智子が好き」とアッコちゃんが言えば、タコちゃんは「西谷祥子もいいよ」私は、いやいや「梅図かずおでしょ!夜寝て天井見上げたら、蛇が見えて来たよー」ぎゃーと笑い合いながら、盛り上がるのだった。
ある日、仲良しグループでアッコちゃんの家に遊びに行く事になった。アッコちゃんの家は学校から少し遠い所にあった。裏道を抜けて車が走る大通りに出た。道路沿いを暫く歩くとアッコちゃんの家があった。家というより、会社みたいだった。会社の隣には「野村モーターズ」と書かれた大きな看板がある建物があった。
九州の中堅都市とはいえ、当時昭和40年代は車がある家のほうが珍しい時代である。建物の下のだだっ広い倉庫のような空間に、車やバイクがあった。中にいる事務員さんが気を利かせて、呼びに行ってくれた。「厚子お嬢様ー」すると、アッコちゃんが「こっち、こっち」と横の鉄の階段の上から手招きした。私達は階段を上がっていき、倉庫の2階の入り口で靴を脱いだ。そこは、学校の教室のような板張りの空間が広がり、部屋の奥にグランドピアノが1台こちらを向いて置いてあった。他には何もなかった。「うわっ!グランドピアノだ!」学校以外でグランドピアノを置いている家は初めてだから、私達は口々に、凄い、お金持ち、とか言って羨ましがった。
ワンちゃんが「あつこお嬢様ー」と言うと、色白のアッコちゃんは恥ずかしげに赤くなっていた。
私達はバービー人形や漫画の話しで時間が経つのも忘れて、おしゃべりした。
私達は音楽も好きだった。ゆかりちゃんと私はウォーカーブラザーズのファンで、初めて買ったレコードがヒット曲の「in my room」だった。当時は第一次ピアノブームで、ご多分に漏れず私の家にも、ある日KAWAIのアップライトピアノがやって来た。父親がクラシック音楽が好きだったからか、きっかけはわからないが、自分の意思とは関係なく、気がついたらピアノを習いに行っていた。
タコちゃんとゆかりちゃんはピアノが上手だった。アッコちゃんはどうだったんだろう、アッコちゃんのピアノは聞いた事なかった。
あんなに仲良かった私達5人は、だんだん遊ばなくなって来た。6年生の女子は半分思春期に入ってたから、色々な事があったんだろう。来年から中学生になるのだから。
そんなある日、担任の先生が、学級委員のアッコちゃんと男子の学級委員の山口君と3人で黒板の近くで何やら話をしていた。それを境にアッコちゃんは、放課後居残りして勉強するようになった。
ワンちゃんが「知ってる?アッコちゃん、附中を受けるらしいよー」「そうなの?知らなかったー」みんな知らなかった。教育大学附属中学、略して附中は頭が良い人だけが受験出来た。当時、私達が通学していた小学校は6組迄あり、1クラス46人程度だった。クラスで成績が1番の子たちが附中を受験出来た、と言うか、担任の先生が推薦し、受験に必要な勉強を教えていた。そんな時代だった。アッコちゃんは私達に受験の事を一度も話さなかった。私達も聞かなかった。
次第に、私達仲良しグループは、それぞれに興味の対象物が移り変わって行った。私は漫画を飽きる程読んだら、小説の面白さにハマり出して、漫画を卒業した。そして、小学校も卒業した。
私とタコちゃんとゆかりちゃんは同じ中学に行き、ワンちゃんはお父さんの転勤で県内の別の市に引越して行った。
アッコちゃんは附中に行った。私とタコちゃんとゆかりちゃんは同じ中学に行ったが一度も同じクラスになる事も無く、自然と疎遠になり、やがて中学を卒業した。私は地元の高校から地元の短大へ進学し、卒業後住宅会社に就職して20代を謳歌した。その後、随分経ってから、風の便りで、タコちゃんは結婚して関西に住んでいるらしいと聞いた。ゆかりちゃんはピアノを教えてるらしい。
ワンちゃんも結婚して近隣の市に住んでるらしい。3人とは今日迄一度も会う事はなかった。
でも、アッコちゃんとはその後偶然にも、2回会っていた。1回目は子どもが、1日スケート教室に参加した時だ。リンクを見守る親達の中にアッコちゃんが居たのだ。アッコちゃんは眼鏡をかけてなかったが、私はすぐにアッコちゃんだと気がついた。コンタクトに変えたんだね。色白で美人になっていた。と言うか、眼鏡をかけていたが、私は当時からその美しさに気がついていた。「アッコちゃん?」私は声を掛けた。アッコちゃんもすぐ気がついたみたいで「セイちゃん?」と私の下の名前を呼んでくれた。お互い30代後半になってたが、まだまだ昔の面影は残っていた。お互いのママ友と一緒だったから、長話はしなかったが、「久しぶりねー」とリンク上の子どもの群れからわが子指差して、教え合った。
2回目は、どこかの化粧室だったと思う。コンサート会場だったのか、美術館だったのか、どうしても思い出せない。手を洗いながら偶然の再会だった。既に40代になっていたが、アッコちゃんは品が良く、綺麗だった。笑顔で短い会話をした。縁がある人とは必ず再会するよ、と誰かが言っていた。私もそう思った。又きっとどこかでアッコちゃんと会うに違いないと思っていた。今ならば、LINEか何かをスマホに登録しただろう。その頃は携帯電話がまだ普及していなかった時代だった。
それから何年も経った頃、別の同級生と偶然会い、アッコちゃんが亡くなった事を知らされた。癌だったそうだ。
「えっ?ホント?」
涙が出るわけでもなかった。
私は小学校の時のアッコちゃんしか知らないのだ。その後どんな人生だったのか、なんにも知らないのだ。
だけど、信じられなかった。
アッコちゃん、どうして?
早すぎるよ、アッコちゃん、
私は又会いたかったのに。
だけど、もう二度とアッコちゃんに会う事は無いのだ。
私は夫の転勤で、何回も引越して、地元に戻って来たのは60代になってからだ。
子育てが終わり、興味ある事に首を突っ込んで、せかせかと早足で毎日を生きている。
ズルいよアッコちゃん、私が思い出すアッコちゃんは、色白の美しいアッコちゃんのままなのに、私はすっかり老けてしまったよ。縁がある人とは再会するってよ。とすると私はアッコちゃんと又会えるんだよね、きっと。アッコちゃんと会ったら「誰?」と言われるに違いない。
私は、くたびれながらも、生きてるよ。
私が人生のゴールでテープを切ったら、必ず会いに来てね、アッコちゃん。

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