弟が生まれてから佐賀を離れるまでの日々
長男のこれまでの成長記録はいったん締めくくり。まだまだ続きますが、、、
またしばらくしてから続きを書きたいと思います。
読んでくださっている方、本当にありがとうございます!
【前回の日記はこちら】
弟が生まれた時の思い出
4歳離れた兄弟だ。弟は瑞己(みずき)という。間も無くお正月というタイミングで、予定日を10日過ぎて生まれてきた。
僕と恵多は2人で年を越した。毎日、妻と瑞己が入院する病院へ会いに行くのがしばらく日課となった。
恵多は初めて母親の元を離れて過ごしていた。泣きもせず、毎日お利口に僕と過ごしていた。
寂しい気持ちは当然あっただろうけど「お兄ちゃん」になった自分を自覚していたのだと思う。
恵多と2人だけで過ごすのはなんだか特別だった。
お正月気分を少しでも味わうため、家でお雑煮を食べ、頼んでいたおせち料理は病院でみんなで食べた。
近所にあった夢咲公園でたこあげもした。「夢咲」ってすごくキレイな響きだった。
僕は酔っぱらうと、いつもこの時の恵多と2人で過ごした話をするらしい。
きっと僕も、初めて「父親」らしいことができて嬉しかったんだな。
弟ができて、恵多も可愛がっていた。嬉しかったよね。首が座っていないうちから抱っこしたがってひやひやしたよ。
正反対の性格の弟 瑞己
恵多のことばかり書いていると、後々大きくなったときに瑞己に怒られそうなので、瑞己のことも書いておく。
もちろん愛情は平等だよ。
瑞己は今、2歳になった。恵多と違って瑞己は小さい頃からほとんど手がかからず育ってきている。
親を困らせることがないのだ。親としてはこれが逆に不安になる。
いつもニコニコしている。人に甘えるのが上手で、人懐っこい。お兄ちゃんのことももちろん大好きだ。奔放な兄に振り回されながらも、兄のマネをしながら大きくなっている。
唯一心配したのは、まだ1歳にならないうちに階段を一人で登ってしまって、10段くらい転げ落ちたこと。
この時も仕事中に妻から連絡が入って血の気が引いた、、、
幸い何事もなくて良かった。
小さい頃から物怖じせず何でもやってみようとする性格はお兄ちゃんとは正反対。
2人目ということもあって、僕らも随分気持ちに余裕があった。おおらかに育っているのは僕らの接し方の問題もあるのか?
いや、関係ないかな?
子どもは親を映す鏡
あるとすれば「期待のかけ方」だと思う。きっと僕らは恵多に過度に期待をかけていた。
日記の内容とは少しそれるが、この前妻から教えてもらった本の帯にこんなことが書いてあった。
僕らは無意識のうちに「親が望むような子」にしようとしていなかっただろうか。
「発達障害だから」と恵多が望まない要求を繰り返していなかっただろうか。
瑞己が生まれたことで、僕らの気持ちにも余裕ができ、最近の恵多は以前より変な癇癪を起こさなくなってきている。
いつだって「子どもは親を映す鏡」だ。
、、、、、、、
さて、話を本編に戻す。僕の転勤で家族は慣れ親しんだ佐賀を離れ、奈良に引っ越すことになった。
ここから僕らの人生は思いがけない方向に転がっていく。
(つづく)
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