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0000「.m4v」
「まずは、私たちのことを説明しないとね」
「最初にミツモト。三本誠司。こいつは文芸表現学科にいた。どんな賞にも応募できなさそうな、潰しのきかない極々短い小説ばかりを書いている。親は言わずと知れたお笑い界の権威中の権威、三本興業の親族で、要するにクソみたいなボンボンというわけ。あんまりにも親にカネがあるもんだから、ハングリーさを胎盤に置いてきてしまった。でも自分の生きてきた、生きている、なんていうか軌跡、をアーカイブさせる、させるんだという気持ちだけは一丁前に強いもんだから、つまらない理由で創作を投げ出したりはしない。もっとも投げ出さないだけだから、そこに商業を添加することができるだけのしょっぱい艶っぽさが乗っかることはなかなかないのだけど。いいやつではある。たまに素朴すぎてきもちわるいけど、それをわざわざ指摘するのも野暮ってものなのかもしれない」
「空満。空車満車からクルマを取って、アキミチル。こいつは造形大の言わばお隣さん、精華大の人文学科。同じ大学の同学年の奴らからは山賊の末裔なんて呼ばれていたとかいないとか。その謗り、と本人が認識していたのかは知らないが、通りたしかに骨太な体躯ではあって、けれど、とはいえ、日本の平均的女性の域を出ないってところなんじゃないかな。知らんけど。キャンパス内の端の端、ほとんど山か林みたいな場所にどこかからドラム缶を持ってきて、気分のくさくさした日にはそこで許可なく五右衛門風呂を炊いて湯浴みしていたそうだ。アキはうちらのなかではいちばんの食道楽。大学を卒業してからはコーヒーショップを構えて、ミツモトの同期をその2階に住まわせてアキなりに気忙しく働いているみたいだ」
「次は〜、イモリにしようか。森永一汰。イモリは当時佛教大学の学生で、プロレスサークルに入っていた。どう考えてもうちらとは接点の持ちようのない、千本通だとか円町だとか、そっちの、西陣なんて言われるか言われないかのほうに住んでいた。サークル活動中に負った怪我で軽微なイップスになっちゃって、プロレスサークルをしばらく休んでいるあいだにうちらに出会って、そのままサークルを辞めてこっちに出入りするようになった。卒業してからはアダムと一緒に住んでるね。アダムのことはあとで話すよ。イモリは、アダムと暮らし始めてからは、ときおり御霊神社のあたりまで行って、夜な夜なそこでひとり身体をゆらゆら這わせているっていうんだから、いつか怪異として誰かの語り草にでもなってしまうんじゃないかって、ひそかに、すこし楽しみにしていたりもする」
「へーこととーこはセットで説明しようかな。渡辺平子と坂東統子。ふたりは空デ出身で……ああ空デっていうのは空間デザイン学科の略ね。ジュエリーとか、ファッションとか、あとは……空間。そんなものたちをデザインするための学科。空間ってなんだよって訊かれても私は知らない。建築とは違うよ。そっちは環デ。環境デザイン学科ってもんが別にある。ああ、だから空デっていうのはそうだね、言わば環デが形造った建造物のナカ、そこを行き交う人や、その人々が身につけるもの、置かれるもの、そんなあれこれをデザインする学科ということなのかもしれない。ふたりのことじゃなくて学科の説明になっちゃった。ふたりは、容姿も性格も似てないんだけど背丈や体型はほぼ同じで、だからってわけでもないけど姉妹じゃないのに姉妹みたいで、いつも一緒にいた。統子はゲーマーで。ゲーマーって言っても既存のゲームをプレイするよりお手製のゲームをみんなに開陳したり、道具要らずでできるゲームをみんなで作ろうとしたり、そっちのほうに興味があった。平子の役割は言わば、そんな統子の振る舞いをみんなに広めるささやかなオーガナイザーみたいな感じ、……だったのかな。まあでもそんな感じで、どちらかと言えば統子は口数少ないほう。平子は口数多いほう。うーん。ふたりまとめてってなるとどうにも普段にも増してざっくりしちゃうね。ごめんふたりとも」
「嵯峨見奈美。サガミが苗字でナミが名前ね念のため。サガミは工繊。工業繊維大学の、工芸科学部建築学課程にいた。これもまたうちらと接点なさそうなもんだけど、私が木屋町の、柄が悪いってもんじゃない、倫理観終わってるテキーラバーのカウンターでアホみたいにモヒートとテキーラを流し込んでいたらいつの間にか隣に座っていて、記憶が定着しないままに意気投合して、いや、というより私が泥酔時に特有のびちゃっとした馴れ馴れしさで連絡先が交換、サガミはプライバシーの一部を私に簒奪され、なんじゃかんじゃでたまに会う仲になって、そのままうちらとつるむようになったというわけ。倫理観終わってるテキーラバーに感謝。サガミはいま東京にいて、建築事務所でしっかり働いてる。たぶん、うちらのなかではいちばん給料もらってるんじゃないかな」
「カジサヤのことは実はちゃんと知らないんだよね私。梶沙耶。情デ……情報デザインのことね、の、先端デザインコースっていう、空間デザインって名前くらいパッと見わけのわからないところにいた。いまは……なにやってるんだろうな。いや、知ってはいるんだよ。ただ職業として見たときにつまりなんなのかっていうのを私はよく理解していないな。編集者とデザイナーの中間っていうのが近いのかな。とにかくそんな感じで、基本は東京にいるけどあちこちバタバタ移動し続けてる。カジサヤっぽいなとカジサヤのこと深く知りもしないくせにそう思う。とーこの葬式以来会ってないな。それを言うならほとんどの人に対してそうなんだけどね。ちなみにうちらのなかではいちばん背が低くて、高校時代は陸上部だったらしい」
「ヨシノはみんなのまとめ役、というか、一応リーダーみたいな立ち位置だったんだけど別に特別みんなを統率してたかって言われるとそんなふうでもない。上下の上の川に徳川慶喜の慶喜と書いてカミカワヨシノ。情デの映像メディアコースにいたけど映像作品をつくっている印象は最初から最後までなかった。それよりもむしろ見ること、視覚そのもの、そこから想起されうる記憶のこと、そんなあれこれについてよく考えていたように思う。だからなのか身体表現を用いた習作が多かったかな。カメラでもスクリーンでもなく、自分の身体をカメラに、そのカメラが読み取る世界全体をスクリーンに、みたいな感じ。ある意味でアダムとは対極的だったのかもね。こいつはいったいいまどこにいるのやら」
「アダム・ボンヤスキーはインドネシアの小さな集落で生まれ育った。成人するまでそこにいて、割礼も経験してる。黒糖みたいな肌をしていて、ちゃんと食べてんのか?って会うたび心配になるくらい痩せているけど不思議と健康そうな印象を与えるようなやつで、それは肌の色とは関係なくアダムの他人に対する態度、所作がそうさせるところが大きいんだろうね。映画学科の監督コースにいた。いつもデジイチを持っていて、まばたきみたいにシャッターを切るし、思い出すみたいに録画ボタンを押してる。両親はテンペの輸入販売を生業にしていて。って、テンペってご存知?インドネシアの大豆発酵食品で、テンペ菌という菌で大豆を発酵させるから、テンペ。いわば納豆みたいなもんで、見た目も羊羹状、スティックタイプになった納豆みたいな感じなんだけど、納豆よりはクセがない。豆腐と納豆の中間みたいな感じかな。アダムのそばにいたおかげで私たちはずいぶんとテンペに対する造詣が深いわけだけど、実際日本食なんかとも相性の良い食材だと私は思う。アキもたぶん同意してくれる。素揚げにしても美味しいし。味噌汁に入れても美味しいし、春巻きやサラダの具にしても美味しい。いやまあテンペの話はいいんだ。いやでもテンペによって得た収入でアダムは大学に入れたようなもんだから、どうでもよくないか。さっき言ったとおりアダムはいまイモリと一緒に暮らしていて、アダムだけは学生時代からずっと同じ家で暮らしているっていうのはなんだか不思議な感じだ。いちばんどこかへ行ってしまいそうだったやつが、いちばん長く同じ場所で暮らし続けてる。まあカジサヤ同様、アダムもあっちこっち飛び回ってるらしいけどね。じつは私はアダムの仕事もよくわかってない」
「最後になったけど私の名前は鈴木絵馬。エマです。今日は私って言ったりうちらって言ったりしたけど、俺って言うこともあるよ。ぼくはないかな、なんかそういう感じではない。私は日本画にいた。絵はこのところ描いていない。青山霊園のそばのシガレットバーで働いていて、あとはあんまり語るべきことはないかな。というわけで、以上10名でニューホライズン。恥ずいよね。なんのチームだって感じだし。まあ、そんな名前をつけて、いっとき家族なのか兄妹なのか親戚なのか、ご近所さんなのか隣人なのかなんなのか、とにかく日々どこかで会って、話して、なにかを作ったり企てたりしていた。あー慣れんことしたわ」
「はい終わり終わり。アダム、カメラとめて」
「あとで見せてよ。やっぱ恥ずいわってなったらデータ消してもいい?」