我が子が発達障害と診断されたあの日から
僕たちには今、6歳になる息子がいる。
随分前に長男の成長を記録しておこうと思って日記を書いた。
次がなかなか書けなかった。うまくまとめて書こうと、考えれば考えるほどダメだった。
これから書く内容を残しておくこと自体どうなんだろう?
そんな思いが何度もよぎった。でも、事実だし別に後ろめたい話でもない。
元々このnoteは自分の日記として、今この瞬間の気持ちをなるべく鮮度高く残しておきたいと思って始めた。どんなに大事な記憶も次第に色褪せていく。
人間とはそういうものだ。
同じように子育てで悩んでいたりする人がいるかもしれない。
この日記を見つけてくださった誰かの役に立ったり、支えになることがあるならそれも悪くないかもしれないと思い、再びこれまでの数年を振り返って書き始めることにした。
一つの「物語」として、ありのままを書こうと思う。(一度の日記として残すには分量が多くなるので、何度かに分けることになる。)
間違いないことは、僕たちは唯一無二の長男を愛している。
そして可能性を信じている。
発達障害、、、なのか、、、?
忘れもしない。いまだに当時を振り返ると少し感情的になってしまう。
仕事中に妻から連絡が来て、家に帰ったら泣いていた。
元々感極まりやすい性格だが、この時ばかりは大粒の涙をこぼしていた。
当時の長男は、翌年からの幼稚園入園を控えて色々な幼稚園のサロンに行き、どこの幼稚園が合いそうか探している時期だった。
そんな中、ある幼稚園のサロンに行った時、幼稚園の先生から
「○○くんは、普通の子と違うみたいだから病院で検査をしてもらったほうがいいと思います。」
と、突然言われたらしい。
「言い方ってもんがあるだろ、、、」
当時は結構腹が立ったな。
何度か通う中で、周りの子となじめなかったり、指示が通りにくく、少し扱いにくい子だったのだろう。
なんだか遠い世界に急に放り出されたような感覚だった。
「発達障害」
知識としては持っているが、現実のものとしてはあまりにも響きが重い言葉だ。
「障害」という言葉の響きがどうしてもネガティブなイメージを想起させる。
子どもの発育を考える上での「多様性」の一つと捉えているし、偏見といった類いの感情はまったくない。
ただ、あまりにも突然だったので感情が追いつかなかった。
そこからというもの、楽観的な僕に対して妻はとにかく悩んだ。
笑顔が少ないこと、機嫌が悪くなると噛んだりしてくること、気持ちの切り替えがうまくできず大泣きすること、初めて取り組むことに極端に臆病なこと。
一見幼児期によく見られそうな事柄が、すべて「発達障害があるからじゃないか」ということに引っ張られてしまう。
「私の育て方、接し方が悪かったんだ」と自分を責めたりもしていた。
決してそんなことはないのに。
むしろたくさん愛情を注いで育てていたよ。
一つ言えるのは、「得意」なことと「苦手」なことがはっきりしていたのだ。「苦手」が目立つと心配になってしまう。
我が子を通して親とはそういう生き物なのだと知った。
間もなく3歳を迎える頃、病院で診断を受けた。
「広汎性発達障害」
そこから長男が中心の生活が始まった。家族の話題にはいつも恵多がいる。
そう、長男は恵多(けいた)という名前だ。「恵み」が「多い」で恵多。
僕らは「人に優しく、たくさんの幸せを与えられる人になってほしい」と願いを込めた。
(つづく)
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