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「仕事ができる」とはどういうことか?

たまたまAmazonでふと気になって、この本読みました。

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著者2人の対談形式で語られるのですが、歯に衣着せぬ鋭い論調で面白かったです。特に経団連の講演に呼ばれたあたりのお話や、昭和バンカーの光の話、男性同士の会話の大半はどちらがマウントを取るかに終始する話など、本当にそんな世界あるんだなあと、笑えるような、笑えないような話です。

気づいたら深夜1時ごろに。早く寝ねば...。

ものすごく端的にいうと、仕事はスキル(努力要素)とセンス(努力以外の要素)に大きく分かれていて、仕事ができる人は、センス領域がものすごく長けている、という話でした。

そして、今後の未来は、スキルはデフレ化(陳腐化、安い労働力化)していき、逆にセンスはインフレ化(引く手数多化)していくということです。

例えば、「弁護士」という資格はスキルとしてはトップクラスの難易度を誇りますが、このような、「誰でも勉強すれば点が取れる」、とのようなものは今後デフレ化していくといいます。

私自身の話を少しすると、新卒で入社した営業会社で、最も仕事ができない人として当時の部署で認定されたことがあります。(当時は差別用語に当たるあだ名もついた経験があります:苦笑)

そんな中で、とある自らの気づきと決意によって、そのレッテルを剥がすことに成功した経験がありました。(ほんの一時的に部署MVPまで獲得)

その当時と、この本を読んでの共通点、(ああ、これが近い感覚かも)、という部分を抜粋すると、スキルに傾倒しているうちは「部分最適」センス領域が身についてくると「全体最適」に傾くという点です。

ざっくり言えば、その時期(多少活躍できていた当時)を分析すると、自分個人の成績をほとんど重視しておらず、チームの数値を上げることに注力できていたのだと思います。一言で言うなら、没頭です。

ちなみに、厄介なのは、この「センス」というものは、勉強すれば身に付く「スキル」とは違い、単純なトレーニングで身につくものではない、と著書はいいます。

もしかすると、一見周りくどく、遠回りに見えるかもしれない何か、合理性を追求した先とは真逆の世界に、そのセンスを磨くヒントが隠されているのかもしれません。

キーワードは、面白がれるか。そして、内発的な動機付け(自らが意思を持った行動)が起こせるか
どちらにしても、他者比較の先にはなさそうで、自分自身との対話が必要になってきそうです。

と、抽象的な話になってしまいました。何か皆さまの普段のお仕事のヒントになれば幸いです。

ご自愛くださいませ。おやすみなさい。

sam日記

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