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しらす丼

三浦半島の撮影スポットをロケハンした日の事。
ふとお腹がすいていることに気がつく。
どこか良い撮影スポットはないものかと夢中になって歩き回っていると、ついつい時間を忘れてしまう。
一人の気ままな散策だから、誰かに気兼ねすることなく自由に過ごせる時間は至福だ。

さて、何を食べよう?
せっかくだから地のものを食べたいと思う。
ここまで来てチェーン店の牛丼では味気ないよね。
おいしいけど。
裏路地を歩いていて、ひょっこりと出くわす定食屋さんなんかあれば最高なんだけど。
バス通りを外れて住宅街の細い道を歩いていると、おあつらえ向きなお店が出現する。
葦簀張りの店頭に「氷」の暖簾が風に揺れている。
小さな黒板が立てかけてあり「しらす丼」の文字が食欲をそそった。

古民家をリノベーションしたと思しき店内は、懐かしさとモダンさがバランス良く調和していた。
お昼時を少し外れていたせいか先客はひと組。
地元のご夫婦だろうか?
いずれにせよ、味に間違いがなさそうで安心する。

カウンターの奥で柔和な表情の髭のおじさんが何やら仕事をしている。
奥から現れた店員さんがお冷をテーブルに置く。
日に焼けた素肌に、白いTシャツ。
エプロン越しにでもハッキリわかる細い腰にバランス良く映える胸元が眩しい。
ポニーテールにまとめた髪を颯爽となびかせながら、カットオフのショートパンツから、のびやかな素足を披露してくれた。
既にしらす丼一択で決まっていたから、お冷を置いて定位置に戻ろうとする彼女に注文を告げる。

撮りたい。
ポートレートカメラマンの悲しい性だ。
街で素敵な女性を見かけると決まって撮りたいと思ってしまう。
とは言え声をかける勇気はない。
声をかけたところで無視されるか不審がられるだけだろう。
運が悪ければ警察事案だ。
よしんば、こちらの話を聞いてくれたとしても、自分の作風では相手をしてもらえないのがオチだ。
多分それが一番落ち込むんだろうな。

しかし、スタイルの良さもさることながら、涼しげな目元、少しあどけなさの残る表情とのアンバランスさに写欲は刺激される一方だ。
店の奥で片付け物をテキパキとこなす彼女を目で追ってしまう。
いかんいかん。
気がつかれたらドン引きされること間違いなしだ。
こんな店と言ったら失礼かもしれないが、もっと小洒落たカフェなんかの方が似合いそうだが、それはそれで彼女目当ての客が押し寄せてめんどくさい事になりそうではある。

程なくしてお目当てのしらす丼が運ばれてくる。
なんだか気恥ずかしくて目を合わせられず下を向いていたわけで、そのおかげと言ってはなんだが、太ももを思いっきりガン見してしまう。
ムチムチと表現する程では無いものの、細すぎない絶妙な量感が魅力的だ。
ホンダのフリードみたいにちょうどいい。

歩き回って喉が渇いていたから一気飲みしちゃったお冷に気がついた店員さんがコップに手を伸ばした時、傍に置いていた俺のカメラを見て一瞬「おや?」という表情をした。
ちょっと気にはなったものの、興味は既にしらす丼に移っていた。
うまい!
醤油の代わりにタレがついてきているんだが、これがヤバいくらいにうまい!
運んできてくれた店員さん効果もあり、2割増しで美味しく感じたのかもしれない。
いやぁ、良い店を見つけちゃったかもしれない。
また来ようっと!

なんて思いながらしらす丼に全集中していると、代えのお冷をもった店員さんが戻ってくる。
どうやら俺のカメラに興味津々な様子だ。
まぁ、小さいけどカッコいいからね。
無理して買って良かったー!

「ウチにも同じマークのカメラがあるんです」
お冷を置きながら、凛とした瞳で真っ直ぐに俺を見つめて、それでいてどこか親しみのある声音でそう話しかけた。
危うく気持ちを持っていかれそうになる。
ヤバいヤバい。

「あ、そうなんですね。おうちの方の?」
「父のなんです」
ふと、心なしか寂しそうな表情が声に混じる。
「あの。お客さん、カメラ詳しいですか?」
「特別詳しくは無いけど、普通かなぁ」
「うちのカメラ、フィルムなんですけど、開けられなくて」
「カメラ屋さんに持って行けば開けてくれるんじゃないかなぁ」
「あ、そうですよね」

なんだよ、俺。
これだとここで話終わっちゃうじゃんか!
バカバカバカーっ!
「多分ボタンみたいのがあって、それを回してくるくるくるーって戻してパカって開けて」
バカかよ俺は。オノマトペ大臣かよ。
「お客さん、ちょっと時間あります?」
「え、あぁ、予定はないからあるっちゃあるけど」
「じゃぁ、今カメラ持ってきますから開けてもらっていいですか?」
「え、家近いの?」
「すぐです!」

商談成立とばかりにエプロンを外すとカウンターの中のおじさんに宣言する。
「マスター!ちょっと家帰って戻ってくるからちょっと外しまーす!」
マスターは優しそうな笑顔でうなづく。
なんて自由なんだ!
俺もこんな職場がいいなぁ。

先客の夫婦も既に食事を終え、店の中には俺とマスターだけになった。
「すいませんね、これ店からのおごりです」
アイスコーヒーの差し入れだ。
あんな可愛い子に恩を売りつつ、アイスコーヒーまでゲットできるなんて、なんだか今日はついてるな。

「彼女はご近所さんなんですか?」
「そうなんです。彼女の父親と僕が幼馴染で」
「学生さん?」
「地元の高校生です。夏休みの間だけバイトに来てもらってるんです。まぁこんな小さな店だからバイトなんて正直必要ないんですけどね。あ、これ内緒ですよ」
「いやいや、でもあんないい子だったら僕なら雇っちゃうなぁ。お父さんはカメラが趣味なんですかね?結構高いカメラだと思うんですけど」
「良く写真撮ってましたねぇ」
ふと寂しそうな表情を浮かべた。
「実は先週亡くなりましてね」
なんとなくモヤッとしてた違和感の正体が判明した。
それで話が過去形だったのか。
「大変だろうから、休んでいいよって言ったんですけど、家にいると寂しくなっちゃうからバイトしますって」

「ただいまー!」
自転車を飛ばしてきたんだろうか?
うっすらと汗をかいている。
「これなんですけど、わかります?」
「カメラは大体同じような機構だから。あぁ、ここのレバーを倒して・・・」
「あ、ちょっと待って。まだ撮れたりします?」
カウンターを見るとまだ少しは撮れそうだ。
「たぶん」
「あ、そうだ。これお母さんが渡してって」
手には手作りと思しきクッキーと「よろしくお願いします」と書かれたカードが。
素敵な家族だったんだな。
「あの、良かったら私とマスターの写真撮って欲しいんですけど良いですか?」

最初は照れまくって断っていたマスターだが、ゆいちゃん(店員さんの名前ね)の勢いに負けて観念したようだ。
店頭の葦簀の前。
「氷」の暖簾が入る構図で。
夏の日差しに影が濃い。
良い写真になると思う。
俺が失敗しなければだけど。

「お客さんも一緒に撮りましょ!マスター、お願い」
レンジファインダー機だからちょっとコツがいる。
大体のセットをしてあとはシャッターを切るだけにする。

撮る方は慣れているんだが撮られる方は苦手だったりする。
棒立ちしているとゆいちゃんがスッと寄り添ってきた。
二の腕に胸が当たる。
はぁぁぁ、この瞬間よ永遠なれ!
カメラに不慣れなマスターが構図を決められずあたふたしている。
「マスター、もうー、早くしてよー!」
ニコニコ笑いながら胸をぐいぐい押し付けてくる。
マスター、グッジョブ!

ゆいちゃんのソロカットも何枚か撮ってフィルムも撮り切ったようだ。
巻き戻してフィルムを取り出して渡す。
「何が写ってるんだろう?お父さんなに撮ったのかなぁ?」
知らない女の人じゃない事を祈ろう。

写真ができたらお知らせしますって連絡先を交換した。

あの写真。
ちゃんと写ってるだろうか?
マスターの失敗もさることながら、俺の表情の方が甚だ心配なのである。

(妄想diary)

2023年6月に続編を追加
「ゆいちゃんからの手紙」

創るのが好きな妄想系中年。写真、旅、映画