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サヨウナラ

改札を出てしばらく歩くと商店もまばらになり、典型的な私鉄沿線の住宅街になる。
さすがに12月も中旬になると夜風は冷たい。
マフラーを締めなおして首元が少し暖かくなると、深々とした夜の静けさに家々の明かりがほっこりと染み込んでくる感覚にとらわれる。
あの家の夕飯は何だろうか?
きっと街では忘年パーティなんかで賑やかなんだろうなぁと思いを馳せつつ家路を急ぐ。
クリスマス、大晦日、お正月とイベント続きの日々へ向かうこの時期は、いつもちょっとソワソワ、ワクワクしたものだ。
ただちょっと、今年は様子が違う。

4月に父が亡くなった。
晩年は徐々に体が弱り、もともと出不精な事もありほとんど出かけなくなっていた。
家族が留守中にどうしたものか転んでしまい、脚の骨を折ったあたりから雪崩のように体調を崩し、自力で歩く事も口からものを食べる事すら出来なくなっていった。
ご多分に漏れず入退院を繰り返しながらも、いよいよか!という局面を何度も乗り切って復活してくるので「しぶといね」なんて家族で笑っていたものだ。
こりゃ100歳まで生きるよ、なんて言っていたのだが、最後は拍子抜けするほどあっけなく逝ってしまった。

本人の希望もあって(と言っても話す事もままならなくなっていたから本意はわからないんだけど)自宅での介護を選んだ。
そのおかげで、今までになく家族で過ごす時間が増えた。
実家から離れて暮らしているから、せいぜい週末に様子を見に行く程度ではあったんだけど、それはきっと父が作ってくれたかけがえのない時間だったんだろうと今になって思う。

いつかは訪れる事だと覚悟はしていたんだけど、亡くなってからは、いろいろと初めての事も多く悲しむ間もなくバタバタと過ごし、気が付くと年末になっていた。

振り返れば今年は別れの多い年でした。
良く知る著名人の訃報も、なんだか今年は多いような気がします。
まぁ自分がそういう年齢になっただけなんだろうけど。

同年代の訃報に接するとちょっと焦る。
生きてるうちに、もっと言うと、体が動くうちにやりたい事をやっておこうと思った。
仕事の責任が減ったと同時に自由になる時間が増えたので、未踏の地を訪れてみたりした。

そうすると、60歳を過ぎた今でも新たな発見がある事に気がついた。
ありきたりな言い方をすると、自分の知らない街の知らない人々にも人生があり、日々の暮らしがあるんだなぁ、なんて事をしみじみと実感したりして。
世間は広いし、人間は深いね。

夜風に吹かれながら今年を思い起こすと、たくさんの別れがあり、鬼籍に入った人たちの顔が想い出と共に浮かんでくる。
寂寥感に夜風が染みる。

それと同時にいくつかの出会いもあり、中にはとても大切にしたい出会いもあった。
「縁」としか言いようがない不思議な出会いなんだけど、もしかしたらこれは父が用意してくれたんだろうか?
だとすると、なかなか粋な計らいだよなぁ。
シュリンクしていくばかりの俺の人生だけど、毎年一人くらいはそんな出会いがあります。

でも、そんな縁を繋ぐのも、自分から動いた結果なんですよね。
いつ訪れるかもわからないサヨウナラの瞬間まで、もう少しジタバタしてみようと思います。

さて、来年はどんな年になるやらです。
そんなこと言ってると鬼に笑われそうですけどね。

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森野熊造
創るのが好きな妄想系中年。写真、旅、映画