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0131「迷彩」
†
夜が明けて、全員が起き出してから、僕たちは橋の下で改めて地図を広げた。
「そのスペースコーヒーって場所は、結局、どこにあるんだ?」ぽビュー5が全員を見渡すように言った。
「メイジュー、あのトラックの運転手はなんて言ってた?」カンパナが僕を見る。
「ごめん。僕も、詳しい場所までは」トラックの助手席に座っていたのは僕とモロー・スペース。あとのみんなは荷台の中にいた。「……もしかしたらなにか言っていたのかもしれない。聞き逃してしまったかも」
「ほんとうに行くのか?」と田中〜愛〜田中。「というか、行ってどうするんだ?」
「たしかにね」くくぅくは腕を組んで首を鳴らす。「ま、それに、そもそもから始めたほうがいいよ」
歌詞宮10葵があくびをこらえている。
「そもそもって?」とカンパナ。
「ノシたちがこれからどうしたいのかってことだよね」歌詞宮10葵が伸びをしながら言った。10葵はノシという独自の一人称を使う。「でもそれってすごく、広いよ。そもそもが多すぎる」
「そもそも私たちは、施設から逃げてどうするつもりだったのか。ただ逃げたかったのだとしても、これからどうするのか。そもそも……そもそも、私たちは……、どうかな、ほんとうに生きたいって思っているのかな。あるいは、ここで生きたいと思っているのか、もっと別の場所へ行ってみたいと思っているのか」ぽビュー5は10葵やカンパナの顔を見ながら言う。
「ここで……ここでっていうのは、ここ、旧京都自治領でってことだけど。ここで生きていくとして、どうしていくべきなのか。どうしたいのか」田中〜愛〜田中が言葉を継ぐ。「ワレたちも、当たり前だけど、人間だし、動物だ。生きてる。食って寝て、排泄しないと。そしてそういう場所を見つけるか、作るか、していかないと」
「僕は死にたくない」僕は地図を見下ろしたまま呟いた。「僕は……死にたくないと、昨晩、思った。みんなもそうだと嬉しい。というか」どこかで小鳥が鳴いている。川の中で何かが跳ねる音。「みんなもそうなんじゃないか?」
「××××××××」僕におんぶされているモロー・スペースのちいさな手が、僕の背中をさすってくれている。
「そうだね、すくなくともあたしは、そうだな」とくくぅく。
「私も、うん」とぽビュー5。
「そもそも、キスマークでお互い、なんとなく同期されているしな」と10葵。
「まあ訊くまでもないな」と田中〜愛〜田中。
「それで」と僕。「スペースコーヒーを目指すっていっても、そこがゴールになる必要はないと思うんだ。うーんゴールっていうか、うまく言えないんだけど……。僕たちはずっと、施設にいたから。たぶん、いろんなことを知らない。人との繋がりもないし、頼れる人だっていない。だから……とりあえず、目的地があるっていうのは、ひとつ、生き永らえるための手綱みたいになってくれるかもしれない」
「ふむ……?」とカンパナ。「どういうことだ?」
「ごめん、僕も、思いつき思いつき話しているんだけど」僕は地図から顔を上げる。10葵とくくぅくが僕を見ている。「コーヒーっていうのは、僕は実物を見たことがないけれど、飲料でしょ。トラックの運転手のおばあちゃんがやっていたっていう、その、スペースコーヒーっていうお店は、だから、そのコーヒーを提供する場所ってことなんだろう。飲料を提供するお店なんだから、もしかしたら飲料以外の、たとえば食料、食料があるんだとしたらそれを保管するもの、そしてお金、もしくはお金の代わりになりそうなものがあるかもしれない。寝床だってあるかも。あと、これはもしかしたら案外大切なことなのかもしれないっていま思ったけど、スペースコーヒーってお店を探す、っていう目的があると、話題として、人に訊いたり話したりできる」
「なるほどな」とぽビュー5。「私たちはなにもかも知らなすぎる。この国の人間と会話を成立させるための話題はストックしておいて損はない」
「そういうこと。これはクエストだ」と僕。「それに、スペースコーヒーを探したり、辿り着いたりする途中で、いまの僕たちが想像もしていなかったような出来事や、人間同士の繋がりに巻き込まれていくかもしれない。そうして僕たちはいつの間にか、この場所で生きていけるようになっているかもしれない」
「決まりだな」10葵はぽビュー5の脇腹を小突く。「そうと決まれば、ぽビュー5」
「ええー私かあ……まあ私だよな。このなかじゃ一番目立たない肌の色してるし」
そう言うと、ぽビュー5はおもむろに服を脱ぎ始める。
†
施設のなかで、キスマークとコモン・マザーによって身体情報や感情の起伏がゆるやかに同期されていた僕たちは、施設の外、コモン・マザーの接続圏外に出たことによって同期自体は解除されていたが、物心つく前から同期されていた僕たちだったから、いわゆる幻肢痛のように、あるいは共感覚や強い共鳴のようにして、それぞれの身体の状態や感情が自分のことのようにわかる、感じる瞬間が多々あった。誰かに見つかったときの危険性を考えると、全員一度に、あるいは複数人で川に入り、身体を洗うことはなるべく避けたい。幸い僕たちはその後遺症のような状態がまだ持続しているから、僕たちのうちのひとりが身体を洗えば、なんとなく自分たちもさっぱりしたような心地になれた。
「ひーつめた。ああーでも気持ちいー」
素っ裸になったぽビュー5が、川の浅いところで髪を洗っている。
ぽビュー5は僕たちの中で一番この風景に溶け込める色味の肌をもっていて、僕たちを代表して身体を洗うのにうってつけだった。ぽビュー5の肌はさまざまな濃淡の灰色やクリーム色が水の飛沫やアメーバのようなデタラメさで全身に散らばって配色されていて、素肌が川辺の砂利や石に紛れて迷彩服の役割を果たしていた。
「さあ、じゃあまずはどこへ向かおうか」10葵が歯をガチガチ震わせている。ぽビュー5の浴びる水の冷たさを感じているのだろう。
「とりあえず、食えるものを確保したいな」田中〜愛〜田中は笑っている。それは誰の、どの感情を受け取っているのだろう。
「そうだね、だから」僕も僕で、さっぱりした気持ちになってきている。僕はモロー・スペースを背負い直して、振り向いてみる。
「×××」
「うん。そうしよう」と僕。「これから川沿いを下って、鴨川のデルタ地帯まで行く」