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0109「財力」



 その町には海があった。
 海、と言っても、水たまりのようなささやかなものだ。すくなくとも、ぼくはそう思っている。駅前の、さびれたロータリーを抜けて丁字路を右に曲がり、きしめんのような上り坂をしばらくあがると道の途中に車よけのふくらみがあって、そこから町を前景として海があらわれる。水平線をたたえたなめらかで広大なはずの海の模様を、ぼくは水たまりと重ねる。重ねてしまう。
 町でいちばん、というより、唯一栄えている魚屋の真向かいにぼくの家はあって、魚屋というのは魚を見つめる頻度と店先から目の前の道を眺める頻度がとんとんな商売だから、しぜん、ぼくと毎日のように顔を合わせることになる。ぼくはそれがちょっといやだった。
 トロ箱の中で光をためこんだアジやらタイやらを三毛やらブチやら野良の猫ががっぷり咥えてさらっていく。あっ、というセキさんの声。ぼくは猫になりたい。なりたいなあと思った。さらって、逃げて、喰らいつく。与えられたくなかった。与えられる立場にいる自分のことがきらいだった。
 ぼくの家にはベランダが無い。昔ながらの二階家で、ぼくの部屋は階段を上がってすぐ右手の引き戸を開けた先にある六畳の和室だ。だいたい南西の方角に窓があって、夜、磨りガラスの窓を開けていると、ときおり飛行機なのか自衛隊の戦闘機なのか、点々と光りながら一直線に飛ぶ何物かを見ることができる。音はほとんど聴こえない。それは音もなく、まっすぐ、流れ星よりは遅いスピードで、ぼくの視界を、窓から見える夜空を、横切っていく。
 その町には本屋があった。その町の四方八方、隣町には本屋がなくて、だからぼくはその町に本屋があることがすこし誇らしい。とはいえ、本なんて教科書以外滅多に開かない。手にも取らない。流行りの漫画を親にねだったりもしない。まだるっこしいのだ。本の中の物語に身をあずけるには、その本を開かないといけない。字を、画を、追わないといけない。その場にじっと留まって、ただただその身を捧げないといけない。それが、どうしてもできなかった。ぼくは本に自分を与えることができなかった。じっとすることは得意だったけど、じっとすることと、本の中の世界にじっと身を預けることのあいだには、擦り合せようのない溝があった。ぼくは絵を描くことも嫌いだった。苦手だったし、嫌いだった。
 本屋は、水たまりみたいな海が見える、あの車よけへと続く道とは反対方向にあった。丁字路を左に曲がり、しばらく歩くとぶつかる十字路の一角に、その本屋はあった。でもぼくは、本屋には行かない。行かないくせに誇らしかった。その本屋の隣にある三菱洋品店に、ぼくはいつもいた。
「っすう」
 ぼくがお店の重たい扉を押し開ける。エボシさんはきまって、うっす、と、おっす、が混じっているような、なんとなく覇気のない、おおきめの吐息みたいな声でぼくを出迎える。エボシさんは三菱洋品店の店主で、歳はたぶん、ぼくの親と同じか、すこし若いくらい。エボシさんは大学を出ていない。高校も出ていない。中学も、あやしい。ずっとこの町に、というかこの店に、というかこの家に、籠もっていたらしい。なにがきっかけだったのか、二十代も半ばを過ぎたころ、軒先で景気よくキセルをくゆらせていたエボシさんのお父さんが、灰を捨て、お店の中に入ったとき、エボシさんはレジ前に座っていて、それからなんとなく、お父さんの代から続いている洋品店の二代目店主候補として、お店に立つこととなった。
 エボシさんが、っすう、と言うとき、エボシさんはだいたいコーヒーを挽いているか、淹れているか、飲んでいる。というか、エボシさんは店番の時間のだいたいを、コーヒーを挽くか、淹れるか、飲むかに費やしている。洋品店の書き入れ時は三月。近隣に点在する中学やら高校やらの学生服の注文が舞い込んでくる時期で、書き入れ時といってもたかが知れている。それ以外の季節に洋品店に用がある人間は、この町に数人程度。裁縫趣味のおばあちゃんたち、エボシさんのお父さんの昔なじみの地元連中と、あとはぼく。ボタンも、糸も、布も、洋服も、メルカリで売ったほうがずっといいよ。と、エボシさんは語っている。口には出さないけれど、マグカップにゆっくりと口をつけるエボシさんの姿で、ぼくはエボシさんの言いたいことがだいたいわかる。語っているのがわかる。
 三菱洋品店の軒先にはいつも小さなワゴンが一台置かれていて、その上にはダンボールいっぱいに詰まったボタンが置いてある。ダンボールには「ボタン一個十円」と太いマッキーの黒で書かれていて、これはおそらくエボシさんのお父さんが書いたもの。ぼくはその中からひとつ、ボタンをてきとうに選んで店内に入る。ぼくのお小遣いは一ヶ月五百円だから、ボタンを毎日一個買っても大丈夫。ぼくにとってそのボタンは、この店への入場料みたいなものだった。エボシさんはなにも言わずにお会計を済ませてくれる。
 お会計を済ませたら、レジから右に進む。店内の、糸やら針やら布やら肌着やらが立ち並ぶ棚をずんずん進み、一番奥、お店の入り口からだいたい対角線上、そこにぼくは用がある。
 まふ。
 もういつからそこにあるのか。ぼくの親が子供のころからそこにあったのではないか、といった風格の、毛羽立った、茶色い、大きなくまのぬいぐるみ。マフ。ぼくはぬいぐるみに、マフという名前をつけていた。心の中で呼びかけて、ぼくはマフに抱きつく。マフはぼくの背丈よりすこしおおきい。ぼくがマフに抱きつくと、骨も筋肉もないマフの身体はその衝撃に素直に反応する。腕がぼくの肩甲骨に当たる。マフに抱きしめられている。ぼくはふかくふかく息を吸う。けむたい。これはきっと、エボシさんのお父さんのキセルのにおい。
 早朝、魚屋が港で魚を物色しているころ、ぼくは家を出る。春、夏、秋、冬。時間はだいたいおんなじなのに、季節が違うだけで、太陽の様子が違うのが、人間みたいでおかしい。冬はさむくて、太陽も布団でもうちょっと眠っていたいのか。家とも学校とも反対方向の、あのきしめん坂を上って、海を見て、引き返して、マフを抱きしめにいく。ぼくの朝がはじまる。いちにちのはじまり。
 学校で、ぼくはうまくやっているほうだ。
 きしめん坂を降り、そのまま駅のほうへ、町中のほうへ。どの角にも入らず、ときおり海の方向へ大きく曲がっていくのをひたすら道なりに進むと、やがて学校にたどり着く。
「すう〜」
 道の途中で、校門で。下駄箱で、階段で。廊下で、教室で。ぼくはクラスメイトの挨拶を受ける。たぶん文字にしてしまえば、エボシさんの声と大差ない。けれど、あきらかに違う。声色も覇気も意味だってきっと違う。今日は教室に入るまで、誰とも会わなかった。この町で、ぼくくらいの年齢の人間はあまりいない。ぼくはさみしくなかった。ふしぎなきぶん。比べられる他人がすくないぶん、気楽だけど窮屈でもあった。比較されないぶん周囲の人間からの期待値や注目度は高くて。期待値も注目度もぼくは言葉としては知っていて、前者はポケモン後者はネットニュースで学んだ。でも、それらの言葉が自分に降りかかり、景色のなかでゆれ動く意味の中で、自分がつねになにごとかの当事者であることにはまだ気がついていない。
 ぼくはまだ気がついていない。
「んぅわ!」
 ぼくの耳元で、音が炸裂する。全身が心臓になって、反射的に身をよじりながらぼくは気がつく。尾けられていた。廊下で?階段で?下駄箱で?
「すう〜」
「やめぇ」
「駅になにがあるん」
「カミキリ。やめぇ」
「校門のシイノキにおったからさ」
「手。おろして。逃して」
「知ってるで」
「え」
「ボタンばっか買ってなにするんや」
「座ろ」
「うん。あ、ちょおこっち向いて」
 めぇとじて。なんもせんから。キクイケの言葉にぼくは従う。なにかがそっと目元に近づいてくる気配があって、今度は眉間が心臓になるけれど、キクイケの動かんといてになんとか従う。気配が離れていくのを感じ、はいよし、とすぐに言われて目をあける。キクイケが指でなにかをつまんでいる。大きな糸屑だ。おそらくマフの。カミキリムシはキクイケの身体が気に入ったのか、二の腕のやわらかな肉にしがみついてじっとしている。ありがと、と言って、ぼくは席に座る。そのとなりにキクイケも座る。カミキリムシが飛び立ち、キクイケの机に着地する。キクイケはにこにこしている。
 キクイケはぼくよりひとつ上の、センパイだ。センパイだけど同じ教室で、ふたりで授業を受ける。ぼくの通う学校は、もともと四校あったこの町の学校が統廃合を繰り返してできた、最後の一校だった。校章は、かつてここに四つの学校があったことを忘れないように、四葉のクローバーを模ったもの。皮肉だー、と覚えたての語彙でぼくは思う。この学校のこの町のこの姿が、幸せなわけなかった。不運の四葉のクローバー。ぼくは本物のクローバーを見たことがない。あるのかもしれない。見ないようにしているだけなのかもしれなかった。
 ぼくとキクイケのほかに、教える立場の大人以外で学校に通っている人間は、下の学年にひとり、上の学年に五人いる。一二年生、三四年生、五六年生で教室はくくられ、ときおり一二三四、三四五六で同じ部屋に集められて授業を受けることもあった。ぼくにとってただひとりのコウハイが、支給されたタブレットで絵を描いたり、かんたんな足し算を解いているのを、ちらっちらっと横目で見て、自分は自分で掛け算を覚えていく。あどけない身体でタブレットを握りしめるコウハイの姿と年老いた人間の姿がぼくの中で重なるけど、しちゃいけない想像のような気もして、イメージを振り払うようにぐるり首を回してキクイケの方を向く。キクイケは国語の教科書をちいさな声で音読している。ごんぎつね。「おれと同じひとりぼっちの兵十か」
 すべての学年がひとつの教室に集まり、給食の時間がはじまる。麦飯、サバのトマト煮、蒸されたブロッコリーとにんじん、牛乳。学校の裏手で畑を耕しているゴトウさんが、スイカをお裾分けしてくれました。とウツノミヤ先生がぼくらに向かって言う。先生は教卓の前に立っていて、その横に汗と泥でまみれたゴトウさんも立っている。ぼくたちはせーので感謝を伝える。ありがとうございますっ。ゴトウさんはにこにこしている。キクイケのにこにこと、ゴトウさんのにこにこも、同じにこにこ。同じにこにこなのに、キクイケのにこにこに感じるようなものをゴトウさんに感じないのはなぜなのだろう。そのときその瞬間に思うわけではなくて、たとえば朝、きしめん坂の車よけで海を眺めているときなんかに、意識の隅をかすめる。それは水たまりの波紋のように、隅からはじまってまんべんなく意識の水面を揺らしていく。エボシさんのにこにこを、ぼくは見たことがない。笑った顔を見たことはあるけれど、にこにこって感じではない。エボシさんのお父さんは、あるのだろうか。ゴトウさんはぼくたちのありがとうございますっに、
「あぁい。どもども」
 とうれしそうに片手を上げたり頭を深く下げたりする。それからいただきますの唱和があって、ぼくたちはごはんを食べる。ゴトウさんはその光景をしばらく眺めてから、じゃ、わたしは、と言いながら今度は先生へ向けて片手を上げ、頭をちいさくへこへこさせながら教室を出ていく。ゴトウさんも、この町のどこかで、これからご飯を食べる。
 一ヶ月に一回くらいの間隔で、午後の授業ではゴトウさんとゴトウさんのお母さんと一緒にゴトウさんの畑にお邪魔したり校庭の花壇のお世話をしたりする。「総合」や「生活」と時間割表に割り当てられた、生活は言葉としてはわかるけれど総合は音としてのそーごーで、なにがどうなると総合と呼ばれるものなのかぼくもわからないしコウハイやキクイケもきっと知らないし、お互い尋ねもしない。そういう時間のたまにある特別な季節、種付けとか土を混ぜて濃く柔らかくするとか芽吹くもの咲いたものたちのスケッチとか収穫とか、そういうタイミングにちょうどある時間割の「総合」とか「生活」が、ゴトウさんとゴトウさんのお母さんが、監督みたいになってぼくたちの背後に付く。ゴトウさんの両手は掘り立ての野菜みたいに肉が張っていて溝が深く、身体というよりお金があれば買える商品みたいだったから、ぼくはゴトウさんのこと、どこか人間と思っていない、思えないところがあって。もっと言うと、人間というより畑や学校にくっついている物事それ自体のように思っていて。だからぼくはゴトウさんには気持ちや心というものがないのかもしれないと思っていたし、逆に言うと、ゴトウさんに気持ちや心があるのなら、魚屋で光る魚、八百屋でじっとしているナスやじゃがいも、貝殻や、校庭に半分埋められたぼくたちが跳びこえていくためだけにあるタイヤ、雲や雨、そしてマフにも心や気持ちがあるのかもしれないとも思っていた。というより、マフの心や気持ちの存在をぼくは信じていたし疑ってもいたから、マフを中心とするぼくの気持ち、心が、ゴトウさんの気持ちや心の有無を信じさせたり疑わせたりしていた。そして、おじいちゃんにしか見えないゴトウさんにもお母さんがいて、そのお母さんがまだ生きていて、ずっとそばにいる、そういう光景も、ぼくをひそやかに混乱させていた。ゴトウさんのお母さんとゴトウさんの身体のかたちは瓜二つで、どちらの年齢が上で下で、という実感も湧かなかったから、ぼくはいまよりちいさいころ、ふたりのことを夫婦だと思っていたし、最近までは兄妹だと思っていた。キクイケはキクイケで、すこし前までは腐れ縁の友達同士と思っていたらしい。
「ずっと一緒におったら、しぜん似てくるやろ」
 そういうもんか、とぼくは思った。ゴトウさんのお母さんがゴトウさんのお母さんと知ったあとも、キクイケのその言葉に対するそういうもんかという気持ちは変わらない。
 放課後はだいたい、家に帰らず、そのまま塾へ向かう。朝歩いた通学路をそのまま引き返し、家を通り過ぎて駅まで向かう。電車は一時間に一本しかないから家を経由すると時間が中途半端に流れてしまい、何度か面倒くさい思いをしたからいつしか家を素通りして駅へ行くようになった。車で送るのに、とお母さんは言うけれど、駅や電車の定めた時刻に従い続ける経験も塾での勉強とつながっているというようなことを足りない語彙で言い募って納得させた。でもほんとうは、このままひとりでどこへでも行けるんだな、というワルな気分を満喫したいだけ。学校を出て最初の十字路で駅や家の方向へ曲がるとき、チラと反対方面に顔を向けて、三菱洋品店のほうを見る。運が良ければ、セキさんやウツノミヤ先生と同じくらいの歳のようにもゴトウさんのお母さんくらいの歳のようにも見える、その印象が季節や時間帯や日によってまるきり変わる、万華鏡と内心勝手に呼んでいる本屋の店主とエボシさんが軒先でなにやら話している光景を目撃することができる。そういうとき万華鏡は大抵こちらに背を向けていてエボシさんはぼくが曲がる十字路の方向に顔を向けているから、エボシさんだけがぼくの姿を認めて万華鏡と話しながら手を挙げるわけでもなくそこに漂う空気に遊ばれているようにダラリと腕をぶら下げたままひらひらと手を振ってくれる。ぼくはぼくで、ん!というような感じで瞬間、エボシさんに向かってピッと胸を張り、それまでより機敏に駅まで歩いていく。エボシさんの反応が気になって、一度だけそうしてからすぐに振り向いたことがあったけど、エボシさんは万華鏡の話に相槌を打つようにしながら俯いてほほえんでいるのがなぜだかカメラのズームのようにはっきり目に映ったから嬉しいけれど恥ずかしくて、ん!のあとはもう振り向かないというルールにした。
 ワンマン二両編成の電車に乗りこんで、一駅で降りる。「ワンマン」という言葉も「総合」のようで、状況から意味を想像することはできても言葉それ自体がなんなのかをあまり理解していない。駅から駅への距離が長いからたとえ一駅であっても歩いて行くのは難しいしぼくはこの歳になっても補助輪無しで自転車に乗れたことがなくてそれがなによりも恥ずかしい。勾配とカーブのはげしい路線を電車は加速と減速をこまめに繰り返し進む。季節によってはすでに空が夜に備えて光度を落としはじめている様子で、まだ夕方にもなっていないからそれは微かな違いなのだけど、朝とは明らかに違う終わりの気配。加速。減速。そのたび身体の重心もこまめに変えながら、ぼくはがらがらの座席に座らずに窓にへばりつく。こういう電車以外の電車をワンマンではなくなんと呼ぶのかを知らない。
 ぼくの住む町にはない商店街があり、ない匂いがあり、ない喧騒があり、ない灯りがあり、ない声がある一駅先の町。塾に向かうためこの町にひとりで来るたび、どうしてこの町にはない本屋がぼくの住む町にはあるのだろうと不思議に思う。なにに由来されてかわからない煉瓦造りのちんまりした駅舎を出て、商店街を抜けた先の信号を渡ってすぐのところにある、東家にトタンを貼っつけたような寂れた建物がぼくの通う塾で「明愛塾めいあいじゅく」という名前だ。建て付けだけは良い引き戸をガラガラ開けると五列ほど置かれた細長い机ひとつにつき横並びで二三人、銘々になにかしらのドリルや塾長お手製のプリントを一心に解いている。建物の面積に見合っていないよく通る声で塾長が「来たか!まあ座れよ!」と言う。女の人が今日ぼくがここでなにをやりたいのかを聞いてくる。
「今日は地図記号を覚えたい気分」
「昨日もそうやってずっとやってたろ!駄目だ!」女の人に言ったのに机を通り越して塾長が笑いながら口を出してくる。
 明愛塾にはいつも塾長と女の人がいる。大人はそれだけ。塾長はたぶんエボシさんよりずっと歳上だけど、ゴトウさんよりは若いかもしれない。塾長と女の人の関係性も、ぼくはよく知らない。ぼくの前で名前を呼び合ったこともなくて、女の人は塾長を「塾長」と呼ぶし塾長は女の人を「おい」とか「ちょっと」とか「あのさあ」とか「ねえねえ」とか呼んだから女の人と認識するしかなかった。名前を訊くという発想はなかった。結局ぼくはすこし背伸びした算数問題のプリントを真剣に解く。解く。解き続ける。解き続け、女の人や塾長を都度都度呼んで採点してもらい、よくわからないところは自分なりの理解を説明してから詳しく訊いてみる。一日に二度ほど、女の人があらゆる飴玉の入っている大きな丸い缶の容器を持ってきて、塾にいるぼくたち子供にすきな飴玉を取らせる。ぼくは薄緑色のメロン味の大きな飴玉がすきでよくそれを取るのだけど、あんまりそればかり取っているとたまに塾長がめざとく発見して「メロンなくなっちゃうだろ!たまには黒飴だ黒飴。黒飴だってうまいんだ」と言ってメロンと黒飴をむんずと交換してくる。塾というより大人も子供もひとしく厚かましい寄り合い所のような空気でいつも夜までそこで生きる。
 塾から帰るときは隅のほうに置いてある固定電話で親に電話して「いまから帰ります」もしくは「もうすぐ帰ろうと思うからそろそろ迎えに来て」などと報告する。ぼくは帰りは電車ではなくお母さんが塾まで車で迎えに来るから「迎えに来て」と電話して車に乗る。「ごめんもうちょっとプリントやりたいから遅くなりそう」という電話をする子もいて、キクイケはよく遅くまで居残って塾長のプリントを嬉しそうに解いていた。ぼくはキクイケに誘われてこの塾に入った。キクイケはいまはいない。あんなに嬉しそうだったキクイケがどうして明愛塾を辞めたのかをぼくは知らない。考えたところでわからないからぼくはプリントを解く。キクイケの代わりに、みたいな気持ちは微塵も湧かずそれでも嬉しく解いていく。「お母さん来たぞ!」塾長の声が耳に刺さってハッと顔をあげる。そのとき解いていたプリントにつけられた花マルをぼくはお母さんの運転する車の助手席でぼーっと見ている。
 猫になったらマフに食べられてしまうのかな。夜、自分の部屋の布団のなか、眠るとき、ぼくは考える。食べられてしまうのかな。一旦、言葉として考えて、それからすぐに浮かぶ光景。森の中、大木の根元で座り込むマフのボテッとした両足の間で、つつまれ身を丸くして眠る猫としての自分の姿。猫として自分の姿を想像するとき、毛並みは決まって茶白のバイカラーだった。むかし、ぼくがいまよりもっと幼かったころ、まだぼくは三菱洋品店のマフに出会っておらず、キクイケといまほど仲が良くなかったころ、駅舎の脇のいつも日陰になっていて不思議な形の草がまだらに伸びていたあたりで、ちいさく丸まった子猫を見かけた。どうしてそのときひとりで駅前にいて、どうしてそんな場所を覗いたのかまったく覚えていないし、覚えていたとして大した意味も理由もないけれど子猫はそこで丸まっていて、弱っているようには見えなかったけどぼくは猫に詳しくない。子猫にはもっと詳しくない。触るのも憚られてその場を立ち去り、その日の夕方にはお母さんに子猫のことを話し、飼いたい、と言ったはずだけどそんなに幼いころからぼくは「飼う」という言葉を知っていて、「総合」や「ワンマン」や「塾長」以上にその言葉の意味を知って使っていてぼくはそのころのことを思い出すと自分じゃないみたいだなと思う。それからその子猫がどうなったのかを覚えていない。でも飼ってはいない。お母さんはなにかお金のこと、お世話のこと、家のことをぼくに訥々と説明してきたような微かな記憶というよりそうなんじゃないかという予感に近いものが身体に残っていて、その予感を確かめることと夢を見て見た瞬間から忘れていくくすぐったさはとても似ているから、いま夢を見ているぼくはゴトウさんの商品みたいな両手、セキさんが追いかける猫が咥えている豆アジ、ウツノミヤ先生の後ろにまとめられて揺れる髪、塾長が飴を舐めている、加速と減速繰り返す、万華鏡、しぜん似てくるやろ、お前もマフもなにもかも、その町には海がないのだから、嫌い、きらいきらいきらい、与えてください、教えてください、思い出すみたいに思い直す、マフ、ぼくに財力があれば、ぼくはあの子猫を飼えたしマフを買えた。

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