小さな世界 #7 【川遊び】
今日は気温が上がって春の装い。寒い日の中で、ふと暖かい日があると嬉しくなる。
好きな季節です。花粉を除いては、、、
さて、また思い出された記憶があった。
小学生の頃のお話。
▶︎前回のものはこちら
川遊びの思い出
田舎で育った僕は、家の近くに川があった。コンクリートで固められたような用水路ではなく、当時はまだ岸壁が土の川だ。
今では住宅開発が進んでしまい、当時の面影は全くなくなってしまった。とても残念。
手付かずの自然を生活に密着した中で見つけることの方が難しくなってしまった。
暖かくなると嬉しくなるのは人だけじゃなく、川にも生き物が増えてくる。
小学生の頃の僕は川での魚とりに熱狂していた。
買ってもらった魚とり用の網とバケツを持って、いくつかの川に狙いを定めて出かけていく。
一番いい時期は田植えの時期だ。田んぼに水をはるので、川の水かさが一気に増し、それに合わせて魚も大量に入ってくる。
狙い目はそこまで大きくない川で、ちょうど網の大きさと川幅が同じような小さい川だった。
どうするかというと、網を川に突っ込んだまま全力でダッシュする。タイミングを見計って網を上げると、驚くほど生き物が網に入る。
常連はメダカ、フナ、タナゴ、ハヤ、ザリガニのあたり。小さいコイやナマズが入ることもあった。
奇跡的にタガメなんかが取れた日には一人でお祭り騒ぎだ!(多分この感動はなかなか伝わらない、、、)
取れた魚はバケツに入れて持って帰る。
水槽に入れてよく飼っていた。自分だけの水族館の完成だ。水槽の中を見ながら、魚の生態を観察しているのが好きだったな。
魚だけを入れておくと殺風景だから、川から水草をとってくる。
庭からいかにも川にありそうなちょうどいいサイズの石を探してきて、水槽の中に配置する。
なるべく川の中の生活環境に近づけるように工夫していた。こういうちょっとしたことで、水槽の中の雰囲気が全然違ってくる。
大人になった今でも、川があると上からのぞいて魚がいるかを確認してしまう癖がある。間違いなく小さい頃からの名残だ。(もし同じ癖がある人がいれば、本当に気持ちを分かち合いたい!)
川を上からのぞいて魚の影が見えると、なぜか無性に嬉しくなるのだ。「あぁ、この川の水は魚が住めるくらいキレイなんだな」と思ってホッとした気持ちになる。
今同じように魚とりをしても、当時と同じだけの熱量で熱狂できると思う。
川は自然と一体となったエンターテインメントだった。子ども心をくすぐり、夢中にさせる要素がつまっていた。
楽しかったな、、、
、、、、
ここからは雑感です。
今の環境では、我が子に僕が小さい頃に体験したものと同じような機会を与えることはほぼ難しい。
我が子と接していて感じるのだが、今の時代はスマホ一つで楽しいことをいくらでも与えることができる。
これだけ普及して、親である自分も使っている以上、触れない環境を作ることがもはや無理で、どう上手に使い方を教えていくかしかないように思う。別に使うこと自体は悪じゃない。
ただ「便利」になり過ぎている。便利なことを覚えると不便に戻れなくなる。「コツコツ頑張る」みたいな価値観が通じなくなるんじゃないかと思う。
その中で子育てを続けていくことに怖さすら感じる。これからは今の学校というシステムが続くのであれば、それだけでは子どもの教育をカバーできなくなるような気がしている、、、
親が責任を持って子どもに向き合うことを前提に、教育の在り方・社会としての仕組みを考えないといけない。
人間は自然の中に生き、社会の中で生かされている。
子どもたちと一緒に、同じ目線で何を見て、何を感じられるようにしていくのか、考え続ける日々です。
子どもの頃の思い出が、教育の話まで飛躍してしまいました、、、
また書きたいと思います。
(つづく)
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