見出し画像

2011年の手帳

片付け物をしていたら古い手帳が出てきた。2011年、あの年だ。

日記ではなく、ただスケジュールを書き込んでいるだけのものだけど、3月、いくつかの会合が延期となっている。そんな気分じゃなかったものな。同時に、この年に計画していたイベントの準備は着々と進められている様子。

3月14日、ある方の取材のあと、「地震については冷静。達観している」とメモしていて、私はそのことに少し驚いていた。あのころは毎日動揺していたから。揺れてないのに揺れたかなと思う瞬間が何度もあって、これは私だけの感覚ではないはず。

そう、まだ東京にいたんだよな、とも。

3月31日、PENTAX Optio I-10 買う。4月からの《連載・おとといミーティング TRICERATOPS "12-Bar"》に向けてだいぶ張り切っていたと思われる。

4月6日、西麻布SweetEmotionにて《12-Bar》初日。TRICERATOPSがカフェバーで行なうアコースティックライブのシリーズが始まった。

5月17日19時、セカハテ。うん? セカハテ? まったく思い出せずに検索してみたら、《2丁拳銃・修士とオリエンタルラジオ・中田 ~世界の果てで僕たちは出会った~》という、二人が即興コントを行なうライブ。そうそう行ってた行ってた! 

5月19日、《12-Bar》第2回目からゲストがシークレットで登場し、その初回を飾ってくれたKANくんの執拗なまでのこだわりがその後の《12-Bar》の方向性を決めたと言っても過言ではない。

シークレットゲストはあくまでシークレットと、『オペラ座の怪人』のマスクをつけたまま、まるまる1曲を歌い切ったり、登場シーンのこだわりも半端なく、事前リハーサルにも熱が入った。このストイックな精神をトライセラの3人は受け継ぎ、毎回ゲストの登場のしかたについて趣向を凝らした。私もいろんな提案をさせてもらったり、トライセラへの宿題曲を考えたり、今思うと贅沢なことでした。

《12-Bar》は全12回、2012年10月まで続き、2013年2月には宿題曲CD付き書籍を発行、《12-Bar "13"》として中野サンプラザで豪華ゲスト(KAN、山崎まさよし、吉井和哉、小田和正)を招いて集大成を披露。のちにDVDも発売されました。

手帳に戻る。

《12-Bar》にどっぷり関わりつつ、打ち合わせと取材とライブとエトセトラ。

7月4日、アップフロント社にて《塩かぶ》打ち合わせ。KAN、ジョンB、菅原龍平、ヨースケ@HOMEで結成したバンド、塩でかぶれる男子会(のちのカブレルズ)のライブのことなど。ジョンBさんには弾き語りを、龍平くんにはハンドマイクを、ヨーちゃんにはカホーンで弾き語りと、KANくんがメンバーにチャレンジ枠なるものを提案していく。メモが残っていた。かなり雑。

7月5日、KANくんのアー写やアルバムジャケット写真などでもお馴染みのカメラマン、大川直人さんを呼び出し、カブレルズのアー写を破格の撮影料で撮っていただくべく説得し、ご快諾いただく。7月11日、撮影。

7月16〜18日、つま恋にて《ap bank fes '11》。15日、掛川に前乗り。

そして、8月からは、忌野清志郎の映画『ナニワ・サリバン・ショー 〜感度サイコー!!!』のパンフレットと、ラッキーラクーン38号を同時進行で制作……していたのか? 手帳にはそう書かれている。私にそんな離れ業が可能だったのか?! 信じられないけれど、2冊それぞれの入稿日、校了日、納品日がいつもの乱暴な字で記されているから、きっとそうだったんだろう。

ちなみに、9月22日、桜井(和寿)くんの取材で、カメラは持って行ったのに、バッテリーが入っておらず、事務所のカメラをお借りして撮影するという失態をおかしました。

11月14日、ラッキーラクーン38号、発売。

12月14〜15日、尾道へ。移住の準備を始める。

12月16日より、COWCOWの善しさんが当時経営していた下北沢のギャラリーHIBOU HIBOUで、《ラッキーラクーン展》開催。龍平くんやヨーちゃん、永友聖也くんによる"生声"ライブもありました。

 * * *

2024年、夏。このところ大きな災害が続いていて、今日(8/14)も東日本に大きな台風がやってくるとニュースが報じている。神奈川では地震があったとか。私が住んでいる西日本には南海トラフの注意報が出て(ひとまず今日までだったようだけれど)、まったく落ち着けない日々が続いている。

そこに2011年の手帳が出てきたものだから、毎日テレビで流れていた東北の状況を伝える映像を見ていたり、東京では節電が呼び掛けられ、真夜中でも眩しかった渋谷の街がずしんと暗くなって、Twitter(当時)では情報が錯綜していたし、怖かった当時のことを生々しく思い出してしまった。

けれど手帳には、そこそこ忙しく立ち回る自分がいた。東京を離れる準備も始まっていた。

あれから13年、きちんと、いっぱい年を取った。年齢に見合う自分になれていない気がするけれど、それが自分であるわけだから、自分を生きていくしかないね。

いつか、2024年の手帳を読み返すときがあったら、ずいぶん暇そうだな〜と思うだろう。でも何日の何時にどこどこ、みたいな予定の裏には、毎日のいろんな思いがあるから。小さないざこざから、大事な友達と離れてしまったことまで。忘れたり、忘れなかったり、忘れられなかったり。いろいろあるからね。

Susan Eslick 2011


このたびサポート機能を有効にさせていただきました。サポートしていただいた金額は直接アーティストではなく、ひとまずLuckyRaccoon_noteの運営資金とさせていただきますのであらかじめご了承ください。よろしくお願いします。