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【自己紹介】自由奔放に育ち、23歳で経営者の道へ

初めまして。
株式会社ideal代表の森捺貴です。

私がこれまでどんな人生を歩んできたか、自己紹介をさせていただければと思います。

①幼少期から小学校まで

私は、1998年に千葉県にて生まれました。
2つ上の姉と両親の4人家族です。

両親ともバリバリ仕事していたので、物心つくまでの平日は祖父母の家、土日のみ両親と過ごすという幼少期でした。

おばあちゃんが幼稚園の先生だったのもあり、かなり甘やかされた幼少期だったと思います。
未だに朝起きるのが苦手なのは、幼少期から優しく起こしていただいてたからかもしれません笑

物心つく前からたくさん習い事もさせていただきました。
椅子にじっと座ってられるかわからないくらいの頃にピアノを始め、体操水泳バレエなど。
ほぼほぼ幼稚園までの記憶はないのですが、楽しんで習い事に行ってたことだけは覚えています。
幼稚園での記憶より、習い事の記憶の方が多いです。

その後、小学校低学年は父親の仕事の関係でアメリカに滞在しました。
"言語"という概念を理解していないまま現地校にも通い、突如異文化に放り込んでいただいたわけですが、良い意味で何も考えてない年齢だったので気付いたらアメリカ生活に馴染んでいました。
ハロウィーンやBBQ、サマースクールなど本当にいろいろな経験をさせていただきました。
経験、ということでアメリカのあらゆるところにも旅行で連れて行っていただきました。

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ワシントンD.C.、ディズニーワールド、国立公園、野球場、全部素敵すぎる思い出です。
今の旅行好きはこの時の経験から来てるかもです。

帰国後は公立の小学校に編入しましたが、わがまま放題で育った私は喧嘩ばかりの毎日でした、何度学校の先生に怒られたことか笑

帰国後も子供のうちに出来るだけ色々な経験をした方が良いというありがたい親の方針で、たくさんの習い事をさせていただきました。
ピアノハンドベル書道英会話テニス水泳トランポリンなど。
中学受験に向けて塾にも行かせていただいてたので、基本的に放課後は1-2個習い事を掛け持ちしている状況でした。
今考えるとこれらの送り迎え等をずっとしてくださっていたこと本当に感謝です。

やりたいと言ったことは全てやらせていただいてました。
入る必要ないにも関わらず学童に入りたいといって夏休みだけ入っていたり、週末は釣りに行きたいと言って朝早くからお父さんに運転してもらい銚子の方まで足を運んでいたりしました。
カブトムシ捕まえたいと言い出しては朝4時から森の中彷徨ったり、どうしても遊園地に行きたいと言い出して急遽連れて行っていただいたり。
本当にたくさんの経験をさせていただいて今があるなと思います。

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②中学・高校時代​

姉が中学受験していたのもあり、私も受験をし英語が日常的に飛び交うような素敵な中高一貫校に入りました。

周りの方が優秀すぎて、異次元の世界に入り込んだ気分でした。
意外と言われますが、どちらかというとあんま授業とかは集中できないタイプで、授業中も先生の話聞くより自分で教科書読んで勉強した方が早いじゃん!と思っていたタイプです笑
そのため、全然先生の話聞いてなくて、今思えばもっと先生方の経験からくるお話を聞いておけば良かったなと感じます。
プロから教えていただく方が早いに決まってるのに、当時は自分のやり方がベストだと思い込んでました。

部活は水泳部に入りました。
全然水泳部に入るつもりなくって、元々小学校の頃にトランポリンをやっていてかなり打ち込んでいたのもあり部活に入らず地元のトランポリンのクラブチームに入る予定でした。
それにも関わらず、初めて仲良くなった目の前の席の子が水泳部に入るって決めてて、一緒に見学行ったら楽しそう!となりそのまま入部を決めてしまいました。
結果的にトランポリンは中学以降やらず終いです。
(未だにスクールにはお招きいただけるので近いうちに跳んできます)

高校はチアダンス部に所属。
何故かこれもチアダンスに入ると固く決めてました、理由は全く覚えてません笑
このチアダンスによって人間性を根本から叩き直していただきました。
もちろんチアダンスをうまくなるにはどうすればいいかも教えていただけますが、それ以前に人としてどうあるべきか、チームとして戦うには、自分の掲げている目標を達成するためにはどうしたらいいのか、などをたくさん学びました。
特に自分の代の際には志願制でキャプテンをやらせていただき、組織創りや結果成果に対する責任を学びました。
体を動かすことは未だに大好きです。

部活と並行して勉強もしました。
これは完全に周りのおかげです、一緒にいた方々の目標が高かったしそれに見合う努力を目の前でしていた。
一緒に頑張る仲間がたくさんいたので受験期もかなり楽しく過ごした方だと思います。

引退間近の時の1日のスケジュールは、下記のような感じでした。
我ながら頑張った高校生活です。

6:00起床→6:15出発→7:00朝練→8:25授業→昼休み練習→放課後練習→19:00自習室→22:15帰宅後勉強→23:30筋トレ&シャワー&ストレッチ→24:30就寝

このように部活にも勉強にも全力を尽くした高校の頃のように何かに打ち込みたい、何かに120%打ち込む毎日にしたい、というのが大学進学時に掲げていた目標でした。

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③大学時代

大学では法学部に進学しました。

何故法学部に進学したかというと、特に進学したい学部がなかったから。
医者になりたい!とかこの学部行きたい!みたいのがある方がむしろ羨ましかったです。
何もやりたいこともなければ将来の夢もない。

文系理系を選択するとき、私の得意科目は1番に数学、2番に英語だったので得意を活かすのであれば明らか理系でした。
ただ、"文系=数学が苦手な人が選択するもの"という固定観念があふれていたのと、"理系の方が優秀"というのがその時の通説だったため、なぜかその風潮に心から嫌気がさし理系よりも優秀な数学が得意な文系になってやるって思って文系を選びました。
圧倒的な天邪鬼を発揮しました笑

文系の中でどの学部に行くか考えたとき、何も勉強したいことはなかったけど、この日本という国が法治国家である以上、法律という社会のルールを知ってからでないと何も出来ないと感じ、法律を学ぶことを決めました。
そして、弁護士になって人を助けたいとかそういう想いは一切ありませんでしたが、どうせ勉強するなら120%かけて勉強したい、そのためには何か目標や期限があった方が自分勉強するなと感じ、大学に入学すると同時に司法試験予備試験の受験を決め、予備校にも通い始めました。
この時も親にはたくさん授業料を払っていただきました、本当に感謝です。

その一方で、体操部orバドミントン部に入ろうと思って新入生歓迎会に行ったところ、最初に体験に行ったテニスが楽しすぎて、テニスサークルに入りました。
入サーを決めた1番の理由は、いつでも自主練が出来ること。
好きなだけとことん運動したい、というのも私も目標の1つだったのでピッタリ過ぎました。
テニスはほぼ未経験でラケットの持ち方から学び始めたわけですが、やるからにはとことんやり抜きたい、という私の性格上かなりテニスに時間もお金もかけました。

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当時のピーク時のスケジュールはこんな感じです。
高校時代と変わらない&体力すごいな自分って思います笑

5:30起床→6:00勉強→7:00テニス朝練→9:00図書館で勉強→19:00テニス夜練→21:30カフェで勉強→25:00帰宅(or飲み会参加)

"全部取り"がキーワードの大学生活、飲み会もたくさん参加しました。
お酒の飲み方を覚えられたのも大学生活で得たものの一つです、意外と社会人になってからも役立ってます。

社会人になるタイミングで、人との出会いをきっかけにこの先どういう人生を送っていくか初めて本気で考えました。
ろくに就活とかもせずに過ごしてきたので、あんなにも自分自身と向き合ったのはこの時が人生初めてです。

そこからの変化や今後どうしていくのかは、これから少しずつ記していければと思います。

最後までお読みくださりありがとうございます。
読んでくださってる方と何かしらのご縁でご一緒できる日を楽しみにしております。

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