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0116「練り消し」



 最初から故郷/地元があるんじゃなくて。産まれた場所、育った場所が故郷/地元なのではなくて、どこかに自分の故郷/地元があって、自分が望むと望まないとに関わらず、死の予感とともにそこにどんどん向かっていっているような感覚に、たまに襲われる。
 とはいえ、べつに転々と引っ越し続けているわけでも、当て所のない旅に焦がれているわけでもないし、すべてから逃げ出して、ここではないどこか遠くへ行きたい気持ちも、ないのだけ、どっ!と伸ばした練り消しのもわもわした部分のようにおぼろげな空想に勢いをつけて、エマは玄関の扉を開ける。自転車に跨って、細い坂道を井の頭通りに向かって下り、井の頭通りでさらに勢いをつけて飲み込まれるような速度で原宿方面へ。身体も自転車も、ブレーキをかけないかぎり加速し続ける。エマの頭の中で幡ヶ谷から井ノ頭通り、井の頭通りから代々木公園までの地形のイメージがコーヒードリッパーと重なる。ほんとうに、飲み込まれていくようだ。人も、自分も。いや自分だって、人なんだけ、ど……!坂道の終わりの赤信号でちょうど止まるようにゆるくブレーキをかけて、信号が変われば上がって上がって、代々木公園を過ぎたら原宿から表参道へ至る並木道をまた下ったり上がったりする。サンダーを通り過ぎ、Apple Storeを通り過ぎ、交差点を直進してYOKU MOKUを通り過ぎ、ひとつひとつの風景を点検していくような感覚で、エマの気持ちも今日の仕事に向けて整っていく。いまは早朝で、このあたりの通りは時間帯によって大きく表情を変える。早朝は、それぞれのビルやテナントの清掃員、出勤途中のサラリーマンやアルバイト、ドラマや映画、雑誌の紙面なんかを飾ったりする役者やモデルにその撮影クルー、そういう人たちの時間。通りの中途半端な位置に点在する喫煙所が、このごろの東京にしてはめずらしく、どれもしぶとく生き残っていて、それは深夜や早朝、タフに生きる裏方たちのためのものとエマは認識している。早番と遅番のシフトが毎月店の都合によって不規則に組まれるエマにとって、早番は行きの早朝、遅番は帰りの深夜、この通りを抜けていくのが、ささやかな生活の慰めのようになっていた。
 美術館前の交差点を渡ってから青山霊園の方へ曲がってすぐのところに、エマの働くシガレットバー「Municipality Humidor」はある。ミュニシパリティ・ヒュミドール。直訳すると「自治体のヒュミドール」で、ヒュミドールとは葉巻や紙巻きタバコを保管するための保湿箱のこと。この店の外の世界でどれだけタバコが吸いづらくなっても、ここでだけはどうぞ気兼ねなく存分に。水タバコはないけれど、葉巻や手巻き用のシャグ、めずらしい輸入タバコはいつでも店内で買えるし、試し吸いすることもできる。この店自体が大きなヒュミドールってこと。バイトの面接で、店主の滝友介からヘラリとした笑顔でそう説明された通りのことを、正直覚えづらい店名ですよねーなどとへこへこしつつ、エマはたまにお客さんにも説明する。店に立つ、というのは、立っている間は店そのものになる、ということ。俺の代わりに立つっていうことじゃないよ。俺だって、この店に立っている間は店そのものになってる。まあ、つまり、あんまり気負わなくて大丈夫、ってこと。そんなこと言われてもな、と出勤初日のエマは思ったしいまもそう思ってはいる。でもたしかに、一週間、一ヶ月、半年、一年とここに立つ時間が蓄積されていくにつれ、店がわたしに、わたしが店にすこしずつ溶け出して、練って叩いて使われ続けた練り消しが日ごと木炭色に染まっていくように、エマは働いている瞬間瞬間で店になった。
 シガレットバーという名目だが、業態はカフェバーのようでもありコーヒースタンドのようでもあるし、ただの気の利いた軒先のタバコ屋のようでもある。日によっては店内利用客の飲酒や喫茶の売り上げより、ただシャグを買いに来ただけの人、テイクアウトでコーヒーやラテを買いに来た人からの売り上げのほうが多かったりする。時間帯によっても店の雰囲気は変わり、早番と遅番それぞれに身体の動かし方や気構えのコツみたいなものがある。早番はテイクアウトのオーダーや店外カウンターでタバコのみ買うお客さんが緩やかに立て続く瞬間がスポットスポットであり、平日ともなるとエマの立ち居振る舞いはコーヒースタンドのそれになる。比較的回転率のゆったりした店内では酒類がオーダーされることは稀で、出るとしたらハートランドの瓶かジントニックやハイボールくらいで、カクテルなんて滅多に出ない。それでもごくたまに、平日の早い時間にお店にやって来て、バーボンサワーなりダイキリなり、スプモーニなりパナシェなりを頼んで、カウンター越しのエマにとくに話しかけるでもなくテイクアウトカウンターの窓から見える往来をぼんやり眺めたり、持参した文庫本を開いたり、手帳や日記になにか書き付けたりしてのんびり過ごす人もいたりして、エマはそういう、いったい普段どんな仕事や生活をしているのか想像もつかない、けれど職場にいない時間もときおり顔の浮かぶ何人かにせっせとカクテルを作る時間がすごく好きだ。店に立つ、というのは、立っている間は店そのものになる、ということ。店そのものになる、ということは、自分の中で心地よく過ごす人の気持ちが、手に取るようにわかるということ、共感/共鳴/共振するということ。滝はエマにそこまでのことを言ったわけではなかったが、エマは滝の言葉を補完するように心の中で反芻する。お客様は神様?違う。お客様は自分の鏡だ。そして自分は店だ。店とはお客様で、お客様は店なのだ。神様みたいに崇め奉る存在ではなく、あくまでイコール。でも、だからこそ、店にやってくるすべての人間がお客様というわけではない……。
 夕方と呼ぶにはまだ早いような時間帯にテイクアウトのラッシュがあり、17時手前に今日の遅番の関昌一郎せきしょういちろうがやってきて、洗い物やグラスの棚戻しをしばらくふたりでこなしてから、外に出て簡単に引き継ぎをする。普段はカウンターの中で引き継ぎ事項を手短に伝えて帰るのだが、この日は店内カウンターが見知ったお客さんで埋まっていて、ちょっと離れても大丈夫、とエマは判断した。よく晴れた日の終わりの生ぬるくも冷たい風がエマと関の髪をでたらめに散らした。冬の終わり。すこし外の空気を吸いながら関に引き継ぎたかった。お疲れ様です。お疲れさま。今日はなんか、テイクアウトがへんな時間に立て続いて。ああ、ね、伝票見たわ。あざます洗い物。いやいや、あれくらいはね。えっと、まああとで見てもらったらって感じなんですけど、ハートランド発注するついでにリキュールそろそろ見たほうがいいかも、とか思っているうちにバタバタして手がつけられなかったんで。うん、うん。もし夜ゆったりめだったら裏見てもらって。ほい、ほい。あとは、あ、まあでもそれくらいかも。おけー、まあ適当にやること探すよ、グラインダー周りそろそろ掃除したいな。たしかに。滝さんそういえば今日も祐天寺だよ。滝は2号店を祐天寺にオープンさせる予定で、近頃は施工中のテナントやその近辺であれこれ打ち合わせをしたりメニューのコンセプトを詰めたりしているようだった。「Municipality Humidor」のアルバイトはエマと関を入れて現在5人。歴は関さんが一番長くてその次がエマ。あとの3人は最近入った面々で、祐天寺の店舗で早いうちから一人で立てるように、青山の外れにあるこの店で、関やエマと一緒に店に立ってあれこれ教え教わりつつ働いていた。だから、ひとりって久しぶりじゃない?たしかに、そうかも。俺も久しぶりだわ。へへ、じゃあまた明後日ですね。あれっ、あそっか明日の朝はシフト滝さんか。ですよ。んじゃあ明後日。お疲れ様です。お疲れ様。裏手に停めていた自転車に跨って、エマは赤く光る空を視界に収めながらペダルを漕ぐ。交差点を曲がり、YOKU MOKUを過ぎ、Apple Storeを過ぎ、サンダーを過ぎ、下がって上がって下がって上がる。井の頭通りの登り坂に差し掛かったところでエマは自転車から降り、身体全体で抗うようにして自転車を押して歩く。歩く。歩く。お昼過ぎ、テイクアウトが凪いでからしばらくのあいだ、店である自分とエマである自分が揺らいだ数分、今日も京都で同じように店に立ち働いているであろうアキのことを思い出し、ふと懐かしさが込み上げて、レジ下からブロックメモを取り出してボールペンで雑に描いた店とお客さんのスケッチ。あれ、捨て忘れてしまったな。そんな手慰みのような行為をサボりと誹られるような職場でもなければ、茶化すような関でもないのだが、だからこそエマは恥ずかしい。どこかから、熱心に話し込む若い男数人の声がして、別の場所からはパンと裂けるような笑い声。それら街の音の隙間に糸を通すように、ああっ!とエマは小さく声に出してから、拳で自分の腿を何度か弱く叩く。

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